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旧中山道、信州 宿場探訪

長安寺(長和町)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
Alternative Media E-wave Tokyo
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◆長安寺

 長和町の和田宿から長久保に向かう途中、曹洞宗の長安寺がありました。


出典:グーグルマップ

 長安寺は長久保宿のカギ型地区のすぐ近くの142号線沿いにあります。


カギ型に曲がった珍しい形の宿場町 長久保宿
出典:中山道六十九次 旧中山道地図 旧街道地図

 長安寺の開創は元和4年(1618年)と古く、本寺は上田市にあります武石山信廣寺とのことです。この寺は桜で有名のようですが、私達が訪問した際、すでに満開時期は過ぎていました。

 下の写真は長安寺の山門から国道142号線をみたところです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4

 下は長安寺の略歴です。開創は元和4年(1618年)となっています。


長安寺の略歴です。開創は元和4年(1619年)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 下は長安寺の本堂です。


長安寺の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


長安寺の本堂
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4

 長安寺は、徳川家康の生母、「於大の方」の位牌を安置しているとあります! この「於大の方」の墓は東京都文京区小石川の伝通院にあります。

◆青山貞一・池田こみち: 家康の母(於大の方)の菩提寺 伝通院

◆長安寺(長和町)概要: 

 
長安寺の創建は元和4年(1618)依田川辺にあった宮昌庵(阿弥陀堂)を曹洞宗の道場としたのが始まりと伝えられています。

 寛永4年(1627)に当時の小諸城主松平憲良が開基となり「於大の方」(徳川家康の生母)の位牌を安置、さらに寛永7年(1630)洪水で大破した堂宇を現在地に再建し長安寺と改称しています。

 現在の経蔵は江戸時代末期に建てられたもので明治4年(1871)の火事で本堂他多くの堂宇が焼失する中唯一当時の建物として残されています。

 経蔵の天上は格天井で狩野派絵師の武重桃堂など多くの絵画で彩られ内部には朱塗りの八角輪蔵(内部には大般若経600巻)が収められています。

 長安寺経蔵は昭和53年(1978)に長和町指定有形文化財に指定されています。宗派は曹洞宗。本尊釈迦如来像。

出典:長久保宿(信濃路): 長安寺

 下は長安寺の鐘楼です。


長安寺の鐘楼
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 下は長安寺の経蔵です。


長安寺の経蔵
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4

「経蔵」   
       
 本堂の境内にある「経蔵」は昭和五十三年長門町指定文化財に指定されました。江戸末期の建立と推定。明治四年の火災で本堂は焼失しましたが、経蔵は難をのがれ無事でした。

 また格(ごう)天井には狩野派の絵師・武重桃堂のほか多くの絵画が飾られ当時の美しさを保っています。そして、経文を収める回転式の書庫、輪蔵などあり、大般若経六百巻が収められています。

 「輪蔵」は朱塗の八角で高さ3.5m、巾2.2mで閲覧を便利にしたり、文旨でも閲覧と同じ功徳が得られるよう考案される様式となっています。

 長和町指定文化財


長安寺の経蔵
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


つづく