Emvironmental Research Institute, Inc., Tokyo
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本稿は、日本環境法律家連盟 JELF、「環境と正義」、1998年5月号掲載内容を2004年1月、2006年11月に大幅拡充し、写真、画像、動画、新聞記事を加えたものです。転載禁 株式会社環境総合研究所(Emvironmental Research Institute, Inc.略称、ERI)は、1986年創立、2006年(平成18年)で創立20周年を迎えた。 ■環境シンクタンク一筋 ERIは、環境科学、環境政策、環境法の専門家、研究者によるシンクタンクである。 同時に、専門家によるシステムハウスである。さらにはNGO(非政府組織)でもある。ERIの卒業者を含めると数学、化学、物理、海洋などの理学、流体力学、応用物理、応用化学、情報システム、情報メディア、通信工学など工学、政治、経済など社会科学など多岐にわたり分野も広い。 個別学問の専門性に固執したり、再度、「象牙の塔」化している大学組織などにいる研究者や専門家から見ると、奇異に感じるかも知れない。 しかし、ERIにあつまる者は、奇異に感じるどころか、個別細分化された専門領域からのアプローチでは現代の環境問題のような総合的、学際的問題は解決できないと考える。 ERIの研究員は実務的な能力を重視する。現場思考(志向)が強い。 所長の青山貞一はシンクタンク一筋。 青山は「成長の限界」報告で有名なローマクラブ(The Club of Rome)日本事務局在籍時代の同僚、池田こみちと1986年にERIを創設した。 以下の日経産業新聞の「転機」にあるように、青山、池田はローマクラブ日本事務局から一時期、在京テレビ局のシンクタンクに4年ほど在籍した。それは「環境冬の時代」であった。 青山40歳の初夏、ふたりは独立、今の環境総合研究所を創設した。この2006年11月11日で青山は60歳、還暦を迎えた。まさに激動の20年間だった。 思い起こせばいろいろあるが、同僚の池田はじめ鷹取ら、研究スタッフがどんなときも歯を食いしばり、がんばってきた。まさに逃げず、屈せず、怯まずの精神である。 日経産業新聞1990年(平成2年)3月20日(木) 環境総合研究所の本社住所推移(括弧内は最寄り駅) 東京都練馬区春日町 東京都品川区北品川(大崎駅) 東京都港区高輪(品川駅) 東京都品川区東五反田(五反田駅) 東京都品川区上大崎(目黒駅) 東京都品川区旗の台(洗足駅) 東京都目黒区大岡山(大岡山駅) ■多種多様な人材組織 現在、東京と大阪に研究所があり研究員は約10名。大部分の研究員が現役の大学教授、非常勤講師を兼ねている。 地球物理学で理学博士号をもつ者もいる。 情報通信のプロもいる。同時通訳の経験者もいる。農学修士で衆議院議員の秘書の経験をもつものもいる。カナダなどから研修生や留学生も受け入れてきた。 規模は小さく、人数も少ないが、「多種多彩な人材」がいる。まさに「多種多様な人材組織」であり、小さくともキラリと光るオンリーワンのシンクタンクだ。 共通しているのは、実務、現場を重要視していることだ。
■第三者的立場を堅持 スタッフに共通しているのは、「環境分野で社会正義を実現すること」、「あらゆる場面で第三者的立場を堅持すること」だ。 それらの理念を実現する道具としてコンピュータ、情報システム、分析技術、通信技術、語学などソフトな技術を使いこなしている。 ERIが独自に開発した高度な情報システムやソフトウェアは優に30種を超える。さらに省庁、自治体や国公立研究機関に、多くのシンパがいるのもめずらしい。 ERIは積極的に「出る杭」になる。「出る杭」になりながら、へこたれない。毎日、日本を世界を西に東に現地調査、講演に飛び回わっている。所長の青山はすでに世界50カ国、120以上の都市に飛び回っている。 第三者的立場の調査の重要性(神奈川新聞) さらに青山は過去衆議院、参議院の環境委員会などから9回も参考人などとして招致され、環境政策、環境法に関連し証言している。
