田中康夫知事、誠意なき 朝日新聞の「検証記事」に怒る! 青山貞一 長野県政策アドバイザー 掲載日2005年10月17日、10月20日推敲 10月24日写真追加 |
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県庁1階のガラス張り知事室で朝日新聞社の面々と議論する田中康夫知事 県庁1階のガラス張り知事室で朝日新聞社の面々と議論する澤田副知事 はじめに ここ一年、朝日新聞が起こした主な「事件」を列記してみると、主なものだけをとっても、以下の通りたくさんある。
いずれも天下の公器としての新聞、それも日本を代表する大メディアとして弁明の余地のない論外のものであろう。 ここでは、まず(4)について言及した上で、機会を改め(1)と(3)についても言及したい。 ●朝日新聞長野総局記者による「新党」虚偽・捏造記事事件 最初に言えること、そして重要なことは、田中康夫知事は、周知のように「脱」記者クラブを宣言し、以降、長野県庁では日本の悪しき伝統となっているいわゆる記者クラブ制度を廃止した人物であることだ。人間、田中康夫は、伊達や酔狂に「脱」記者クラブ宣言をしたのではないことだ。 「脱」記者クラブにより、今の長野県では、国の省庁にある記者クラブはじめ、どの自治体にある記者クラブよりも、記者にその気がある場合、知事や県幹部職員への取材が大幅にやり易くなっている、と思える。本メディア(「今日のコラム」:「青山貞一ブログ」)を主宰している私としてそれを強く実感する。 私自身、ここ数年、長野県の特別職、非常勤職員の環境保全研究所長として長野県に勤務した。ここ半年は長野県政策アドバイザーとして、知事や県幹部、職員へのメディアの取材の実態をつぶさに見てきた。 知事会見は、通常の記者クラブとまったく異なり、従来記者クラブに安住し、役所のいわば垂れ流しプレスリリースを「広報記事」化していた大新聞やテレビの記者だけでなく、雑誌記者、さらにNPO系記者やまったくの一市民、個人でも知事や県幹部職員に直接会見場で質問が出せる仕組みになっている。これの意味するとこは想像以上に大きいはずだ。 さらに田中知事自身が後述する会見でも述べているように、通常の会見以外にも、いわゆる「ぶら下がり」や「直撃」取材の機会、可能性も増えている。実際、私の経験でも、会議、打ちあわせが終わり、県庁の1階のガラス張り知事室から外に出てくる、それを待ちかまえて、記者の何度もぶら下がりや直撃の取材を受けている。通常の都道府県では、隔離された知事室と記者の距離は著しく遠く、長野県のような取材は非常に困難である。 しかも、県庁3階での表現センターで行われる知事会見は、会見の直後に音声ファイルとして長野県のホームページにノーカットの音声として掲載されている。さらに、わずか数時間後に、会見及び質疑の一字一句のすべてがテキストとして公開されているのである。おそらくこんな自治体は日本広しといえど、長野県以外には存在しないないだろう。実に今の長野県は国や他の自治体はおろか、民間企業ですらはるかに超える情報提供能力を持っている。これは何ら誇大、過大な評価ではないと思う。まさに実感である。 かくして、記者がその気になれば、天下の大メディア、朝日新聞の記者に限らず、誰でもが知事にいかなる内容の質問、しかも何度も繰り返し質問、取材することが可能である。もし、知事に取材をたしなめられたとしたなら、それは余りにも稚拙、自明な質問をした場合だと記者自身が考えるべきであると、私は推察する。 今の長野県では、このように、あらゆるジャーナリストが大変恵まれた状況にあると思えるのである。 にもかかわらず、地元の有力かつ大メディア記者が、憶測、推測で知事らへの取材なしに、あのような虚偽あるいは捏造記事を2本も出稿し記事としてしまった。これは日本新聞協会が掲げる「新聞倫理」の規定の存在以前の根本的な問題である。取材のイロハにはじまり朝日新聞の組織全般、責任体制に至るまで、事態は深刻である、と思える。 