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佐渡現地視察総合目次 ここで佐渡(佐渡市)の概要を紹介しておこう。 ◆佐渡島の概要 人口及びその推移 佐渡島(さどしま、さどがしま)は、新潟県西部に位置する周囲262.7kmの島で、その全域が新潟県佐渡市である。人口は58,047人(2014年12月1日)、 57,255人(2016年11月28日)であり、戦後の人口推移は以下のとおりである。単調減少となっている。 なお、江戸時代(寛保元年:1741年)には、93,334人という情報もあり、佐渡金山往時の繁栄がわかる。 実際、寛保元年(1741)の記録によると、江戸時代の寛保元年の人口は93,334人だが、明治5年(1872)には106,262人となっている。 さらに、佐渡の一番人口の多かったのは、第二次世界大戦後の昭和25年(1950)で125,597人であり、現在の2倍以上あった。 参考:「エスライフ」オフィシャル 出典:佐渡市 以下は佐渡の主要地域の人口推移である。両津、相川だけでなくいずれも単調減少している。相川は佐渡金山がある地域、両津は新潟港と佐渡を結ぶ港がある地域である。 今回の旅行では、以下のすべての地域に滞在、視察、通過している。 地域別 総人口の推移
面積は854.76km2。これは、島嶼部を除いた東京都(東京23区・多摩地域)の面積1791.47km2の約48%にあたり、大阪府の面積1897.86km2の約45%に相当する。本州などの主要4島と北方領土を除く日本の島の中で沖縄本島に次ぐ面積を持つ。 地理・地形 また周囲262.7kmの距離は概ね本州を横断する上越新幹線(大宮駅-新潟駅約100分)の路線距離269.5kmに相当する。最高標高は金北山の1,172mで、その西隣の妙見山(標高1,042m)山頂には日本海の一定空域を監視する自衛隊のレーダーサイトがある。 地形図:Wikimedia Commons 佐渡島はカタカナの「エ」、または、アルファベットの「S」の字形に似た特徴的な形の島である。 地形は3つに大別できる。北に大佐渡山地(おおさどさんち)、南に小佐渡山地(こさどさんち)、この2つの間に穀倉地帯の国仲平野(くになかへいや)が広がる。 大佐渡山地の方が高く、最も高い金北山 (1,172m) がある。小佐渡山地の最高点は大地山 (645m) である。佐渡全域が佐渡弥彦米山国定公園に含まれる。 大佐渡山地の北側海岸は、山が海に迫る景勝地で、断崖絶壁そして無数の岩礁が約50kmにわたって連なり、中でも尖閣湾が有名である。小佐渡山地は、大佐渡山地に見られる荒々しさがなく、自生のみかんや茶も見られる穏やかな丘陵地帯となっている。 地形図 出典:グーグルマップ 国仲平野は、島の平野としては広く、多くの川で潤い、水稲栽培が行われている。国仲平野の西側に真野湾、東側に両津湾がある。国仲平野を流れる国府川は真野湾に注ぐ。国仲平野の東端にあり、新潟県で最大の湖である加茂湖(汽水湖)と真野湾の二ヶ所でカキの養殖が行われている。 気候・気象 佐渡全体としては、佐渡沖を暖流の対馬海流が流れている影響から、冬は新潟県の本土側に比べて、気温が1〜2度ほど高く積雪は少ない。ただし、大佐渡山地の北西側の相川地域のように、北西方向からの季節風を受ける地域もある。夏は周りが海のため、朝と夜の温度差は本土のそれより小さく、気温は新潟県の本土側に比べ1〜2度程度涼しい。 以下は佐渡市両津の気温と降水量の推移グラフである。 出典:ZenThech 佐渡島内を個別に見ると気候は三分でき、大佐渡山地の北側は日本海からの風の影響で積雪があり、小佐渡山地の南側は比較的温暖で積雪は少ない。国仲平野はその中間くらいである。 暖流と寒流の接点にあるため、植生に極めて富んでおり、島内で北海道・沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域である。