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 ドイツ統一20周年を記念する特別番組
ナチ・ハンターズを見て

池田こみち
5 November 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

 今年は東西ドイツが統一されて20周年記念の年に当たる。

 それを記念してCSのヒストリーチャンネル(History Channnel)では、ヴィーゼンタールによるナチス戦犯の追跡を追ったドキュメンタリーを特集していた。

 番組のタイトルには、「これは真実の探偵物語。秘密工作員たちが、いかにして史上最高の悪人たちを追跡するか」とセンセーショナルに銘打っていた。

以下のURLはHistory Channel UKの番組紹介欄
http://www.history.co.uk/shows/nazi-hunters/about.html#bottomOfHeader

【解説】

 サイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリア=ハンガリー帝国出身 のユダヤ人であり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツによってクラクフ・プワシュフ強制収容所、グロース・ローゼン強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、マウトハウゼン強制収容所などに収容されていた。戦後まで生き延びたヴィーゼンタールは、戦後リンツやウィーンに事務所を構えてドイツ敗戦後に逃亡した戦争犯罪の疑いがあるナチスの追及に尽力した。(Source:Wikipedia)

 今回の特集は以下の#1〜#8の8人の戦犯を順次取り上げていた。私が見たのは、#8のグスタフ・ワーグナー,フランツ・シュタングルの二人で、第二次大戦末期、ナチスドイツが主としてポーランド東部地域のユダヤ人を多数虐殺したとされるソビボルベルゼックトレブリンカの3つの絶滅収容所の所長と看守として悪名高き人物を追跡するものであった。

 昨年のポーランド東部視察旅行で訪れたこともあり、生き伸びた収容者の証言は改めて当時の異常な状況を生々しく映し出し心に迫ってきた。

 ソビボル収容所は鉄道の駅に接して作られた収容所で、貨車に詰め込まれたユダヤ人の多くは駅に到着後30分後には焼却され煙になっていた、という証言が強く印象に残っている。

 フランツ・シュタングル所長やグスタフ・ワグナー看守のユダヤ人収容者に対する凄惨きわまりない扱いについてはかなり正確に映画「Escape from Sobibor」に再現されていた。銃弾を節約するために捕虜二人の頭をくっつけさせ1発で二人を射殺する方法、子ども連れの母親の場合には、最初に母親の目の前で子どもを殺害しそれに覆い被さって守ろうとする母親を撃ち殺すといった痛々しい様子を淡々と語る生き残り証人の言葉が耳に残っている。

 シュタングルとワグナーは戦後、ラットライン(ネズミ道)と言われる逃亡ルート(一説にはローマのバチカン司教の手引きと言われている)を使ってブラジルに逃げ何食わぬ顔で生活しているが、ヴィーゼンタールの執拗かつ周到な追跡によって最終的には逮捕されヨーロッパに連れ戻され戦犯として裁かれる。シュタングルは終身刑を言い渡されるが獄中死する。ワグナーも収監されるが、謎の死を遂げている。一部にはナチの生き残りによる暗殺ではないかとも言われている。

 番組の中で、ブラジルに逃亡し家族と平穏な暮らしをしているワグナーが発見されたというニュースを聞いた元収容所の生き残りの男性が、ブラジルまでわざわざ行って直接対面し、思いの丈をぶつける場面があったが、なんとも胸が詰まる思いだ。そのときワグナーは「御前は生き残ったのだからいいじゃないか」と言ってのけていた。

 戦争は人を狂わせる、改めてその事実に向き合うことが出来た二時間だった。ポーランド東部の3収容所では80万人が犠牲になったとも伝えられている。


<ヒストリーチャンネルで取り上げていた戦犯>

#1 ヘルベルト・ツクルス/#2 アドルフ・アイヒマン

◆ヘルベルト・ツクルスはナチの侵攻後、“リガの絞首刑執行人”と呼ばれ残虐な行動を繰り返し、ラトビアのユダヤ人3万人の虐殺にも関与した。

◆最も悪名高いナチ戦犯の一人であるアドルフ・アイヒマン。600万人のユダヤ人を死に追いやった直接的責任者である。アイヒマンがアルゼンチンにいるという内報を得た後、イスラエル秘密諜報局モサドは工作員を派遣しアイヒマンを誘拐。

#3 クラウス・バルビー/#4 エーリヒ・プリーブケ

◆クラウス・バルビーは、フランスのユダヤ人1万人の命を奪った張本人である。戦後に、彼は刑務所に入ることはなく、中南米に逃亡。

◆エーリヒ・プリーブケは、イタリア史上最悪の残虐行為の一つ、“アルデアティーネ洞窟の大虐殺”の責任者である。

アルゼンチンに逃亡した後、50年もの長きにわたり裁判をうまくかわしてきた。

#5 ヨーゼフ・メンゲレ/#6 クルト・リシュカ

◆すべてのナチ逃亡者の中で最も悪名高い人物。ヨーゼフ・メンゲレ博士は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所での邪悪で加虐的な実験から、“死の天使”の異名をとる。

◆クルト・リシュカは、1942年フランス史上最多数の人々を強制収容所へ連行している。また、3万3千人のユダヤ人殺害に関与している。

#7 ポール・トゥビエ/#8 グスタフ・ワーグナー,フランツ・シュタングル

◆戦時中のフランスで最も極悪人の一人、ポール・トゥビエ。反ユダヤ主義的な裏切り者である彼のニックネームは、“リヨンの死刑執行人”である。

◆フランツ・シュタングルはポーランドの3か所の絶滅収容所を任され、80万人を虐殺した。戦後、シュタングルは、ブラジルに逃亡。

裁判での証言で、別の悪名高いナチ逃亡者も裁判にかけることになる。収容所看守グスタフ・ワーグナーである。