エントランスへはここをクリック      <全体メニュー・中央アジア>

   ウズベキスタン現地予備調査

現地予備調査を終わるにあたって
 
青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月10日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

「恐怖の税関申告」

 ウズベキスタン現地予備調査で一番驚いたことは、飛行機の乗り降り、列車の乗り降りにおけるパスポートコントロール(チェック)それに所持品チェック、セキュリティチェックのすさまじさでした。

 しかし、帰国時、さらにすごいチェックがありました。

 帰国後、本報告を執筆しているなかで、いろいろ調べていたのですが、そこで以下の論考を発見しました。題して「恐怖の税関申告」です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 ウズベキスタンに入国する際、2枚の入国申告書を機内で渡されました。そのときは、何で2枚なんだろうと思っていました。

 過去、なかなか2枚渡されたことはなかったからです。これは、最終的に2枚とも係員に渡すのですが、そこに「恐怖」があったのです!

 まず入国時、税関申告書一枚を税関でとりあげられます。この場合、残りの一枚は、決して不要なのではなく、しっかりと旅行中保存しておかなければなりません。

 残りの一枚は出国時に税関に渡すことになっているのです。

 そして出国時に税関職員が何をチェックするかと言えば、先に書いて渡した内容と、出国時に書いて渡す一枚の税関申告書に書かれたお金、物品などの違いをしっかりとチェックしていたのです。

 仮に入国時、5万円の日本円、200ドルの米ドルを所持していたとします。出国時に記入する金額が、2万円の日本円、50ドルの米ドルであれば、まったく問題ありません。しかし、出国時に日本円が7万円、米ドルが300ドルなどとなっていると、ウズベキスタン国内で観光ビザで仕事、ある場合とをするなり、物を売ったなどとして差額をすべて没収されることにナルのです。

 そのチェックは、ある意味非常に合理的であり、他国にはほとんどないものなのですが、私は入国時、金額はすべて書き入れませんでした。

 一方、帰国時に所持していた日本円と米ドルの額を正確に記入したところ、検察官から「貴方は入国時未記入ですが、帰国時は日本円、米ドルがありますね」と言われました。税関係員は、日本語が堪能で、私の税関申告書を見て、「東京はどちらですか?」などと気さくに聞いてきました。そこで私からは「日本にお出でになったことがありますか?」と聞くと、日本に来たことがあり、私を疑うと言うよりはうっかりのことと思ってくれていたことが分かりました。

 私は現地でほとんど日本円、米ドルとも使わず、ましてや現地でお金を増やすことなどなかったのです。幸い、入国時、日本円、米ドル、現地通貨ともに金額をゼロとせず、無記入だったので、何とか事なきを得ました。もし、具体的数字を入れており、帰国時にそれを大幅に上回る場合は、差額を没収されても、何も言えない仕組みになっていたのです。もちろん、観光以外の就労ビザなどの場合は別だと推察します。

 これには本当にびっくりしました。非常に合理的であり、何ら反論などできようもないのですが、今までウズベキスタン以外でこのような税関申告チェックを受けたこともなく、当惑したのです。

 以下はWikitravelにあった「恐怖の税関申告」という論考です。ウズベキスタンに観光であれ行かれる方は。必ずしっかりと読んでおくことをお勧めします。


出典:Wikitravel
http://wikitravel.org/ja/%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88

 なお、ウズベキスタンでの宿泊先ホテルでは、ホテル毎に、@ホテル名、A登録番号、B到着年月日、C出発年月日、Dパスポート番号、E係員のサインを記入した紙をパスポートに糊などで添付していました。私達はブハラ2泊、サマルカンド3泊、タシケント1泊しましたが、それぞれのホテルでそのような紙を私達のパスポートに添付していました。

 おそらく、これはソ連時代の方法だと思いますが、これもビックリしました。いずれもしても、入出国管理をこれほどしっかりしている国は、先進国ではおそらくないのですが、ある意味すばらしいことであると感心した次第です。

 ウズベキスタンはビザが必要ですが、これは東京港区にあります大使館で申請用紙をもらい、英語で必要事項を記入し、写真を一枚貼り、約3000円の手数料を支払うと約一週間でビザが出ます。旅行代理店に頼むと12000円ほどかかる場合があります。


