ウズベキスタン現地予備調査 サマルカンド1日目 ルハバッド廟 Ruhobod Maqbaras 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年3月22日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 Copyright by T.Aoyama & K.Ikeda |
◆ルハバッド廟 《Ruhobod Maqbarasi》 ルハバッド廟はアミール・ティムール(グリ・アミール)廟の北側に建つ14世紀後半(1380年)の廟で、ウズベキスタン南東部の古都サマルカンドにある14世紀建造の古い霊廟です。茶色い煉瓦がむき出しになったシンプルな建物です。 ルハッバドとは“霊の住処”という意味で、神秘主義者シェイヒ・プルハヌッディン・サガルジを祀ったものとされています。また預言者ムハンマドの遺髪が埋葬されたという伝説があり、予言者ムハンマドの遺影を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあり、信仰を集めています。 ムハンマドの遺髪が埋葬されたとありますが、DNA鑑定してみるといろいろなことが分かるはずです。もっぱら、そんなことを言うと自体不謹慎なんでしょうね。 なお、ルハバッド廟の周りにはメドレセとハナカが再建され、現在は伝統工芸の工房とみやげ物屋になっています。
下はルハバッド廟の前に立つ池田こみちです。3月上旬、ルハバッド廟周辺にはサマルカンドでは雪が残っていました。ルハバッド廟は前に立つ人間と比べると非常に大きなイスラム建築物であることがわかりなす。 ルハバッド廟 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 なお、以下は、ルハバッド廟についての文献、Sheikh Burhan al-Din Sagardzhi (北京のイスラム教の長)の概訳です。抄訳は池田こみちです。
ルハバッド廟 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下はルハバッド廟内部の石棺です。 ルハバッド廟内部の石棺 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 この椅子に座って女性の解説を聞きます。 ルハバッド廟内部 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 女性による説明がありましたが、ウズベック語であり、残念ながらちんぷんかんぷんでした。 ルハバッド廟内部の石棺 撮影:青山貞一 ビクターのビデオカメラ GZE256B しかし、最後に入りわずか10分程度の滞在でしたが、おそらくウズベキスタン滞在中最も高額の入館料でした。もっぱら、入館料というよりドネーションなんでしょう。日本人とみるとどうしても高額になります(笑い) ルハバッド廟内部の出入り口 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 下は衛星写真で見たルハバッド廟です。上側がアミール・ティムール廟となります(ただし、以下の写真には写っていません)。 出典:グ-グルアース3次元CG 私達はルハバッド廟のあとアミール・ティムール廟に向かいます。 下の写真は、ルハバッド廟からアミール・ティムール廟方向を見ています。ルハバッド廟の敷地の隣は、おそらく往事メドレセがあったものと推察されます。写真では1階建てのアーチ状の自習室らしき部屋が多数見えます。その向こうにルハバッド廟のモスクとミナレットがありました。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 途中、ルハバッド廟とアミール・ティムール廟の間にルハバッド廟のモスククとミナレットがありました。 下の写真はミナレットとモスクです。その向こうはアミール・ティムール廟につながります。往事には上の写真でルハバッド廟とモスク、ミナレットの間に、メドレセがあったはずです。上の3次元CGでは、正方形の縞模様の枠が残っているのが見えます。実際は枠だけでなく平屋の長屋タイプの自習室となっているようです。 下の写真では、壁沿いにメドレセの波形の屋根が見えます。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 ルハバット廟は、2007年、ウズベキスタンの250スムの記念切手になっていました。下はその写真です。 ルハバット廟の記念切手2007年 以下は往事の配置推定図です。下の衛星写真で一番右側にあるのは、ルハバット廟巡礼者用の宿坊です。現地では気づきませんでしたが、14世紀からこのようなアンサンブルがあったことが推察されます。 なお、ウズベキスタンのメドレセは、通常2階づくりですが、ルハバット廟にあるメドレセは1階建てとなっています。 つづく |