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夕暮れの洗足池のサクラ

池月橋と千束八幡神社


青山貞一・池田こみち

掲載日:2015年4月7日
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水生植物園  サクラ広場  池月橋と千束八幡神社  勝海舟夫妻墓所と西郷隆盛留魂碑


出典:東京都大田区




広重「名所江戸百景」に描かれた洗足池   出典:Wikipedia


 以下は池月橋の周辺です。


池月橋
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6


◆池月について

 「池月橋」の池月とは源頼朝が所有していた愛馬の名前だそうです。頼朝がこの地に宿営していた時、何処からともなく現われた逞しく美しい馬を気に入り、池月と名付けて自らの乗馬としたのだそうです。その後、頼朝に従う武将の佐々木高綱がこの池月を譲り受け、1184年源義仲追討の宇治川の戦いでは、池月にまたがった佐々木高綱が先陣を切って敵陣に乗り込んだと伝えられています。

出典:http://www3.plala.or.jp/sanpo/senzokuikekoen.html


池月



池月橋
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6



池月橋
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6



池月橋
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-4-6


 なお、池月橋のすぐ後ろ側に千束八幡神社があります。


出典:グーグルマップ・ストリートビュー


出典:グーグルマップ・ストリートビュー

 以下はその概要です。

◆千束八幡神社
 
 千束八幡神社は、洗足池の西のほとりに鎮座する神社である。品陀和気之命(応神天皇)を祭神としています。「旗挙げ八幡」とも呼ばれています。

 860年(貞観2年)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請されました。10世紀前半の平将門の乱の際に鎮守副将軍として関東へ派遣された藤原忠方は、その後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗ったという(子孫からは池上宗仲や池上幸豊などの人物を輩出しています)。

 また、11世紀前半の後三年の役では、奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとここにも伝えられています。



出典:グーグルアース


出典:グーグルストリートビュー

 1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝がこの地に宿営したところ、池に映る月のような姿のたくましい野生馬が現れこれを捕らえたとの伝承が残っています。

 後に宇治川の先陣争いで佐々木高綱を乗せ、梶原景季の磨墨と競うことになります、名馬「池月」です。頼朝軍はこれを吉兆とし、旗を差し上げ大いに喜んだといいます。

 本殿の横に赤目で歯をむく池月を描いた大きな絵馬が奉納されており、さらに境内には池月の像が置かれています。

 例大祭は9月に行われており、重要無形民俗文化財に指定されている神楽が奉納され、洗足池の秋まつりとして親しまれています。


出典:Wikipedia


つづく