シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ヴェネツィア( Venezia、イタリア) アントニオ・ヴィヴァルディ1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年4月20日 独立系メディア E-wave Tokyo |
<ヴェネツィア総合メニュー> <作曲家> ・ヴィヴァルディ1 ヴィヴァルディ2 ヴィヴァルディ3 ヴィヴァルディ4 ガブリエーリ ガブリエーリ 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 ◆アントニオ・ヴィヴァルディ 1725年のヴィヴァルディの肖像画。フランス系オランダ人 のF.M.ド・ラ・カーヴによる銅版 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる ヴィヴァルディのサイン Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる (Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。カトリック教会の司祭です。とくに多数の協奏曲の作曲家しとして知られています。 人物 イタリアのヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没しました。 サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで、理髪師の父親からヴァイオリンを学びます。10歳より教会附属の学校に入り、25歳で司祭に叙階されます。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになりました。 司祭になった年に、ヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院 (Pio Ospedale della Pieta) でヴァイオリンを教えはじめ、1年後にはヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese:仏語版、Lyra viol:英語版)も教えはじめます。 後に宮廷の「楽長」にあたるフルタイムの「合奏長」ではなく、パートタイムの「協奏曲長」として、多くの器楽曲や、時には宗教曲までピエタに提供し、リハーサルする義務を負いました。 一方、オペラ作曲家としての名声も次第と揺るぎないものになり、ヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしての演奏旅行の他、オペラ上演のためにヨーロッパ各地を回りました。 彼の残した作品は死後長らく忘れられた存在でしたが、20世紀に入り多くの作品が再発見され、再評価されることになりました。 作品は、四季をはじめとして500を超える協奏曲、 52の現存するオペラ(ヴィヴァルディ自身は94のオペラを作ったと書簡に記しています)、 73のソナタ、室内楽曲、シンフォニア、 オラトリオ(現在自筆譜が残っているのは勝利のユディータのみ)、 宗教音楽(モテットなど)、カンタータ、など多岐に渡ります。 「写譜屋が写譜を行っている間に、協奏曲の全パートを作曲できる」と豪語していた彼は速筆の多作家であり、その荒れた筆跡は残された自筆譜で確認できます。 ヴィヴァルディは特に急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替するリトルネッロ形式をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られます。 ただし実際にはヴィヴァルディが独奏協奏曲の考案者というわけではなく、ジュゼッペ・トレッリらはヴィヴァルディ以前に独奏協奏曲を書いていますが、ヴィヴァルディの作品は国際的に有名になり、多くのドイツの作曲家がヴィヴァルディの形式で協奏曲を書くようになりました。古典派の協奏曲はヴィヴァルディなしには考えることができないほどです。 ヴィヴァルディは書こうと思えば高度に対位法的なフーガなどの音楽も書くことができたが、より直感的で透明な音楽を主に書きました。この親しみやすさによって第二次世界大戦後のバロック・ブームはヴィヴァルディの再発見という形で進められました。 その一方でヴィヴァルディの作品はどれも同じという批判的な意見もあり、たとえばルイージ・ダッラピッコラは「600曲の協奏曲を作曲したのでなく、1曲を600回作曲したにすぎない」と言ったとされます。 イーゴリ・ストラヴィンスキーも、おそらくダッラピッコラの言葉によって「同じ形式をあんなにくりかえしくりかえし作曲できた、退屈な男にすぎない」と言っています。皆川達夫は、個人的な好みとしながらも「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と言っています。 通常リオム番号(RV番号)で楽曲が整理されるが、この他にパンシェルル番号(P番号)、ファンナ番号(F番号)が存在します。ジャンルには偏りが多く、ヴァイオリンのための協奏曲はおびただしく残っているものの、チェンバロのための協奏曲は編曲譜が一曲しか残っていません。 アントニオ・ヴィヴァルディ2へつづく |