●特集:チェ・ゲバラ&フィデル・カストロ
青山貞一:ゲバラの生涯を4時間超で映画化「チェ」鑑賞記
青山貞一:革命家・チェゲバラ
Che Guevara's Speech At the United Nations(English)
青山貞一:米国の経済封鎖、オバマ大統領は封鎖解除を!
青山貞一:革命家 フィデル・カストロ
青山貞一:チェ・ゲバラの世界観、国際主義と国連演説
革命家 チェゲバラ 新作映画2本
鷹取敦:「チェ」2部作鑑賞記
エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と活動を描いたスティーブン・ソダーバーグ監督の超大作映画、「チェ/28歳の革命」と「チェ/39歳 別れの手紙」を見た。
もともとこれら2つの映画はスティーブン・ソダーバーグ監督によって一本の映画「Che(チェ)」として作られており、それを劇場用として2本に分けたようだ。
「チェ」の前編、すなわち「チェ/28歳の革命」は、2009年1月26日に東京都港区六本木ヒルズの映画館、「チェ」の後編、すなわち「チェ/39歳 別れの手紙」は、1月31日に東京都練馬区豊島園の映画館で鑑賞した(映画館入場料はいずれも1800円)。
六本木ヒルズの「チェ/28歳の革命」は、そこそこ客が入っていた。が、「チェ/39歳 別れの手紙」は封切り当日にもかかわらず、約20名とパラパラの入りだ。ちょっぴり寂しさを感じた。
映画だが、全編を通じていえるのは、きわめてドキュメント・タッチが強く、演出がほとんどないことである。淡々と事実が映像として流れる。この手法は前編でも後編でも同じだ。
「チェ/28歳の革命」ではゲバラの国連演説など実際に撮影されたモノクロ映像と映画で新たに撮影し映像とを多面的に織りまぜ多用していた。映画で制作された部分、とくにモノクロ部分は敢えてドキュメント映像用に画質を調整していると思えるほど違和感なく溶け込んでいた。
主演でチェを演じたベニチオ・デル・トロ(Benicio del Tro)がゲバラそっくりの姿、形、それにトロの名演が重なり、本当にどこからどこまでが当時の映像で、どこからが映画のための映像なのかが分からないほどだった。
チェ・ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロ 出典:資料画像 |
自らプロデューサーも務めたプエルトリコ出身の俳優、デル・トロは、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラを演じるにあたって、スペイン語の難しい訛りにも挑戦した。また退任前のキューバのカストロ議長と対面し、生前のゲバラについて入念にインタビューしたという。俳優魂に徹している。それもあり、完璧なゲバラ像を構築している。
★ベニチオ・デル・トロ演ずるゲバラはこれ!!
★演説するゲバラを演ずるトロ!!
デル・トロは、ビートルズの一員、かのジョン・レノンに「世界一格好いい男」と絶賛されたゲバラを演ずるに最適の俳優であった。
以下は、第61回カンヌ国際映画祭で『CHE』(原題)でベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞受賞を受賞したときの記事。
第61回カンヌ国際映画祭『CHE』(原題) ショーン・ペンから「ベニチオ・デル・トロ」の声が上がると、会場内の拍手が鳴り止まず、途中、中断させられ、ようやく止まったほどだった。審査員は全員、スタンディングオベーションで迎え入れた。審査委員長のショーン・ペンいわく、「数少ない、審査員全員一致での受賞だった」とのことだった。 【ベニチオ・デル・トロ 受賞のコメント】 |
■チェ/28歳の革命
前編の「28歳の革命」では、エルネスト・チェ・ゲバラが亡命先のメキシコでフィデル・カストロ(のちのキューバ最高議長)と運命的な出会いを果たし、28歳の若さでカストロとともにキューバ革命に着手し、1959年1月1日、革命を成し遂げるまでを描いている。
この映画をみるひとは、できるだけあらかじめキューバ革命の経過を知っておく必要があると思う。
チェ・ゲバラとフィデル・カストロ
SOURCE: Government of Cuba
1956年11月25日、カストロをリーダーとした反乱軍総勢82名は8人乗りのグランマ号に乗り込みキューバに向かうが、嵐の中での出航でもあり、キューバ上陸時には体力を消耗し、士気も低下していたとされる。
映画ではメキシコのベラクルスからキューバ島に向かう船からはじまる。上陸後、シエラ・マエストラ山脈に潜伏し、山中の村などを転々としながら軍の立て直しを図る。その後キューバ国内の反政府勢力との合流、反乱軍は増強されていくさまをつぶさに描いている。
シエラ・マエストラ山脈
SOURCE: Wikipedia
当初、ゲバラの部隊での役割は軍医であったが、革命軍の政治放送をするラジオ局を設立するなど、政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていった。
1958年12月29日、ゲバラは軍を率いてキューバ第2の都市サンタ・クララに突入。多数の市民の加勢もあり、これを制圧、首都ハバナへの勝利の道筋を開いた。
サンタクララの有名な銃撃戦が行われた鉄道の一部が現存している
Source:Wikipedia
そして1959年1月1日午前2時10分、将軍フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命、1月8日カストロがハバナに入城、「キューバ革命」が達成された。
ゲバラは闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の閣僚となるに至った。
映画では工業相となったゲバラが、国連で米国帝国主義を公然と非難する演説を行う様子が延々と流れる。この演説は、YouTubeにもアップロードされているものだが、残念ながらYouTube判はゲバラの肉声が聞かれるものの、当然のこととしてすべてスペイン語であり、その内容はポツン、ポツンしか分からなかった。
以下にYouTubeにもアップロードされている映像を示す。
Es discurso de los Naciones Unidas de Che Guevara
国連で演説するゲバラ Source:You Tube
以下はスペイン語→英語版のゲバラの国連演説全容である。
◆Che Guevara's Speech At the United Nations (English)
映画でも国連演説の映像と音声が使われていたが、映画では当然のこととして日本語訳がスーパーインポーズされ、ゲバラの発言内容が一字一句流れた。その内容は、まさに感動ものであった。ゲバラは米国の帝国主義とともにキューバを経済封鎖する米国を徹底的に糾弾する。
国連演説に関連し、当時米国の傀儡政権の巣窟だった南米諸国の大統領や閣僚が次々にキューバの革命政権を中傷、非難したあと、ゲバラが演壇に立ち、それら米国の手先となっている傀儡政権の言い分を論破する。これも前編の大きな見所である。
■チェ/39歳 別れの手紙
次に後編のチェ/39歳 別れの手紙は、表題となっている別れの手紙をカストロがキューバ国民に読み上げるところから始まる。
何で突然、ゲバラがキューバからいなくなったかについて、国民に説明するためだ。
以下はその「別れの手紙」の全文。