731部隊関与者のその後 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 編 2017年9月30日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
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総合目次へ 731部隊の推定組織 731部隊に関与した医師・医学者 731部隊関与者のその後 ◆731部隊に関与した医者、医学者の その後(国立予防研究所で返り咲き者) 以下の表は、戦前の伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)から731部隊にさまざまな植生で参加し人体実験などに関与し、戦後、国立予防衛生研究所を経由し、国立感染症研究所の所長や部長となった研究者のリストである。 , 731部隊の多くの関係者は、人体実験データなどを米国に渡すことをバーターとして、ロシアのハバロフスク裁判の被告となった者以外は、全員刑事訴追を免れて、その後日本に渡り、京大、東大などの総長や医学部長などになっている。 以下の資料は、そのうち、戦前伝染病研究所(現在、東大医科研)から731部隊に参加し、戦後、国立予防衛生研究所を経由し国立感染症研究所の幹部となった研究者のリストである。 主な出典:この世の地獄!水俣病・731部隊・南京大虐殺 ◆731部隊と伝染病研究所(のちの東京大学医科学研究所) 東京大学医科学研究所(通称、医科研)は、初代所長が北里柴三郎でありいわばエリート医学者のための研究所でもある。
戦後、上記の多くが東大医学部教授などとなっているが、731部隊長、北野政次が伝染病研究所に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われているる。 また戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界の重鎮として君臨したという情報もある。 主な出典:この世の地獄!水俣病・731部隊・南京大虐殺伝染病研究所(のちの東京大学医科学研究所)-歴代所長 初代 北里 柴三郎 明治25.11.30 〜 大正3.11.5 事務取扱 福原 鐐二郎 大正3.11.5 〜 大正4.1.15 第2代 青山 胤通 大正4.1.15 〜 大正5.3.31 第3代 林 春雄 大正5.4.1 〜 大正8.6.4 第4代 長与 又郎 大正8.6.4 〜 昭和9.2.1 第5代 宮川 米次 昭和9.2.1 〜 昭和15.11.20 第6代 三田村 篤志郎 昭和15.11.20 〜 昭和19.5.13 第7代 田宮 猛雄 昭和19.5.13 〜 昭和24.3.31 第8代 長谷川 秀治 昭和24.3.31 〜 昭和31.3.15 第9代 武田 徳晴 昭和31.3.15 〜 昭和31.12.1 第10代 長野 泰一 昭和31.12.1 〜 昭和33.12.1 第11代 工藤 正四郎 昭和33.12.1 〜 昭和40.4.1 第12代 山本 郁夫 昭和40.4.1 〜 昭和43.11.14 第13代 佐々 学 昭和43.11.14 〜 昭和46.7.22 事務取扱 常松 之典 昭和46.7.22 〜 昭和46.12.31 第14代 佐々 学 昭和47.1.1 〜 昭和48.6.30 第15代 山本 正 昭和48.7.1 〜 昭和52.3.31 第16代 下條 寛人 昭和52.4.1 〜 昭和54.3.31 第17代 積田 亨 昭和54.4.1 〜 昭和58.3.31 第18代 小高 健 昭和58.4.1 〜 昭和62.3.31 第19代 豊島 久眞男 昭和62.4.1 〜 平成2.3.31 第20代 木幡 陽 平成2.4.1 〜 平成4.3.31 第21代 廣澤 一成 平成4.4.1 〜 平成8.3.31 第22代 吉田 光昭 平成8.4.1 〜 平成10.3.31 第23代 新井 賢一 平成10.4.1 〜 平成15.3.31 第24代 山本 雅 平成15.4.1 〜 平成19.3.31 第25代 清木 元治 平成19.4.1 〜 平成23.3.31 第26代 清野 宏 平成23.4.1 〜 平成27.3.31 第27代 村上 善則 平成27.4.1 〜 総合目次へ |