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池上本門寺の塔頭

③覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院

青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実
April ~May, 2018  独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

 塔頭① 塔頭とは、本行寺
 塔頭② 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院
 塔頭③ 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院
 塔頭④ 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院
 塔頭⑤ 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺


・広布山覚源院 
旧本山:池上本門寺 法縁:池上柳島法縁
 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上2丁目11ー5


出典:グーグルマップ


境内マップ  出典:池上本門寺公式Web


覚源院の解説
撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14


覚源院の本堂前で、解説概要を撮影する青山貞
撮影:池田こみち アイフォーン

・覚源院の縁起(概要)
 覚源院は、室町時代に蓮池院として池上の西谷に開創しました。元禄3年(1690)当地に移転し、宝暦年中(1751-1764)に覚源院と改称しました。

池上の寺めぐりによる覚源院の縁起
 室町時代の開創。当初は蓮池院とよばれ池上の西谷にあったという。天文2年(1533)大坊ほか7ヶ寺が火災に遭った後、東谷に移り、妙法坊とよばれるようになる。

 元亀4年(1573)再び焼失し本門寺祖師堂の東に移る。江戸前期、井出家の厚い保護を受け井出寺とよばれたが、元禄3年(1690)本門寺の防火対策により西谷宝樹坊の跡地(現在地)に移転。宝暦年中(1751-1764)に井出為成の法号から覚源院と改称された。(池上の寺めぐりより)

出典:猫の足あと


撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-4-22


出典:グーグルストリートビュー


撮影:青山貞一 Nikon coolpix S9900 2018-5-14



・喜昇山本成院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上柳島法縁
 現住所 〒146-0082 東京都大田区池上1丁目35ー3


出典:グーグルマップ


グーグルストリートビュー


昇山本成院 旧本山:池上本門寺
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4-4

 以下は本門寺の塔頭の一つ、本門寺の参道にある本成院です。出典は猫の足あとです。

・本成院の概要(縁起)
 本成院は、弘安5年(1282)上の北谷の地に、日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創、その後東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併し再興されました。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになりました。

・境内掲示による本成院の縁起
 当院は山号を喜昇山、旧称は喜多院(北の坊)と称す。池上本門寺の旧塔頭支院です。 寺伝によりますと、当院は佐渡阿闍梨日向上人の開基なり。日蓮大聖人の直弟で六老僧の一人にして、弘安5年池上に御来向の砌池上右衛門大夫宗仲は草庵を造り、日向上人を住居せしめたといわれています。

 当院は、はじめは池上の北谷の地、桐ヶ谷の北の端、とどめきという所にあって、北の坊または喜多院とよばれましたが、日舜上人の代に東谷にあった本成坊が廃坊となったので、これと合併再興されました。

 この本成坊は日蓮大聖人の直弟で、中老僧の日源上人の庵室であったと伝わる。 慶長年間に池上本門寺13世日尊上人が当院を隠棲の場所と定め、寺域の整備、充実に心がけたので寺観は一新しました。その後宝永年間の火災で焼失したので、15世喜多院日寶大徳が享保年間に現在地に移して再建、本成坊と称するようになったといわれています。

・池上の寺めぐりによる本成院の縁起
 弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。はじめは池上の北谷の地「とどろき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。その後、東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併、再興された。

 慶長年間(1596-1615)池上本門寺13世日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1704-1711)に火災で焼失。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになった。

