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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド1日目

ルハバッド廟
Ruhobod Maqbaras

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月22日  独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁  Copyright by T.Aoyama & K.Ikeda


◆ルハバッド廟 《Ruhobod Maqbarasi》

 ルハバッド廟はアミール・ティムール(グリ・アミール)廟の北側に建つ14世紀後半(1380年)の廟で、ウズベキスタン南東部の古都サマルカンドにある14世紀建造の古い霊廟です。茶色い煉瓦がむき出しになったシンプルな建物です。

 ルハッバドとは“霊の住処”という意味で、神秘主義者シェイヒ・プルハヌッディン・サガルジを祀ったものとされています。また預言者ムハンマドの遺髪が埋葬されたという伝説があり、予言者ムハンマドの遺影を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあり、信仰を集めています。

 ムハンマドの遺髪が埋葬されたとありますが、DNA鑑定してみるといろいろなことが分かるはずです。もっぱら、そんなことを言うと自体不謹慎なんでしょうね。
 
 なお、ルハバッド廟の周りにはメドレセとハナカが再建され、現在は伝統工芸の工房とみやげ物屋になっています。

◆ムハンマド(570年頃 - 632年6月8日)

 ムハンマドはイスラーム教の開祖、軍事指導者、政治家。アラビア半島中西部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとりです。イスラーム教では、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)その他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされています。また世俗君主・軍人としても有能であり、アラビア半島にイスラーム国家を打ち立てています。


◆イスラム教

 イスラム教、正式名をイスラーム、 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。

 ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。

出典:Wikipedia

 下はルハバッド廟の前に立つ池田こみちです。3月上旬、ルハバッド廟周辺にはサマルカンドでは雪が残っていました。ルハバッド廟は前に立つ人間と比べると非常に大きなイスラム建築物であることがわかりなす。



ルハバッド廟
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 なお、以下は、ルハバッド廟についての文献、Sheikh Burhan al-Din Sagardzhi (北京のイスラム教の長の概訳です。抄訳は池田こみちです。

◆Sheikh Burhan al-Din Sagardzhi (北京のイスラム教の長)

  http://www.centralasia-travel.com/en/countries/uzbekistan/places/samarkand/rukhabad
 Ruhobod Mausoleum ("House of Spirit≫) (XIV-XV c.) -
 Tomb of Sheikh Burhan ad-Din Sagardzhi (head of Muslims in Beijing),
 was buried according to his will in Samarkand. 抄訳 池田こみち

 ルハバッド廟はティムール時代にサマルカンドに建てられた最初の建造物の一つであり、市内に残る最も古く歴史的な建物でもあります。1380年、シェイヒ・プルハヌッディン・サガルジのお墓の上に建設されました。サガルジは著名なイスラム神学者であり神秘主義者でもありました。彼の意思にもとづき、彼が愛したサマルカンドの地に葬られました。この霊廟は、Sheikhを尊敬したティムールの命令で造られました。

 Burhan al-Din Sagarji は、東トルキスタン(今日の新疆)におけるイスラム教の布教者としてもっとも成功した人物です。彼は、人生のほとんどを巡礼者として過ごし、中国で亡くなり、中国の宮廷において最も影響力のある人物でした。彼は遺言で、最も愛したサマルカンドに埋葬して欲しいと言い残しています。廟は、彼を尊敬していたティムールの命令により、建造されました。

 建物は立方体で屋根にドームが乗っています。小さな入り口は、チムール建築の典型的な門を備えています。廟の3カ所の入り口はいずれも同じサイズとなっています。中世サマルカンドの他の建物に比べてこの廟は小さく、幅は14×12m、高さは24mです。内部はその荘厳なまでのシンプルさで印象的です。 また、Sagarjiの妻およびそれらの9人の子供が、霊廟に埋められています。


ルハバッド廟
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 伝説によれば、あるときアラビアでサマルカンドの人々はイスラム教に関心を持たなかったので、サマルカンドの人々がアラーへの信仰を強めるため、メッカに住む真のイスラム教徒であるBurhan al-DinSagarjiを送り込みその企てが成功したといいます。

