伊能忠敬と日蓮の足跡を たどる千葉の旅 参考・忠敬の測量碑と星座石 青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda Dec.11, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
千葉視察総合目次 隠居・観測・測量 一次測量(蝦夷地) 二次測量(伊豆・東日本) 三次測量(東北・日本海)、四次測量(東海・北陸) 五次測量(近畿・中国)、六次測量(四国) 七次測量(九州一次)、八次測量(九州二次) 九次測量(伊豆諸島)、十次測量(江戸府内) 地図作成作業と伊能忠敬の死 地図の種類・特徴・精度、測定方法等 伊能忠敬記念館 伊能忠敬年表 参考・芝丸山古墳と伊能忠孝記念碑 参考・忠孝測量の碑と星座石 参考・伊能忠敬九十九里記念公園 参考・伊能忠敬参照文献一覧 青山、池田派2011年の3.11東日本大震災・津波の後、4回にわたり岩手県三陸の釜石市唐丹に現地視察で訪問していますが、その一角に伊能忠敬海上引縄測量之があります。 この釜石市唐丹は、明治三陸沖地震津波でも大きな津波被害を受けた場所であり、東日本大震災・津波でも同様に大きな津波被害を受けています。 ◆青山貞一・池田こみち:5ヶ月後の復興実態 B岩手県釜石市唐丹町 You Tube 伊能忠敬海上引縄測量之地 伊能忠敬海上引縄測量之地 出典:グーグルマップ 概要 伊能忠敬測量の碑・星座石は江戸時代後期の測量技術者・伊能忠敬が1801年(享和元年)、測量のために現在の岩手県釜石市唐丹を訪れたことを記念し、1814年(文化11年)同地に建立された碑です。 測量の碑 釜石市唐丹にある測量の碑と星座石 Source:Wikimedia Commons 日本地図作成のために蝦夷での第一次測量を行った忠敬は、1801年に第二次測量として伊豆・東日本海岸の測量に着手しました。 当初は房総半島から三陸まで順調に進んだものの、陸前高田や大船渡から北は船で観察しながら対岸の目印までを計測したと推測される程困難を極めました。 国土地理院地図との比較においても忠敬の地図は正確なものの、岬付近については不自然さが残っています。 また2001年(平成13年)9月23日、忠敬の測量200周年を記念して唐丹町大石に建立された碑には「伊能忠敬海上引縄測量之碑」と海上からであったことを示しています。 これらを記念して同地の天文暦学者・葛西昌丕が1814年に伊能忠敬測量の碑を建立しました。江戸時代に忠敬の功績を記念して建立された唯一のものです。 星座石 星座石原碑文 Source:Wikimedia Commons 測量の碑同様、葛西によって建立されました。中央に北極出地丗九度壱拾弐分、その周囲に黄道十二宮と十二次が刻まれています。 なお十二宮において3番目は双児宮ですが、この石には「陰陽」と記されています。また原碑文の表面が年々損耗していることに伴い、副碑も設置されています。 主な出典:Wikipedia 伊能忠敬九十九里記念公園につづく 千葉視察総合目次 |