|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
株式会社環境総合研究所(Environmental Research Institute Tokyo, Inc.)が設立されたのは、1986年7月1日、今年で創立23年となる。当時、環境問題専門の民間研究所は全国的に見てもほとんどなかった。 なお、本論考に紹介する写真はいずれも設立5周年当時(1991年)のものである。 環境総合研究所は、1990〜1991年にかけ、湾岸戦争がもたらす環境への影響に関して半年に及ぶ予測評価そして戦争終結直後にクウェート、ドバイにそれぞれテレビ朝日、テレビ東京のクルーとともに現地調査を敢行するなど、設立後わずか5年後ながら世界に冠たる調査を行い、その調査結果は内外メディアなどを通じ世界に配信され、設立時のミッションを国際的場面で果たすこととなった。以下はテレビ報道されたもののごく一部である。
設立5周年記念パーティーで挨拶する青山貞一 下の写真は当時の役員と研究員である。青山以外すべて女性である。その後、鷹取敦らが入ってくるが、環境戦略、環境政策、環境分析の研究スタッフが女性中心というのは、今日でも珍しい。 役員、研究員の紹介 左から青山淑子(監査役)、坂本紀子(研究員)、池田大子(当時、常務取締役)、 菅原清子(研究員)、津田成子(研究員)、 池田こみち(取締役・副所長)、青山貞一(代表取締役) 1991年当時の環境総合研究所の研究スタッフ。後列左から二人目は、松下政経塾からの研修生、田中文世氏。当時、研究所はJR品川駅前の高輪三丁目にあった。
設立記念パーティーには、研究者、ジャーナリスト、国・自治体の行政マンら約120名が参加されたが、くしくも、当日参加いただいたジャーナリストの多くは研究所が行ってきた「湾岸戦争と環境」を取材された記者やディレクターであった。 下の写真は、設立5周年記念パーティーにご参加いただいた来賓からの祝辞である。
青山貞一は大学卒業以来、アジア経済研究所関連機関、科学技術経済の会(ローマクラブ日本事務局)、全国テレビネットワーク局研究所、環境総合研究所と一貫して研究所、シンクタンク畑を歩いてきた。池田こみちはローマクラブ日本事務局以来の研究パートナーである。大西行雄は、京都大学大学院防災研究所、琵琶湖研究所を経由し、現在、環境総合研究所大阪代表となっている。 関西テレビのインタビューで話したように、常日頃、環境問題を研究している者が、戦争によって桁が違うような環境破壊が生じていることに押し黙っているとするなら、いったい何のため、誰のための研究であるかが問われるだろう。 研究所関連の主な新聞記事は↓ 日本で唯一、闘うシンクタンク健在(環境総合研究所設立23周年 2008) Environmental Research Institute Tokyo, Inc. |