 その後、Sheikhは、中国に向かいイスラム教を布教しました。彼が中国の皇帝とある儀式で会った際、皇帝は、イスラム教が唯一の真の宗教であると布教する彼を懐疑的に思い、それを証明するよう命じました。 Burhan al-Dinの宿敵である帝国で最も力のある魔術師がその信仰を証明するために天高く舞い上がりましった。これを見て、イスラム教の偉大な教育者は彼の心霊を尽くしてアラーの神に次のように訴えました。

 「神よ、この人々に正しい道を示すために私をお導きください。」と。すると、内なる声を聞いた彼は、靴を脱いで空に投げた・・・靴は点のようになってほとんど見えなくなり、魔術師を捕まえて打ちのめしたのでした。Burhan al-Dinは、勝者と宣告され、そこに居た全員が頭を下げ、彼に言いました。「我々は、貴方の神を信じよう!」と。

 その他の伝説によれば、Burhan al-Dinは七つの髭をもつ預言者モハンマドの描かれた銅の箱を常に持っていました。廟が建設されたとき、その箱はドームの煉瓦のどこかに埋め込まれたとされています。

 また、ティムールはその聖人を非常に尊敬していたため、その廟の前を決して馬に乗って通ることをしなかったと言われています。必ず馬をおり、歩いてその廟の前を通り過ぎたそうです。

 今日、廟は、イスラム教徒にとって巡礼の場所であるとともに、大勢の観光客が訪れる場所となっています。




ルハバッド廟
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はルハバッド廟内部の石棺です。


ルハバッド廟内部の石棺
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 この椅子に座って女性の解説を聞きます。


ルハバッド廟内部
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 女性による説明がありましたが、ウズベック語であり、残念ながらちんぷんかんぷんでした。


ルハバッド廟内部の石棺
撮影:青山貞一 ビクターのビデオカメラ GZE256B

 しかし、最後に入りわずか10分程度の滞在でしたが、おそらくウズベキスタン滞在中最も高額の入館料でした。もっぱら、入館料というよりドネーションなんでしょう。日本人とみるとどうしても高額になります(笑い)


ルハバッド廟内部の出入り口
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 下は衛星写真で見たルハバッド廟です。上側がアミール・ティムール廟となります(ただし、以下の写真には写っていません)。


出典:グ-グルアース3次元CG

 私達はルハバッド廟のあとアミール・ティムール廟に向かいます。

 下の写真は、ルハバッド廟からアミール・ティムール廟方向を見ています。ルハバッド廟の敷地の隣は、おそらく往事メドレセがあったものと推察されます。写真では1階建てのアーチ状の自習室らしき部屋が多数見えます。その向こうにルハバッド廟のモスクとミナレットがありました。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 途中、ルハバッド廟とアミール・ティムール廟の間にルハバッド廟のモスククとミナレットがありました。

 下の写真はミナレットとモスクです。その向こうはアミール・ティムール廟につながります。往事には上の写真でルハバッド廟とモスク、ミナレットの間に、メドレセがあったはずです。上の3次元CGでは、正方形の縞模様の枠が残っているのが見えます。実際は枠だけでなく平屋の長屋タイプの自習室となっているようです。

 下の写真では、壁沿いにメドレセの波形の屋根が見えます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400
 

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 ルハバット廟は、2007年、ウズベキスタンの250スムの記念切手になっていました。下はその写真です。
 

ルハバット廟の記念切手2007年

 以下は往事の配置推定図です下の衛星写真で一番右側にあるのは、ルハバット廟巡礼者用の宿坊です。現地では気づきませんでしたが、14世紀からこのようなアンサンブルがあったことが推察されます。

 なお、ウズベキスタンのメドレセは、通常2階づくりですが、ルハバット廟にあるメドレセは1階建てとなっています。

                                   
 つづく


往事の配置推定図       出典:グーグルアース