池上本門寺の塔頭 ②実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院 青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実 April ~May, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
塔頭① 塔頭とは、本行寺 塔頭② 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院 塔頭③ 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院 塔頭④ 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院 塔頭⑤ 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺 ・妙玄山実相寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁 妙玄山實相寺、〒146-0082 東京都大田区池上2丁目10-17 出典:グーグルマップ 境内マップ 出典:池上本門寺公式Web 出典:実相寺フェイスブック 実相寺の山門前にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14 出典:実相寺フェイスブック 実相寺の山本堂前にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14 実相寺の山本堂前にて 撮影:池田こみち アイフォーン ・実相寺の縁起 実相寺は、天文19年(1550)江戸馬喰町に開創し、明暦の大火の後、浅草新寺町に移転、関東大震災後当地へ再転しました。 ・池上の寺めぐりによる実相寺の縁起 天文19年(1550)江戸馬喰町に開創。明暦3年(1657)明暦の大火の後、浅草新寺町に替地を拝領して移転。寛保3年(1743)に呉服商「大丸」の店主の帰依を受け大丸寺とよばれた。大正12年(1923)池上の妙玄庵と合併して現在地に移り堂宇を建立。妙玄庵は池上本門寺24世日等聖人が隠棲した庵室で、享保12年(1727)大坊坂のそばに創建され、妙玄坊、要玄坊ともよばれた。(池上の寺めぐりより) ・御府内寺社備考による実相寺の縁起 武蔵国池上本門寺末 浅草新寺町 法花山実相寺 境内古跡拝領地1250坪。 天文19年起立。古来馬喰町ニ有之候由ニ御座候得共、替地年代相不知申候。 開山是好良薬院日経在住76年、寛永2年8月6日遷化。行年106才。事蹟等相知不申候。 客殿 本尊釈迦如来木像。多宝如来木像、宗祖木像。(御府内寺社備考より) ・実相寺所蔵の文化財 ・実相寺門(国登録有形文化財) ・実相寺本堂(国登録有形文化財) 出典:猫の足あと 以下は、境内にあった非常に珍しい推定樹齢80年の「枝垂れ天然赤松」です。枝垂れ赤松は、岩手県では天然記念物に指定されているように、希有な赤松です。 実相寺の枝垂れ天然赤松の解説 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14 実相寺の枝垂れ天然赤松 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix s9900 2018-5-14 ・微妙山真性寺 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上2丁目9~6 出典:グーグルマップ 境内マップ 出典:池上本門寺公式Web 真性寺の山門前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-14 真性寺の山門前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-14 真性寺の本堂前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-14 真性寺の本堂前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-14 ・真性寺の概要 日蓮宗寺院の真性寺は、微妙山と号します。真性寺は、榊原越中守が開基、池上本門寺16世心性院日遠聖人が開山となり、寛永2年(1625)麻布今井町に開創、戦災で全焼したため昭和27年(1952)現在地に移転したといいます。当寺の帝釈天像は、13代将軍徳川家定の侍医佐竹文好の屋敷にあったもので、「麻布の帝釈天」と称され賑わったといいます。 ・真性寺の縁起 真性寺は、榊原越中守が開基、池上本門寺16世心性院日遠聖人が開山となり、寛永2年(1625)麻布今井町に開創、戦災で全焼したため昭和27年(1952)現在地に移転したといいます。 ・「池上の寺めぐり」による真性寺の縁起 寛永2年(1625)に池上本門寺16世日遠聖人によって麻布今井町に開創された。当寺に安置されている帝釈天像は、もと13代将軍徳川家定の侍医佐竹文好の屋敷にあったもので、安政3年(1856)に当寺に遷され、幕末より大正期にかけて庚申の日には麻布の帝釈天とよばれて縁日の市が立ち大いに賑わったという。戦災で全焼したため、昭和27年(1952)現在地に移り再建された。(池上の寺めぐりより) ・「麻布區史」による真性寺の縁起 微妙山真性寺 今井町一二 池上本門寺末。寛永二年四月の創立、開基は榊原越中守。開山は心性院日遠(寛永十九年三月五日寂)。(「麻布區史」より) ・御府内寺社備考による真性寺の縁起 池上本門寺末 麻布今井寺町 微妙山真性寺、境内年貢地四百四十四坪内買添地百二十五坪 起立寛永二年 開山心性院日遠上人、寛永十九年三月五日寂、本寺十六世に御座候。開基旦那微妙院殿躰真日実大姉榊原氏の之中侍、子孫等相知不申候正保三丙戌年二月十三日死 客殿。本尊宗法之通諸尊安置。 以上戌子書上(御府内寺社備考) 出典:猫の足あと 出典:グーグルマップ3D衛星画像 ・長栄山西之院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁 西之院、〒146-0082 東京都大田区池上2丁目10-15 出典:グーグルマップ 境内マップ 出典:池上本門寺公式Web 西之院の解説 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 西之院山門の前にて 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 西之院本堂の前にて 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 ・西の院の概要 日蓮宗寺院の西之院は、日蓮聖人が池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とします。 ・西之院の縁起 西之院は、日蓮聖人が池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とします。 ・池上の寺めぐりによる西之院の縁起 日蓮聖人入滅後40~50年頃の開創。