夕暮れの洗足池のサクラ 勝海舟夫妻墓所と 西郷隆盛留魂碑 青山貞一・池田こみち 掲載日:2015年4月7日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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水生植物園 サクラ広場 池月橋と千束八幡神社 勝海舟夫妻墓所と西郷隆盛留魂碑 出典:東京都大田区 ところで、かつては、洗足池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」がありましたが戦災で焼失しました。 ◆勝海舟夫妻の墓 現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されています。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息しました。 明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言います。 勝海舟夫妻の墓所 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6
勝海舟夫妻の墓所 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 勝先生墓前 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 勝先生墓前 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-4-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 ◆徳富蘇峰の詩碑 1937年(昭和12年)に勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑が青木藤作ら九人の人々によって建立されたのがこの石碑です。 総高145センチ、幅132センチ。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6
◆西郷隆盛留魂碑 勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建っています。 これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建されています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6 朝は厚いもてなしを受けたかと思うと、夕べにはひどい仕打ちを受けることもある。 人生の浮き沈みは昼と夜との交代にも似ている。 ひまわりは太陽が輝かないときでも、常に太陽の方を向いているように、 もし自分の運命が開けなくても、人を恨むことなく忠誠の心を抱き続けたい。 京都の同志は皆、難に殉じているのに、私一人が南の島の囚人となって 生き恥をさらしている。 もとより人の生死は天から授。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-6
これで本稿は終了です。 |