また、暖流にのって現れるシイラ、カツオ、アオリイカ、寒流にのって現れるブリなどの多様な水産物にも恵まれている。 歴史 大化の改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。順徳天皇、世阿弥、日蓮、日野資朝などが配流された地でもある。 鎌倉時代以降は、本間氏が守護代として佐渡を支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。 関ヶ原の戦いの後、佐渡は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)には佐渡金山が発見された。佐渡では、それ以前の戦国時代中期頃から、鶴子銀山等で銀が採掘されていたが、佐渡金山の金の産出量は群を抜いて多く、そのため、江戸幕府は、藩を置かずに佐渡を天領として、佐渡奉行所を相川に置き、幕府自ら直接統治を行った。明治維新では戦火を免れた。 明治以降は佐渡県、後に相川県が置かれたが、1876年(明治9年)、新潟県に編入された。 佐渡の沿革の詳細 「佐渡」の名称 平城宮木簡には「佐度国」と表記されている。 国が建てられた時期は不明。初見は文武天皇4年(700年)に遡る。天平15年(743年)2月11日に越後国に合同した(『続日本紀』)。天平勝宝4年 (752年) 11月3日に元に復した。 もと雑太郡一郡のみの国であったが、養老5年(721年)に雑太郡、加茂郡、羽茂郡の三郡に分けられた。後、明治29年(1896年)に佐渡郡一郡にまとめられた。 近代以降の沿革 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が佐渡奉行が管轄する幕府領。なお、羽茂郡のごく一部に寺社領が所在。(262村・132,687石余)加茂郡(100村・47,503石余)、羽茂郡(62村・21,943石余)、雑太郡(100村63,239石余) ・慶応4年 4月15日(1868年5月7日) - 新政府が佐渡奉行が置かれた佐渡国雑太郡相川広間町(現在の新潟県佐渡市相川広間町1-1)にあった佐渡奉行所に佐渡裁判所を設置。 9月2日(1868年10月17日) - 佐渡裁判所を廃止し、佐渡県(第1次)を設置。 ・明治元年 11月5日(1868年12月18日) - 佐渡国が新潟府の管轄となり、佐渡県が業務を停止。 ・明治2年 2月22日(1869年4月3日) - 佐渡国の管轄が新潟府から越後府に変更。 7月20日(1869年8月27日) - 越後府による管轄が解除され、佐渡県(第2次) を再置。 ・明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により相川県に改称。 ・明治9年(1876年4月18日) - 第2次府県統合により新潟県に合併。同日相川県廃止 文化 西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたこと、また配流者が伝えた文化も含めた貴族文化や武家文化、町人文化が一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれる。 方言は佐渡弁と言われるもので、西日本方言の北陸方言に属している。 また、京都から流罪された文人・政治家などが都の文化を伝えた影響からかさまざまな伝統芸能が受け継がれている。有名なのは能である。江戸時代には200を超える能舞台があり、現在も32余りの能舞台が残っている。 人口当たりの能舞台数は、江戸時代も現在も全国一となっている。これらの能舞台は、今も、春から秋にかけ薪能などイベントや祭りで利用されており、各地区の希望する子供達が大人から指導を受けて演じている。これは能の大成者である世阿弥が配流された影響であるといわれている。古浄瑠璃、文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞なども代々受け継がれ、現存している。 