日蓮聖人が池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とする。もとは市野倉村の貴船神社(明治期に太田神社に合祀)そばの松や柏の鬱蒼として山の中にあったが、いつの時代にか当地に移された。 寛永年間(1624-1644)以後に日法聖人の庵室といわれる宝樹坊と合併し、西之院と号した。(池上の寺めぐりより) 出典:猫の足あと ・慧光山厳定院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上大坊顕の字法縁 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上2丁目10~12 出典:グーグルマップ 境内マップ 出典:池上本門寺公式Web 厳定院の解説 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 厳定院の本堂 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 厳定院の本堂の前にて 撮影:池田こみち アイフォーン 境内の弁財天 撮影:池田こみち アイフォーン ・厳定院の概要 日蓮宗寺院の厳定院は、慧光山と号し、正応2年(1289)池上本門寺2世日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創しました。大正9年(1920)には、別院として池上鬼子母神堂を建立しています。また境内の弁財天は、池上七福神の一つです。 ・池上の寺めぐりによる厳定院の縁起 正応2年(1289)池上本門寺2世日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創。天文5年(1536)西谷の西之院のとなりにあった成就坊と合併、現在地に堂宇を構えたと伝えられる。成就坊の境内にあった弁財天を池上七福神として石造りの弁天宮にお祀りしている。大正9年(1920)厳定院40世、山田潮栄上人が「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和6年(1931)本門寺総門前に別院として池上鬼子母神堂が建立された。(池上の寺めぐりより) 出典:猫の足あと 慧光山厳定院 出典:グーグルマップ3D ・長栄山南之院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上2丁目11~15 境内マップ 出典:池上本門寺公式Web 出典:グーグルマップ 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 南之院山門 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-4-22 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-4-22 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-4-22 ・南之院の概要 日蓮宗寺院の南之院は、弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子の中でも最長老の日昭聖人の庵室として開創しました。 ・池上の寺めぐりによる南之院の縁起 弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子の中でも最長老の日昭聖人の庵室として開創。日蓮聖人の滅後、日昭聖人はこの庵室にあって池上本門寺を守ったと伝えられています。古くは大坊の西側にあり、大成弁院とよばれていました。江戸期には幕府の御用絵師狩野家の菩提所として大いに栄えました。本堂内陣の竜の天井画は狩野探玄の筆によるものです。また、狩野家歴代の宝篋印塔と五輪塔が附近の墓地にあり、代々の位牌が本堂内の位牌檀に祀られています。(池上の寺めぐりより) ・南之院所蔵の文化財 ・日昭聖人坐像(大田区指定有形文化財) ・狩野孝信墓所(大田区指定史跡) ・日昭聖人坐像(昭和51年2月25日指定) 木像寄木造り、彩色、玉眼、像高39センチ。当院の開山、日昭聖人(1221-1323)の像で、台座裏の銘文により、当院13世日了が施主となり、延宝3年(1675)5月15日に造像、開眼されたことがわかります。様式的にも江戸前期の典型的な作風を示しており、保存状態もよく、貴重な作品として注目されます。 出典:猫の足あと ・妙祐山理境院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上芳師法縁 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上1丁目34~3 出典:グーグルマップ 理境院の概要説明 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s9900 2018-3-25 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s9900 2018-3-25 理境院の表札 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 理境院本堂 撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14 グーグルストリートビュー ・理境院の概要 日蓮宗寺院の理境院は、妙祐山と号します。理境院は、元享年間(1321-1324)池上本門寺3世日輪聖人の住坊として久成院と称して創建、延宝年間(1673-1681)に檀越長澤氏の母理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称したといいます。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つです。 ・池上の寺めぐりによる理境院の縁起 元享年間(1321-1324)池上本門寺3世、日輪聖人の住坊として開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つに列せられ、古来より朱塗りの山門(赤門)を許される。延宝年間(1673-1681)に檀越長澤氏の母、理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称。慶応3年(1867)官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎をあてたと伝えられる。明治11年(1878)堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となる。(池上の寺めぐりより) ・新編武蔵風土記稿による理境院の縁起 理境院 惣門の内にあり。妙祐山と号す。三院家の一なり。舊くは久成院と号す。日輪本門寺をつきて後当院を法弟日成に附属す。これ第二代の主也、遥の後延宝年中檀越長澤某の母理境院妙浄日貞田地若干を寄附せしにより、改て理境院と号すといへり。客殿七間に五間、本尊一尊四菩薩を安ず。(新編武蔵風土記稿より) 出典:猫の足あと つづく |