■株式会社でNGO ERIの組織・経営上の大きな特徴は、「株式会社でNGO」を行っていることだ。 独自の技術と経験それにノウハウを駆使し、財政的基盤をつくる。 その上で第三者的なNGO活動を強力に推進する。財政的、経済的基盤がなければ言いたいことは言えない。独立など保てない、が青山の口癖である。 これがERI流であり世界でもほとんど例がない。NGOであることが重要であり、NPO(非営利組織)にこだわらない。そしてナンバーワンよりオンリーワンを地でいっている。 ■全国初の民間環境情報ネットワークを構築 ERIは、インターネットが使われるようになるはるか前から全二重のパソコン通信を使ってE−NET(EはEnvironment、環境のE)と言う名前の環境情報ネットワークを全国規模で設置、運用してきた。事務局は池田こみちが担当した。 E−NETには国内だけでなく、海外にいる日本人はじめ多くの多様な人々が参加、湾岸戦争のときには重要な情報源、データ通信メディアとなった。 またE−NETがきっかけとなり、その主要メンバーによって環境行政改革フォーラムと言う全国規模の環境行政改革のNPOができた。 日本で最初の環境問題専門のパソコンネット(E-net)開設(朝日新聞1989)
さらにE−NETは東京都渋谷区恵比寿のマンション屋上に設置した市民環境測定局から大気汚染や二酸化炭素、気象データなどを転送し、常時公開する離れ業を可能とした。大気汚染の測定は自治体などでも使っている本格的な測定機器により実施した。 ■日本で最初の政策、条例づくりを支援 ERIは、国や自治体の環境政策や環境関連制度の立案支援、たとえば川崎市環境基本条例と環境基本計画の制定など、日本で最初の政策、施策、制度づくりを多数支援してきた。 最近までは、青山はほとんどボランティアで長野県の廃棄物、土地利用、まちづくり、環境アセスメント、地球温暖化防止などの条例制定や政策を支援してきた。池田も長野県の環境審議会、総合計画審議会の委員として政策を支援している。 2006年8月、滋賀県知事になった嘉田由紀子さんは、大西、青山、池田の昔からの環境研究の仲間である。 ※ERIが支援した環境政策リスト ※ERIが支援した環境計画リスト 長野県議会主催の政策条例研修会で話す青山貞一長野県環境保全研究所長 ■技術力で価格破壊 さらにERIは高度で複雑な環境シミュレーション技術を生かした研究、業務を得意としている。 従来、大型コンピュータでしかできないとされてきた巨大な環境シミュレーションやデータベースの構築を卓上やノートのパソコン上で行うことに青山、大西、鷹取が日夜意を注いできた。 その結果、20年前までは数億円規模のスパコンでしかできなかった3次元流体計算を10万円そこそこのパソコンで可能としてしまった。 これは学術分野で「価格破壊」を起こしたことを意味する。 その技術を計算サービスとして住民団体に提供する。とともに、自主研究にも援用している。 政府機関が数年の歳月と数千万円かけ行っているこの分野の高度な調査を時間、費用それぞれ1/5〜1/10で行える体制をつくってしまった。もちろん、これでも損はしていない。 逆説すれば、日本のコンサルタントが以下に暴利をむさぼっているか、談合が横行しているかの証左でもある。 「パソコンに残業をさせる」創立間もないころの環境総研紹介記事 (日経産業新聞1987年6月26日) 最初に開発した大気汚染シミュレーションソフト(日経産業新聞) 高速パソコンによる3次元流体モデルによる 超高度な3次元大気拡散シミュレーション(自動車排ガス)
■諸外国の研究所、分析機関と有機的な連携をとる 海外の実績ある分析機関や環境ベンチャー企業との連携も積極的に進めている。 この分野は池田や斎藤の語学能力が最大限に生かされている。 カナダ、米国、ドイツなどの分析ラボと連携し、ダイオキシン、PCB、重金属、VOC、セミVOCはじめ有害化学物質の分析サービスを行っている。常にリーズナブルな価格で敏速なサービスをユーザーに提供するべく、日夜がんばっている。
ERIはこの分野の日本の談合体質に大きな風穴を開けた。全国各地の大学研究室、小規模自治体、企業、NPO、市民が明朗会計な分析サービスを行う道を開いた。 海外機関連携の最初の成果(朝日新聞一面トップ) 土壌を住民と一緒に採取する鷹取調査部長(柳泉園焼却炉の近くで) 焼却灰を含む土壌に含まれるダイオキシン分析(栃木県大田原市にて) アウトソーシングのダイオキシン分析をベースに、1999年から池田が中心となり、松葉を生物指標とした全国ダイオキシン監視調査を市民参加で行っている。 九州、中国地方ではすでに7年にわたり監視調査を継続している。研究成果を国際ダイオキシン会議に英論文とし提出し毎年発表している。また各国の研究者と議論・交流している。
