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ERIアーカイブ
株式会社 環境総合研究所
設立五周年記念パーティー(1991)
青山貞一・池田こみち
 掲載日:2008年8月11日 転載禁

 株式会社環境総合研究所(Environmental Research Institute Tokyo, Inc.)が設立されたのは、1986年7月1日、今年で創立23年となる。当時、環境問題専門の民間研究所は全国的に見てもほとんどなかった。

 なお、本論考に紹介する写真はいずれも設立5周年当時(1991年)のものである。

 環境総合研究所は、1990〜1991年にかけ、湾岸戦争がもたらす環境への影響に関して半年に及ぶ予測評価そして戦争終結直後にクウェート、ドバイにそれぞれテレビ朝日、テレビ東京のクルーとともに現地調査を敢行するなど、設立後わずか5年後ながら世界に冠たる調査を行い、その調査結果は内外メディアなどを通じ世界に配信され、設立時のミッションを国際的場面で果たすこととなった。以下はテレビ報道されたもののごく一部である。

湾岸戦争と環境 (映像+音声 1991年放映)
番組・報道のテーマ テレビ局・番組名 調査機関 バイト数
クウェート大気汚染現地調査 テレビ朝日ニュースステーション 環境総合研究所 99MB
ドバイ大気汚染現地調査 テレビ東京週刊地球ニュース 環境総合研究所 41MB
ペルシャ湾原油流出 TBS 青山貞一 8MB
ペルシャ湾岸原油到達 日本テレビ 青山貞一 14MB
研究者の国際貢献 関西テレビ 青山貞一 25MB
テレビ朝日 テレビ東京
TBS 関西テレビ
映像と音声は、短く編集しており放映されたものとは異なります。
本ファイルは、著作権、制作権との関係で個人的視聴以外は使えません。



地球環境保全、日本は範を示すとき」 (読売新聞 論点 1991)


「湾岸戦争と環境研究」(東京新聞 1991)


「湾岸戦争、地球規模の環境破壊も、環境総研試算」 (日本経済新聞 1991「)


「湾岸戦争の環境影響調査報告書をまとめた」 (朝日新聞 ひと 1992)

 環境総合研究所は、その後も日本を代表するテレビ、新聞など有力メディアと有機的に連携することで、<誰も行わない>、<誰も行えない>環境に係わる重要な「調査報道」を次々に世に問うてきた。


設立5周年記念パーティーで挨拶する青山貞一

 下の写真は当時の役員と研究員である。青山以外すべて女性である。その後、鷹取敦らが入ってくるが、環境戦略、環境政策、環境分析の研究スタッフが女性中心というのは、今日でも珍しい。


役員、研究員の紹介
左から青山淑子(監査役)、坂本紀子(研究員)、池田大子(当時、常務取締役)、
菅原清子(研究員)、津田成子(研究員)、
池田こみち(取締役・副所長)、青山貞一(代表取締役)

 1991年当時の環境総合研究所の研究スタッフ。後列左から二人目は、松下政経塾からの研修生、田中文世氏。当時、研究所はJR品川駅前の高輪三丁目にあった。

1991年当時の研究スタッフ

 設立記念パーティーには、研究者、ジャーナリスト、国・自治体の行政マンら約120名が参加されたが、くしくも、当日参加いただいたジャーナリストの多くは研究所が行ってきた「湾岸戦争と環境」を取材された記者やディレクターであった。

 下の写真は、設立5周年記念パーティーにご参加いただいた来賓からの祝辞である。

 
橋本善太郎氏
環境庁環境影響審査課長
後藤典弘氏
国立環境研究所
宮崎正信氏
環境庁
伊瀬洋昭氏
東京都環境科学研究所
大西行雄氏
滋賀県琵琶湖研究所
吉田元昭氏
社会システム研究所
国里寛明氏
赤穂市環境管理課長
木原徹也氏
越谷市生活環境課長
霊山智彦氏
読売新聞解説部
長門氏
産経新聞社社会部記者
菅原氏
テレビ朝日ディレクター
佐藤氏
時事通信社記者

 青山貞一は大学卒業以来、アジア経済研究所関連機関、科学技術経済の会(ローマクラブ日本事務局)、全国テレビネットワーク局研究所、環境総合研究所と一貫して研究所、シンクタンク畑を歩いてきた。池田こみちはローマクラブ日本事務局以来の研究パートナーである。大西行雄は、京都大学大学院防災研究所、琵琶湖研究所を経由し、現在、環境総合研究所大阪代表となっている。

 関西テレビのインタビューで話したように、常日頃、環境問題を研究している者が、戦争によって桁が違うような環境破壊が生じていることに押し黙っているとするなら、いったい何のため、誰のための研究であるかが問われるだろう。

 研究所関連の主な新聞記事は↓
日本で唯一、闘うシンクタンク健在(環境総合研究所設立23周年 2008) 

  Environmental Research Institute Tokyo, Inc.