おとぎの国のようなオランダの北海に面する片田舎のむら、ペッテンで一泊した後、私たちは、北オランダ地域の最北端にあるデン・ヘルダーにバスで向かった。バスはやはり1時間に1本しか走らない。
バスを乗り換えデン・ヘルダーまで約1時間で到着した。 オランダの国土は何しろ平坦だ。山はもとより丘すらない。もちろん谷もない。行けども行けども同じような農村風景が続く。あちこちに風車が見える。古いタイプの風車、最新鋭の風力発電風車などなど。 ところでオランダ国内には便利なconnexxion と言うバスシステムがある。一度切符を買えば、周遊券のように何度も使えると言うこととは別に、バスからバスへの乗り換えが時間的うまくつながるようになっている。
デン・ヘルダーは北オランダ最大のまちだ。それだけあって、このまちには大きなショッピングモールもある。 結構長いモールをそこを抜けるとオランダ海軍博物館があった。時間もあったのでオランダ海軍博物館に入る。この博物館はオランダを知る上で結構面白かった。承知のように、世界史上、中世から近代において世界の海を制していたのは、スペイン、オランダ、イギリスである。と言うようにオランダはスペインの無敵艦隊の後、世界の海を仕切っていた一時代がある。 事実、オランダ領は西インド諸島はじめアフリカ、それにインドネシアなど全世界にある(あった)。博物館にはそんな時代から現代まで、オランダ海軍の歴史が文物とともに展示してあった。 明治維新には榎本武揚などもオランダに来ている。文久2年(1862)オランダに江戸幕府が開陽丸発注に伴い、榎本武揚は派遣留学生となった。オランダで航海・砲・造船・機関の諸学や国際法を学び、慶応2年(1866)幕府発注の開陽丸をオランダから運行して帰国している。 江戸時代は「鎖国」時代であったが、唯一対外的に開かれていたのが長崎の出島である。江戸時代に来航したオランダ船は1621年〜1847年の約230年間に700隻以上にのぼっている。それだけを見ても日本とオランダとの海、船を巡る交流の歴史を学ぶことの意味は大きい。 海軍博物館の真ん前は、オランダの地球温暖化防衛の最前線、北海との接点(大堤防)である。国土の大部分が海水面より7−10m低いオランダを、温暖化による海水面上昇から防衛する最前線があった。写真にあるように実に立派な大堤防(巨大構造物)である。最突端に、北海と言う名のレストランがあった。ここで昼食をとり、一路、ペッテン、アルクマール、アムステルダムのスキポール経由で帰路(成田)に向かった。
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