東京23区の松葉ダイオキシン調査結果 松葉で見えたダイオキシン(朝日新聞 科学欄 2002年2月6日) ※松葉ダイオキシン調査関連記事一覧 ■世界に誇れる自主研究 他方、非営利のNGOとして自主研究を数多く手がけてきた。主なものには「湾岸戦争の地球環境への影響予測」(1991)や「ナホトカ号重油流出の環境予測」(1997)などがある。 湾岸戦争では戦争勃発と同時に環境影響予測を開始、戦争終結とともにクウェート、ドバイに現地調査を敢行、データは帰国直後すべて公表した。 ナホトカ号からの日本海重油流出時には、インターネットを使い現地からデータを入手、時々刻々と油隗がどう日本海を漂流するか、パソコンで予測、結果を逐次ホームページに情報提供した。このようにERIは「戦争と環境」や「緊急災害」問題で我が国有数の研究、言論機関となっている。 地球環境保全、日本は範を示すとき(読売新聞 論点) 「湾岸戦争と環境影響」(東京新聞記事) 湾岸戦争の環境負荷、被害を定量的に推計(日経新聞)
本ファイルは、著作権、制作権との関係であくまでも個人的視聴以外は使えません。 湾岸戦争の環境影響調査報告書をまとめた。「ひと」朝日新聞 自動車排ガスによる地球温暖化問題(毎日新聞) 上場企業の環境認識・環境配慮度調査(日経産業新聞1994年4月10日)
日本のダイオキシン汚染状況を報じるジャパンタイムス青山貞一インタビュー記事 環境行政改革フォーラム愛知大学大会一般発表の記事(中日新聞) ■20カ国以上に及ぶ徹底した海外現地調査 ERIの大きな特徴は、海外の研究機関、政府機関、自治体、NPO、それと在日大使館とのつながりだ。 ●カナダ・ノバスコシア州・ハリファックス市(Nova Scotia in Canada) 当然、それらのつながりは一朝一夕にできない。たとえば、カナダのノバスコシア州政府や現地のNPOとの関係ひとつをとってみても、東京から10000km以上から離れたハリファックスまで、青山、池田は今までに5回も往復している。 最初に行ったとき、現地はマイナス20度C、現地の新聞社が私たちに取材にきた。何でこんな遠く、寒いところにわざわざ日本から来たのか? と。当然の質問である。 ※ハリファックス・トリビューン紙の私たちへのインタビュー記事 私たちは「ノバスコシア州、ハリファックス市はゴミ問題、循環型経済型社会づくりで世界のトップランナー。それを見ない手はない」とインタビューに応えた。 それ以来、ERIは30名、20名規模の現地視察団を引率し、現地に行った。斎藤さんはこのとき衆議院議員の秘書として現地視察に参加したひとりである。 2005年には青山が教授をしている武蔵工業大学環境情報学部の準正課授業(海外研修)として学生、大学院生、留学生もNPOらと一緒に現地体験するに至った。 さらに、2006年9月は現地から2名をお呼びし、全国縦断環境政策講演会を函館から福岡まで7カ所で開催した。 ERIは、「こだわる」ことでは人後に落ちない。相手先もおどくくらいだが、そのくらいでないと本当のことは分からない。コミュニケーションも取れないと思っている。 23年前、カナダから来た若い都市計画の研究者をカナダ大使館が私たちに紹介、それ以来はじまったカナダとのつきあいはカナダ各地の研究者、政策マンらと未だにつづいている。在日カナダ大使館も超ミニシンクタンク、ERIにさまざまな便宜を図ってくれている。 カナダ・ノバスコシア州循環型社会構築プログラム海外研修 2005 2006月10月 カナダ・ノヴァスコシア&ハリファックス循環型社会構築のための戦略と政策、全国講演ツアー報告 Japanese Incineration Forcused Waste Manegement and Citzen Involvment by T.Aoyama and K.Ikeda at East Coast Environmental Conference in Halifax, Nova Scotia
カナダ…ノバスコシア州の循環型社会に関する「論点」読売新聞 ●北イタリア・セベソ(Seveso in Northern Italy) 2006年3月、イタリア、北ミラノにある化学工場爆破によるダイオキシン飛散事故で有名なセベソに青山、池田で現地調査ででかけた。事故から既に30年経過している。ミラノのドウーモ(巨大な教会)近くにあるセベソ事故を継続的に研究している財団を訪問したら、やはりそこの研究者らが驚いていた。多くのイタリア人ですら忘れているこの事故を日本人がわざわざ現地まで訪問したからだ。 イタリアのセベソ事故30周年行事直前に現地調査で訪問(2006.3) セベソの現場にて 現地調査により、30年経った今、いくつかの疑問が湧いた。