メアリー・ステュアートの足跡を追って
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スコットランド総目次へ フランスに嫁いだメアリー1 フランスに嫁いだメアリー2 リース港 フォース鉄道橋1 フォース鉄道橋2 ブラックネス城1 ブラックネス城2 ブラックネス城3 ロッホ・リーヴン城1 ロッホ・リーヴン城2 ロッホ・リーヴン城3 キャンベル城 リンリスゴーからスターリングに向かう途中、私たちはキャンベル城(Castle Campbell)に立ち寄りました。この城は、山中の谷にあり、スコットランドのどこの城もそうであるように、城であるとともに要塞となっていました。 キャンベル城の位置 You are here の位置 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 このキャンベル城(Castle Campbell)も、スコットランド歴史協会に周遊チケットで入場することができました。スコットランド女王のメアリー・スチュアートが16世紀に訪れています。 ◆キャンベル城の概要 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 以下、主な出典はWikipedia です。 キャンベル城は、スコットランド中部のドルというまちにある中世の城です。キャンベル城は15世紀から19世紀にかけて「ローランド」のアーガイルの伯爵夫人、クランキャンベルの酋長の地であり、16世紀にスコットランド女王のメアリー・スチュアートが訪れています。 キャンベル氏族(Clan Campbell)は、もともとスコットランドのハイランド地方最大の氏族のひとつです。資料にキャンベルの名が最初に出てくるのは11世紀後半で、人物としては1230年代のアーチボルト・キャンベルの名が見られます。 キャンベル氏族(Clan Campbell)の紋章 Source:Wikimedia Commons 13世紀の末にはアーガイル州に勢力を持ち、イングランドとの戦争時にはロバート1世を支持していました。独立戦争の軍功によっておおいに富をえて、1380年にナイトに叙されました。 その後も着実に頭角をあらわしてゆき、1457年にコリン・キャンベルはアーガイル伯爵の地位を得ました。17世紀にはアーガイル侯アーチボルト・キャンベルなど有力者を輩出し、スコットランドにおける最大の家門の1つとなりました。 清教徒革命ではアーガイル侯はオリバー・クロムウェルを支持しましたが、王政復古後に断頭台に送られ処刑されています。 息子のアーチボルド・キャンベルは1685年にモンマス公ジェイムズ・スコットと組んで反乱を起こし(モンマスの反乱)、敗れて処刑されるも、孫のアーチボルド・キャンベルは公爵に昇格、第2代アーガイル公ジョン・キャンベルは1715年のジャコバイトの反乱鎮圧に参加して1719年にはグリニッジ公爵に叙せられ、1745年のジャコバイトの再度の反乱において第3代アーガイル公アーチボルド・キャンベルは政府軍に参戦しました。 キャンベル城は当初ステュアート家のものでしたが、ステュアート家と婚姻関係を結んで下賜され、1489年にキャンベル城と名を改めました。清教徒革命でモントローズ侯ジェイムズ・グラハムはキャンベル城を攻めたが落とせず、逆に捕らえられ処刑されました。王政復古後キャンベル城は燃やされたが、その後再建されキャンベル氏族の象徴となりました。1948年、スコットランド歴史協会によって国有化されています。 キャンベル城 Source:Wikimedia Commons キャンベル城 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 キャンベル城 Source:Wikimedia Commons 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 キャンベル氏族の長、アーガイル公爵の紋章 Source:Wikimedia Commons ◆キャンベル城の写真ギャラリー ヒストリック・スコットランドのロゴ Logo Historic Scotland Source;English Wikimedia 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 キャンベル城の窓のくぼみ A window alcove at Castle Campbell Source:Wikimedia Commons 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ロッジア(片側に壁のない柱廊)を含む東側の遺跡 The remains of the east range, including the loggia Source:Wikimedia Commons 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ウィリアム・リントンが描いた、1820年代のキャンベル城の廃墟 The ruins of Castle Campbell in the 1820s, painted by William Linton Source:Wikimedia Commons つづく スコットランド総目次へ |