 本上院の庭にはこの時期、素晴らしいボタンの花が咲いていました。

出典:猫の足あと


池上本門寺参道の塔頭 本成院のボタン 左(青山)、右Iikeda )、
撮影:斉藤真実 
 Canon IXY 10S 
 2018-4-4


池上本門寺参道の塔頭 本成院のボタン
撮影:池田こみち  N ikon Coolpix s9900  2018-4-4


池上本門寺参道の塔頭 本成院のボタン
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-4-4


 以下は本上院の観音堂です。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-5-14


グーグルストリートビュー


グーグルストリートビュー



・朗栄山本妙院 旧本山:池上本門寺  法縁:池上中延法
 本妙院、〒146-0082 東京都大田区池上1丁目33-5


出典:グーグルマップ


本妙院の概説
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-5-14


グーグルストリートビュー


本妙院の山門を背景に
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-5-14


本妙院の山門にて
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-5-14


本妙院の本堂前にて
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-5-14


本妙院の本堂前で、解説概要を撮影する青山貞
撮影:池田こみち アイフォーン


グーグルストリートビュー・衛星写真

・本妙院の概要
 日蓮宗寺院の本妙院は、池上本門寺2世日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創しました。本妙院日逗聖人の代に南谷外溝へ移築再興し、本妙院とよばれるようになりました。現在本堂改修工事中です。

本妙院の縁起
 本妙院は、池上本門寺2世日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創しました。本妙院日逗聖人の代に南谷外溝へ移築再興し、本妙院とよばれるようになりました。

・池上の寺めぐりによる本妙院の縁起
 池上本門寺2世日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創。(年代不詳)旧称は妙蔵坊。元亀4年(1573)火災で焼失。池上本門寺12世日惺聖人が当時の住持、本妙院日逗聖人に再建の資助を与え、南谷外溝に移築再興し、本妙院とよばれるようになった。元禄3年(1690)池上本門寺の防災のため支院の整備、配置換え、総門の建立、此経難持坂(石段)の改修などが行われ、本妙院も現在地に移されたという。(池上の寺めぐりより)

出典:猫の足あと



・東照山常仙院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上中延法縁
 
〒146-0082 東京都大田区池上1丁目33-1


出典:グーグルマップ


常仙院の概説
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-3-25



常仙院の本堂
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix s9900  2018-3-25



常仙院の本堂前にて
撮影:池田こみち アイフォーン



グーグルストリートビュー


グーグルストリートビュー


常仙院の額あじさい
撮影:池田こみち アイフォーン


・常仙院の概要
 日蓮宗寺院の常仙院は、天文18年(1549)池上本門寺9世日純聖人の退隠後の庵室として開創しました。

・常仙院の縁起
 常仙院は、天文18年(1549)池上本門寺9世日純聖人の退隠後の庵室として開創しました。

池上の寺めぐりによる常仙院の縁起
 天文18年(1549)池上本門寺9世日純聖人の退隠後の庵室として開創。もとは玉蔵坊と称した。常仙院開創に関わる伝説によると、蒲田御園村の豪士月村宗観の葬送の際に落雷と共に妖怪が出現して死者の右腕を持ち去ったが、日純聖人の祈念によりその腕が戻った。日純聖人はこの怪異が自分の不徳の致すところとして池上本門寺を退き当地に隠棲したという。以来、雷除けの護符を乞う者が多く門前市をなしたと伝えられる。(池上の寺めぐりより)


・長栄山中道院 旧本山:池上本門寺 法縁:池上中道法縁
  
中道院、〒146-0082 東京都大田区池上1丁目35


出典:グーグルマップ 


中道院の概要
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-18



中道院の山門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-18



中道院の庭
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-18

 中道院の庭の中心にある立派な梅の木を撮影する池田こみちです。


中道院の庭の中心にある立派な梅の木を撮影する池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-5-18


中道院の庭の中心にある立派な梅の木
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2018-5-18


中道院の庭の中心にある立派な梅の実のアップ
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2018-5-18

・中道院の概要
 日蓮宗寺院の中道院は、日蓮聖人の直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源とし、池上本門寺10世、中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになりました。

・中道院の縁起
 中道院は、日蓮聖人の滅後、直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源とし、池上本門寺10世、中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになりました。

・「池上の寺めぐり」による中道院の縁起
 日蓮聖人の滅後、直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源とする。もとは本門寺の南の谷の先にあり、いつの時代にか当地に移された。池上本門寺10世、中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになる。池上本門寺25世、日顗聖人の庵室(場所は不明)の不二庵が日顗聖人没後の宝暦4年(1754)中道院と合併。かつては、日顗聖人の法脈に連なる池上本門寺貫主の退隠後の庵室であり、現在はその位牌所となっている。(池上の寺めぐりより)

出典:猫の足あと


つづく