その仮説を2007年8月の環境行政改革フォーラム研究発表大会に論文として提出し問題提起した。 ●クロアチア・ドブロブニク(Dubrovnik in Southern Croatia) 2007年3月、まちづくりの原点、自由と正義、自律を中世の時代から貫徹している都市国家,ドブロブニク(現在はクロアチアの一部)に現地調査を敢行した。 英国のかの劇作家バーナードショウが「ドブロブニクを見ずして天国を語ることなかれ」と言い、さらに旧市街に入る門の上に、「自由はお金では購えない」と書かれていることは、欧州であまりにも有名である。 この小さなまちが都市国家の原点 クロアチアの南端、隣はモンテネグロ 私たちがこのまちにこだわるのは『注目すべきは、対外的に独立、中立を守り、一切自分から戦争を仕掛けず、他方、あらゆる外部からの攻撃を外交や水際でかわし。海運、商業、観光などで経済力を蓄え、その力で世界に冠たる都市国家をハード、ソフトそしてハートの3つの面で構築、現在に至っている点だ。いわば専守防衛とフラットな政治行政システム、そして自律的ビジネスの先端モデルとも言える「自由都市国家」、それがドブロブニ クである。』と、思うからだ。 ドブロブニクのメインストリートにて 衛星画像を3次元立体展開(クロアチアのドブロブニク市) ドブロブニクのすぐとなりが、人口60万人で2006年に独立したモンテネグロ。そこにも現地調査を敢行した。モンテネグロは、中世の地図にドブロブニク(ラグーサ共和国)同様、都市国家として名を連ねている。その中心は、コトル。黒い山とコトル湾の間にへばりつくコトルは、やはり専守防衛の都市国家として独自のまちづくりを行ってきた。 コトルのカテドラルの前で。池田こみち(左)、青山貞一(右) ■多くの環境アドボカシー活動と実績 ERIを特徴づける活動に、環境弱者への専門支援がある。これをアドボケイト・プランニング(Advocate Planning)と呼んでいる。青山が米国で学んだものだ。 設立以来すでに100件を超えるアドボカシー活動を行ってきた。 開発事業者が行う環境アセスメントとは別に、NPOや住民団体からの依頼による代替アセスや住民アセスに積極的に取り組み、大きな計画変更も勝ち取っている。 東京都渋谷区の恵比寿ガーデンプレイス(YGP)、大規模都市再開発事業について住民と事業者からの依頼で行った住民アセスでは、多数の設計変更、環境保全措置を勝ち取り、アセス終了後5年にわたり本格的な環境事後調査を行い、結果を全面公表してきた。
「市民アセス、行政アセスを動かす」(都政新報 1992年 ) 恵比寿ガーデンプレイス調査で使ったERI独自開発のPC情報システム ■言い得て妙、「闘うシンクタンク」 米国にいる友人は、ERIを「闘うシンクタンク」と呼んでいる。 言い得て妙である。
ERIは全国各地の環境紛争、環境訴訟にも積極的に関与し、証拠提出、意見書提出、鑑定人、証人として参加している。係わった環境裁判だけですでに50件を超えている。ERIは多くの環境弁護士と連携してきた。 大きなものでは川崎公害裁判。この裁判では東京高裁の控訴審において、自動車排ガス解析や高度なシミュレーションをもとに東京高裁の証言に立った。 川崎公害訴訟控訴審(東京高等裁判所)青山貞一証人出廷時の記事 読売新聞 1996年2月7日
東京大気汚染裁判や東京都日の出町広域最終処分場操業差し止め裁判でも東京地裁の証言に立っている。
所長の青山は反対尋問にめっぽう強く、ひっきりなしに証人依頼がくる。もちろん勝訴もあれば敗訴もあるが、法廷で第三者としてめいっぱい証言することが重要である。 依頼者には、クリントン時代の米国法務省もあった。厚木基地に隣接する産廃業者からのダイオキシン汚染問題だ。現在はゴミ弁連(約100名の環境弁護士)と連携、日夜がんばっている。 神奈川県厚木米海軍基地に隣接する産廃業者からのダイオキシンを推定する3次元流体モデルによる大気拡散シミュレーション。これが横浜地裁に持ち込まれ青山が証人となり、実質勝訴した。原告は米国法務省 ここ数年は、鷹取、池田も法廷に何度も立っている。 このように規模は超ミニだが、ERIは高度情報化社会における「第三者的研究機関」をめざし、グリーンピース顔負けの活動をすべて自前で展開している。 その行動力と実績は、現在、国際的にも高く評価されている。 まさに、ミッション(社会的使命)、パッション(正義感、情熱)、アクション(行動力)と独自開発の技術をもった闘うシンクタンク、ここにありである。 |