アンコール遺跡群現地調査報告 コーケル2(Koh Ker) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年1月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
アンコール遺跡全体目次 <北東部郊外の寺院・遺跡> バンテアイ・スレイ1 バンテアイ・スレイ2 バンテアイ・スレイ3 バンテアイ・スレイ4 バンテアイ・スレイ5 プノン・クーレン クバール・スピアン1 クバール・スピアン2 クバール・スピアン3 べンメリア1 べンメリア2 ベンメリア3 ベンメリア4 コーケル1 コーケル2 コーケル3 コーケル4 コーケル5 ◆コーケル(Koh Ker)の歴史 コーケルの有力者だったジャヤーヴァルマン4世は王位につくと、アンコールからコーケルに都を遷しました。その息子のハルシャヴァルマン2世もコーケルの都を継ぎました。 次のラージェンドラヴァルマン王がアンコール地域に都を戻したため、コーケルに都があったのは928年から944年頃までのわずか16年間です。 コーケル遺跡群の中心にあるのは、プラサット・トム寺院遺跡で、階段状のピラミッド型をしています。その他、男性器の象徴をしたリンガをモチーフにした祠堂など約30の寺院遺跡が残っています。 ◆コーケル(Koh Ker)の特徴 コーケルは、アンコール遺跡の郊外遺跡の中でも奥地にあります。長い間、手つかずのままひっそりと眠っていたため、崩壊は進んでいますが、見ごたえのある遺跡です。 特に階段状のピラミッド型をしているプラサット・トム寺院遺跡は、現在、手すりが整備されて頂上へ登ることができるようになりました。 この頂上から、ここでしか見られない絶景があります。それは地平線まで見渡す限りの密林が、360度に渡って広がっているもので、とても迫力のある景色です。 ◆コーケルの詳細 コーケル(Koh Ker)は、シェムリアップの北東部、約120キロメートル(75マイル)離れた位置にある古代アンコール遺跡です。この地域は人口が少なくジャングル地域です。 今までに保護された81平方キロメートルの敷地内に、180以上の聖域が発見されました。しかも、コーケル(Koh Ker)遺跡は完全には破壊されていません。 コーケルはクメール帝国の重要な都市のひとつと言えます。碑文では、この町はリンガムの町(Lingapura)またはChok Gargyarとされています。 Ancient script from the ruins of Koh Ker Source:Wikimedia Commons 王の治世下としては、ジャヤーヴァルマン4世(Jayavarman IV)とその息子ハルシャヴァルマン2世(Harshavarman II) の時、コーケル(Koh Ker)がクメール王朝全体の首都でした。西暦では928年 - 944年のわずか16年間です。 ジャヤーヴァルマン四世は野心的な建築計画を実施に移しました。 巨大な貯水池(バライ)と約40の寺院が彼の支配の下で建設されました。最も重要な寺院群の二重の聖域(Prasat Thom / Prang)は直線状の伽藍配置であり、クメール王の大部分の寺院のような同心円状の施設配置にはなっていません。 注)Prasatとは十字型の間取りをした大きな神殿 (サンスクリット語の建築用語のプラサーダprasddaが語源)。Prangとは (仏塔)の全体または一部となるクメール様式の塔を意味しています。 比類のないものとして、高さ36メートル(118フィート)、7段のピラミッドがあります。これはおそらくジャヤーヴァルマン4世の寺(プラサット・トム寺院)としてつくられました。このピラミッドで印象的なのは、一番下の段の2メートルの高さの石垣の上にリンガが多数あることです。下はその写真です。 出典:グーグルマップ・ストリートビュー 出典:グーグルマップ・ストリートビュー ジャヤーヴァルマン4世のもとで、コーケル様式が開発され、彫刻の芸術は頂点に達し多種多様な彫像が彫り込まれました。アンコール・ワットなどから遠く離れていたため、コーケルの遺跡は略奪者によって何度も略奪されました。 コーケルの彫刻は様々な美術館だけでなく個人のコレクションでも見つけることができます。コーケルの傑作は時々オークションで提供されています。現在、これらの作品は「盗まれた芸術」と見なされています。 コーケル3につづく アンコール遺跡全体目次 |