◆ウズベキスタン現地予備調査を終わるにあたって

 ウズベキスタンは過去、幾たびかの戦禍で多くの重要建築物、モスクなどを喪失していますが、サマルカンド、タシケントなど大きな都市の土地利用、都市計画は秀逸で日本など比べものにならないほどです。またゴミはほとんど落ちてなく、他都市同様、常時、市職員、ボランティアなどにより清掃が行われているようです。
,
 もう一日あればタシケントの町をしっかり見れたのですが、残念ながら翌日午前3時30分起き、早朝のウズベキスタン航空便で成田に帰ることもあり、外務省迎賓館、国立歴史博物館、アムール・ティムール博物館、ナボイ・オペラ・バレイ劇場見学し、ティムール公園周辺を散策してホテルに戻りました。
,
 今回のウズベキスタン現地視察旅行はISIL騒動以前に計画したものであり、一週間かかるビザを得たのもその前でしたが、とかく.....タンと名が付く国々を十把一絡げで中東の国々と一緒にし、危険視している日本人が多く、私たちの旅行について心配する声が多く寄せられました。
,
 しかし、中央アジアの真珠、シルクロードの拠点でもあるウズベキスタンは、現地のあちこちでさまざまな関係者から聞いたように、ひょっとすると世界有数の安全な国と言える国かも知れません。

 それはそれなりの理由があります。とりわけ重要なのは外交であり、東西、四方八方の国々、ワルシャワ条約国、NATO諸国、日本、中国、韓国などと等距離外交をしてきたこと、さらに話を聞き、街を実際に歩いて人々とふれあった実感からしても 者さらに日本人の著名女性研究者の置き引き事件以降、国内の安全にも多大な努力をしてきたことがあります。
,
 旅行者には、過剰なセキュリティーチェックとも思えることが多々ありましたが、EU諸国で頻発している置き引きやスリ、ゆすりにはまったく出会わず、いわゆる物乞いや浮浪者にもほとんどであいませんでした。
,
 土砂と砂に埋もれたティムール時代の多くの遺跡や建造物を旧ソ連時代に発掘、修復したというのは、何とも皮肉に聞こえますが、米国追随一辺倒で、結果的に今の沖縄県などのように米軍基地により希少な自然や生態系がことごとく破壊されている日本と比べると、かつて旧ソ連の衛星国だったウズベキスタンとロシアとの現在の関係は、日本と米国との関係より、さまざまな面でよほどまとも、ましであると実感しました。
,
 それにしても、あちこちで出会ったウズベキスタンの人々は、明るく素直、好奇心にあふれ、礼儀も正しく親切と、今の日本人に失われてしまったすばらしい気質、国民性に触れることが出来ました。また子供、若者が多いことからも将来性ある国であると強く感じた次第です。
,
 今回の現地予備調査は、ウズベキスタン航空の直行便チケット、タシケント・ブラハ国内便チケット(いずれも燃料サーチャージ込み)、6泊のホテル代(朝食代、送迎込み)、2回の特急列車料金合計でひとり12万円台でした。
,
 現地ではタクシーは一切乗らず、一回ミニバスに35円程度で乗っただけです。ブハラ、サマルカンドは歩いて回れ、タシケントには地下鉄があります。また今回は行きませんでしたが南西部の古都ヒヴァも、主な史跡、名勝には歩いて行けるそうです。
,
 食事はホテルは日本並みに高額なので、いずれもローカルフーズをいただきました。速報に何度も書きましたが、本当においしくてリーズナブルです。とりわけソムサは、野菜と肉を小麦粉の皮で包んで焼いたもので、おいしく栄養バランスも絶妙と感じました。一人2個で100円以下、私は2個で十分おなかがいっぱいになりました。一緒に温かいお茶(グリーンティー)を頂けば、お腹を壊すこともありません。
,
 日本は安倍政権後激しい円安となりましたが、工夫次第で今でもリーズナブルに幻想、悠久の国々への旅行は可能です。ぜひ、みなさまも息が詰まる今にむさ苦しい日本を飛び出て、ウズベキスタンに行ってみてください。少なくとも気持ちが10年若返ること間違いなしと思います!


これで本報告は終わりです。   シルクロードの<ヘラート)に  <全体メニュー・中央アジア>