目黒不動尊・瀧泉寺短訪4 (東京都目黒区下目黒) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 28 May, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
その1 その2 その3 その4 ◆目黒不動瀧泉寺の伽藍、碑(大本堂がある丘陵部) |
目黒不動尊 境内案内図
大本堂 急な石段を登った先の一段高い土地に建つ。入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981年)再建の鉄筋コンクリート造建築。傾斜地に建っており、室生寺金堂や石山寺本堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっている。天井には日本画家、川端龍子の「波涛龍図」が描かれています。 目黒不動龍泉寺の本堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 目黒不動龍泉寺の本堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 黒不動龍泉寺の大本堂を背景に 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 以下は上記の大本堂及び各堂の月例行事の予定です。 月例行事予定 以下は大本堂、堂の月例行事日時です。毎月28日は大本堂の不動縁日で目黒不動はにぎわいます。
大日如来像 大本堂の背後にある露座の銅製仏像。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683年)の作。 銅造大日如来坐像(目黒区指定有形文化財) 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 銅造大日如来坐像(目黒区指定有形文化財) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 銅造大日如来坐像(目黒区指定文化財昭和59年3月31日指定) 蓮華座に結枷趺坐しているこの坐像は宝髪、頭部、体躰、両腕、膝等十数ヶ所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られています。総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躰にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躰 も衣文表現もよく整っています。現在は露座となっていますが、「江戸名所図会」の目黒不動堂の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。 台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴史が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和3年(1683)と制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。 銅造大日如来坐像は、本堂の裏にあり、蓮華座に結跏趺座けっかふざしている像で、高さは385センチメートル、坐高は281.5センチメートル、頭の長さは121センチメートルです。宝髪ほうはつ、頭部、体躯、両腕、膝など十数の部分に分けて鋳造し組み合わせた、吹き寄せという技法で制作されています。体躯に比べ頭部を大きく造るのは大仏像に共通し、この像もそれにならっています。 台座部分に刻銘があり、天和3年(1683年)に鋳物師横山半右衛門尉正重により造られたこと、開眼かいげんに関係した僧侶、寄進者と思われる人々の名前などがわかります。 江戸時代には堂舎に納められ、その後は長らく露座でしたが、現在は覆屋根が設けられています。 出典:目黒区教育委員会 ◆目黒不動瀧泉寺の伽藍、碑(大本堂がある丘陵部の左) ・意志不動 意志不動 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-8 意志不動を背景に 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-8 ・微笑観音 微笑観音像 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 ・愛染明王 愛染明王 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 愛染明王を撮影する池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 愛染明王 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 ◆目黒不動瀧泉寺の伽藍、碑(大本堂がある丘陵部の、右) ・護衛不動 護衛不動 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 ・南無虚空蔵菩薩 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-8 ・子守延命地蔵尊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-8 ・鐘楼 鐘楼 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 鐘楼 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 ◆目黒不動瀧泉寺所蔵の文化財 ・龍泉寺前不動堂(東京都指定有形文化財) ・瀧泉寺勢至堂(目黒区指定有形文化財) ・銅造大日如来坐像(目黒区指定有形文化財) ・木造弁才天及び十五童子像(目黒区指定有形文化財) ・銅造役の行者倚像(目黒区指定文化財) ・青木昆陽墓(国指定史跡昭和18年5月1日指定) 江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。 彼は八代将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、「和蘭文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭語訳」などを著述する。また「蕃薯考」を著し、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために”甘藷先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 青木昆陽の墓に向かう道のあじさい 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-6-1 本稿はこれで終わりです。 |