佐渡金山は最盛期には、国内一の金産出量を誇っていたが、江戸時代の終わりごろから衰退し1951年に商業採掘は終了したため、現在では金の採掘は行われていない。 残された多くの史跡や博物館等の資料館で当時の様子をうかがい知ることができる。他に、順徳天皇や日蓮ゆかりの寺などの、歴史的な神社仏閣が保存されており、こうした様々な史跡めぐりをする観光客が毎年訪れている。佐渡島には「鬼太鼓」という神事芸能が300年伝わっている。太鼓の音に合わせて鬼の面をつけて舞う。 寺院と神社 青山の概括調査では、佐渡全体で現在、神社が約60か所あり、池田の概括調査では佐渡には往時には相川地区だけで136か所の寺院があったと推定されている(参考:田中圭恵一、佐渡 相川の寺院についての研究論文)。 また現在でも佐渡全体でで150か所以上の寺院があったというデータもある。さらに神社の約1/3は白山神社、同じく約1/3は諏訪神社である。 主な寺院:根本寺、長谷寺、妙宣寺、妙照寺、華峰寺、正法寺、禅長寺、 本龍寺、妙法寺、安隆寺、光輪寺、本行寺、長松寺、大蓮寺、 大聖院、東光院、照覚寺、総源寺、玉林寺、願誓寺、地西院、 万照寺、善光寺、儀蔵寺、本光寺、照光寺、大光寺、大慶寺、 真楽寺、常慶寺、称念寺、定福寺、慶徳寺、船城寺、海潮寺その他 根本寺の本堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 能舞台を持つ主な寺院: 大膳神社(真野 竹田) 〒952-0302 新潟県佐渡市竹田562ー1 羽黒神社(金井 安養寺) 〒952-0004 新潟県佐渡市羽吉 諏訪神社(真野 豊田) 〒952-0312 新潟県佐渡市吉岡776 二宮神社(佐和田 二宮) 〒952-0312 新潟県佐渡市吉岡776 白山神社(羽茂 大崎) 〒952-0502 新潟県佐渡市羽茂大崎1650 白山神社(羽茂 滝平) 〒952-0501 新潟県佐渡市羽茂滝平152 本間家 (両津 吾潟) 〒952-3421 新潟県佐渡市吾潟987 諏訪神社(両津 原黒) 〒952-0016 新潟県佐渡市原黒 牛尾神社(新穂 潟上) 〒952-0103 新潟県佐渡市新穂潟上2532 白山神社(羽茂 小泊) 〒952-0514 新潟県佐渡市羽茂小泊1494 草苅神社(羽茂 本郷) 〒952-0504 新潟県佐渡市羽茂本郷1698 気比神社(真野 椿尾) 〒952-0101 新潟県佐渡市新穂長畝 大膳神社の能舞台 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 上記以外に著名な能舞台をもつ神社。 原黒諏訪神社能舞台 潟端諏訪神社能舞台 牛尾神社能舞台 熊野神社能舞台 春日神社能舞台 二宮神社能舞台 八幡若宮神社能舞台 島内外の交通 以下の3航路に佐渡汽船のフェリー船などが就航している。 新潟港〜両津港航路 直江津港〜小木港行路 寺泊港〜赤泊港行路 新潟県の本土側と佐渡島の間には以下の3つのフェリールートがある。今回行きで利用した直江津港ー小木港ルート、寺泊ー赤泊ルート、そして新潟港ー両津港ルートの3つである。このうち、一番歴史、文化的見地から情緒があるのが両津港と言える。 出典:佐渡汽船 道路 県道45号線が佐渡を一周する道路となっている。 出典:Wikimedia Commons 上記一周道路に接続する佐渡市内の主要道路(接続道路)には以下がある。なお、佐渡には有料道路、高速道路、自動車専用道路はない。 国道350号(窪田交差点) 新潟県道31号相川佐和田線(沢根) 新潟県道31号相川佐和田線(相川下戸交差点) 新潟県道463号白雲台乙和池相川線 大佐渡スカイライン(相川大間町) 新潟県道81号佐渡縦貫線(高千) 新潟県道81号佐渡縦貫線(梅津船場町) 国道350号(夷二ノ町交差点 - 両津支所前交差点) 新潟県道65号両津真野赤泊線(両津支所前交差点) 新潟県道319号赤玉両津港線(河崎) 新潟県道319号赤玉両津港線(赤玉) 新潟県道181号多田皆川金井線(多田) 新潟県道65号両津真野赤泊線(赤泊) 新潟県道81号佐渡縦貫線(大橋) 国道350号(木野浦 - 小木町) またバイパスは以下の通り。 