もっぱら、西山氏の記事、すなわち「亀井氏は今月中旬長野県内で田中知事と会談し、国民新党など反対派への協力を要請したと見られている」についてコメントすれば、なぜ、亀井氏が長野県内で田中知事と会談すると言うことを、事実を確認せず、捏造してまで記事にしたかと言う素朴な疑問がわく。田中康夫知事と亀井衆議院議員は以前から知古の関係にあり、どこで会談をしようと、それ自身さして大きなスクープとなるとは思えないからである。 以下は、田中康夫知事が朝日新聞が最初に起こした問題に言及した部分の全容である。知事会見そのものは、平成17年(2005年)8月23日(火)9:00〜10:20、長野県庁3階の表現センターで行われた。この日のテーマは、衆院選についてである。 なお、会見全体はこちらをご覧いただきたい。
事実、上記の会見では、件(くだん)の朝日新聞長野総局の西山卓記者自身が田中康夫知事に、衆院選挙に関連した質問を<直前>にしていることが分かる。 確認は、こちら。 西山記者が書いた記事は当然のことながら大きな問題となった。 その後、朝日新聞は、この虚偽、捏造記事問題に関連し、本紙で3頁にわたり大部な「検証記事」を新聞紙面に掲載した。 だが、いかにも朝日新聞社と言えることが起こった。それは検証過程で、当の張本人である田中康夫長野県知事に面談、電話、fax、メールなど媒体を問わず、一切接触していなかったことが、知事が行った県庁での会見で分かったのである。 これでは朝日新聞の大幹部が関連する幹部を更迭し、当該記者を免職とし、読者に紙面で謝罪したとしても、何ら新聞社としての本質的な課題を解決したことにはならない。 つまり当人に何ら取材せず記事を憶測で書き、チェック、クロスチェックせずに記事としたことがこの事件の中心的な問題であるのに、その検証過程で、一度も当の本人に接触せず、事実関係、実態の把握、検証もせずに<検証記事>を公表していることが大いに問われるのである。 その結果、次の記事にあるいわば悪のスパイラルに突入することになってしまった。
以下は、上記の記事のもとになった平成17年(2005年)10月11日(火)18:40〜19:25、長野県庁3階にある表現センターで行われた9月定例県議会を終えての知事会見における関連部分の全容(ノーカット)である。 なお、会見全体はこちらをご覧いただきたい。
文藝春秋誌における田中康夫氏の発言
結局、アリバイ的に検証記事を掲載したり、関係社員の処分をしたものの、朝日新聞社は新聞にとってもっとも大切な「事実報道」と言う原則をその<検証記事>においても置き忘れてしまったのである。 私見では、これは何も朝日新聞だけのことではない、と思っている。新聞、テレビ、雑誌などどのメディアでも程度の差こそあれ、やってきたことだ。 ただ、今回の事件でもっとも「朝日らしさ」がでていることがあるとすれば、それはやはり直接的に被害を与えた当事者をさておき、いかにも読者に向かって<検証記事>なるものを大々的に公表していることだ。 いまさらいうまでもなく、田中康夫氏は知事になる以前から、ことメディアに関しては人一倍、いや人十倍も感度が高いひとである。知事になった後も、このようなアティチュードはまったく変わっていない。おそらく我が国の知事に限らず、あまたいる政治家のなかで、もっともメディアそして情報感度が高い人物であると思う。 朝日新聞の大きなそして不可逆的な廃嫡は、何度となく、問題解決する機会があったにもかかわらず、一貫して最も直近の被害を与えた当事者であるはずの田中知事に<ほうれん草>、すなわち報告、連絡、相談をせず、あたかも自分たちはこれだけ真摯に対応したんだぞとばかり、膨大な<検証記事>を公表したことだと、私は思っている。 もちろん新聞にとって読者は大切であり重要である。だが、報道により直接被害を与えたひと、それがたとえ知事と言う、いつでも会見が開ける公人であったとしても、そのひとに直に接することなく、お詫びのアリバイづくりに精をだしたろころに、取り返しがつかないこと、があったと考える。 |