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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破

ホリールード宮殿の内部
Insice The Palace of Holyroodhouse

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年12月10日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo
無断転載禁


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ホリールード宮殿   ホリールード宮殿の内部  
聖ジャイルズ大聖堂   ジョン・ノックス牧師


 以下はホリールード宮殿の内部・内装と管理です。私たちは世界各国の宮殿を見てきましたが、ホリールード宮殿の内装は稀有で、秀逸、第一級といえます。

◆ホリールード宮殿内部 Inside and interior of Holyrood Palace
 
   本稿の主な出典は Wikipedia です。

 15世紀、現在の宮殿北側にゲストハウスが建てられました。宮殿建設前にはスコットランド中世の王たちの多くがここに泊まりましたが、15世紀後半から宮殿は王の住居となりました。

 ホリールードで1430年に生まれたジェームズ2世は、ここで戴冠し、結婚しています。1498年から1501年まで、ジェームズ4世はホリールードを言葉通りの宮殿にすべく、新しい建築物を建てました。


国王の住居
出典:Royal Collection Trust



メアリー・ステュアートが好んで使ったエジンバラにあるホリールー宮殿の内部
出典:Royal Collection Trust



宮殿内のメアリー1世の寝室
Source: Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0, Link


 宮殿は、寺院の西側の回廊に位置し、四角形に建てられました。

 礼拝堂、ギャラリー、王族の居室、大ホールを含んでいます。


謁見室
出典:Royal Collection Trust



グレートギャラリー
出典:Royal Collection Trust



ホリールード宮殿の宝物
出典:Royal Collection Trust


 礼拝堂は現在の北部分にあり、女王の私室は南部分にあります。宮殿の玄関と王のロッジは西側です。ジェームズ5世は、1528年から1536年の間に現在の北西塔を加えました。この塔には、かつてメアリー1世が住んでいた部屋があります。

 ほとんどの部屋の木造の天井はメアリー1世の治世からあり、MR(Maria Regina)とIR(Jacobus Rex)というモノグラムが記されています(MRはメアリー1世、IRは長男ジェームズ6世(1世)を意味します)。

 メアリーとフランソワ2世の結婚を記念して作られた紋章は1559年に刻まれたと信じられていますが、1617年からあることがわかっています。謁見の間と女王の寝室は、2つの小塔のある部屋です。

 北側の小塔の部屋では、1565年3月9日、メアリーのいる前で彼女の秘書ダヴィド・リッツィオの殺害が行われました。その後何世紀も、旅行客は床にしみたリッツィオの血痕を見ることができました。

 ジェームズ6世が1603年にイングランド王位に就くためロンドンへ去ると、宮殿はもはや半永久的な王宮の座ではなくなりました。ジェームズが再訪したのは1617年です。チャールズ1世は1633年に訪問し、ホリールード僧院でスコットランド王として戴冠しました。

 1650年、事故か策略のどちらか不明ですが、宮殿はオリヴァー・クロムウェルと配下の兵士らが滞在中に炎上しました。クロムウェルは宮殿を再度立て直したが、彼の再建部分はチャールズ2世の命で再度建設し直され、1671年から8年かけて建築家ウィリアム・ブルースの手で現在の形にされました。

 ジェームズ7世(2世)はカトリック排斥の結果、軍の職を解かれ、1679年から1682年までホリールードに住んでいました。

 1707年の後、宮殿はスコットランド貴族の議員選出の場として使われました。チャールズ・エドワード・ステュアートはジャコバイト運動の盛り上がった1745年の5週間、ホリールードに滞在しました。

 フランス革命が勃発すると、ジョージ3世は、ルイ16世の弟アルトワ伯シャルル(のちのシャルル10世)をホリールードに住まわせています。シャルルらが王座を追われ2度目の亡命を図ると、1830年から1832年までホリールードに再び暮らし、オーストリア帝国へ移ってゆきました。

 現代になると、王は少なくとも宮殿で1週間滞在しています。現女王エリザベス2世は、公式行事の一環でスコットランドを訪問すると必ず滞在しています(私的滞在にはバルモラル宮殿を利用)。この利用法は、1999年にスコットランド議会が成立してからのことです。


ホーリールード宮殿の入り口の外のロイヤル・スコットランド連隊の門番(Sentries)。
Source: Wikimedia Commons
By Philip Allfrey - Taken by the author, CC BY-SA 2.5, Link


 プリンス・オブ・ウェールズ・チャールズ、アン王女らイギリス王室のメンバーがしばしば滞在しています。一時は、スコットランドとつながりのある王女アンが自身の住居にするのではないかと広く期待されていました。

 宮殿において、エリザベス2世はスコットランド上級相と面会します。イギリスがEUの議長国であったとき、欧州会議がここで開催されています。

 エリザベス2世や王室メンバーの滞在がない場合、宮殿は一般に公開されています。

宮殿の管理人

 1646年に、チャールズ1世が初代ハミルトン公ジェイムズ・ハミルトンを『ホリールードの管理人』に指名して以来、現在までその子孫が世襲してポストを守っています。

 この職はスコットランド宮廷における称号の一つとなっています。ホリールードハウスを囲むホリールード公園の管理人は別の称号となっており、こちらはハディントン伯家の世襲です。


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