外海府海岸南道路 鹿ノ浦バイパス 外海府海岸北道路 内海府海岸道路 黒姫バイパス 東海岸道路 前浜北道路 柿野浦バイパス 今回私たちは行は直江津港から佐渡の小木港に入港し、帰りは両津港から新潟港に入港している。また小木港到着後、最初に以下のルートで両津港まで走行した。約41km、1時間でああった。 出典:グーグルマップ 佐渡には県の設置管理による地方飛行場もあるが、現在無期限の閉鎖中。今後、滑走路を長くし再開する計画もある。詳細 所属自治体 かつては、両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村が存在していたが、2004年(平成16年)、島内全ての地方公共団体が平成の大合併をし、現在は佐渡市1市のみとなっている。 行政 市長:三浦基裕(2016年4月18日就任、1期目) 市役所・支所 庁舎 所在地 市役所(金井地区) 〒952-1292 佐渡市千種232 両津支所 〒952-8501 佐渡市両津湊198 相川支所 〒952-1592 佐渡市相川栄町27 羽茂支所 〒952-0504 佐渡市羽茂本郷550 佐和田行政サービスセンター 〒952-1393 佐渡市河原田本町394 新穂行政サービスセンター 〒952-0106 佐渡市新穂瓜生屋490 畑野行政サービスセンター 〒952-0206 佐渡市畑野甲533 真野行政サービスセンター 〒952-0318 佐渡市真野新町489 小木行政サービスセンター 〒952-0604 佐渡市小木町1940-1 赤泊行政サービスセンター 〒952-0706 佐渡市徳和2376-3 立法 市議会 定数:22 任期:2016年4月18日 - 2020年4月17日 議長:岩ア隆寿(無会派) 副議長:金田淳一(新生クラブ) 会派名 議席数 議員名(◎は代表) 新生クラブ 5 ◎佐藤孝、金田淳一、駒形信雄、上杉育子、広瀬大海 政風会 3 ◎中川隆一、室岡啓史、北啓 日本共産党市議団 2 ◎中川直美、中村良夫 市政会 2 ◎竹内道廣、猪股文彦 地域政策研究会 2 ◎祝優雄、渡辺慎一 政友会 1 ◎坂下善英 公明党 1 ◎山田伸之 国民民主党 1 ◎近藤和義 無会派 4 宇治沙耶花、荒井眞理、大森幸平、岩ア隆寿 計(欠員1) 21 ※2020年の選挙から定数21に変更。 県議会 定数:2 任期:2015年4月30日 - 2019年4月29日 議員名 会派名 当選回数 中野洸 自由民主党 6 佐藤久雄 無所属 2 衆議院 選挙区:新潟県第2区(佐渡市、新潟市西蒲区・南区・西区、柏崎市、燕市、長岡市、西蒲原郡、三島郡、刈羽郡) 任期:2017年10月22日 - 2021年10月21日 議員名 党派名 当選回数 備考 鷲尾英一郎 無所属 5 選挙区 細田健一 自由民主党 3 比例復活 司法 裁判所 新潟地方裁判所佐渡支部 新潟家庭裁判所佐渡支部 佐渡簡易裁判所 流罪と文化 流罪にされる場合、暴力犯より政治犯が往々にして遠くに飛ばされる。政治犯は多くの場合文化人であり、特に古い時代は貴族等位の高い者が多かった。したがって、その様な人物が多数流される地には豊かな文化が伝えられ、栄える例が多い。 日本では佐渡島等がその例に挙げられる。琉球王朝の場合、これに当たるのが八重山であり、特に波照間島が有名である。 なお、室町時代中期から末期(戦国時代)における流罪は、幕府の秩序が京都近辺にしか及んでいないことから、流刑地にたどり着くまでに落人狩りによって命を落とすケースが多く、実質的な死刑として機能していた時期があった。 佐渡の流刑者については以下を参照のこと。 佐渡の歴史と三大流刑者(順徳天皇、日蓮上人、世阿弥) 以上、主な出典は Wikipedia、個別グラフ、表などはそれぞれの下に明記。 つづく |