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シルクロードの今を征く Now on the Silk Road

ヴェネツィア( Venezia、イタリア)
 
リド島
(Lido)2

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア E-wave Tokyo

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トルチェッロ

 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆リド島(Lido)2


リドの別荘
Source:Wikimedia  Commons
CC 表示-継承 4.0, リンクによる



リド島にある教会 Chiese Cattoliche Parrocchiali S. Antonio Di Padova
出典:グーグルストリートビュー



Venezia - Chiesa di Sant'Antonio (Lido)
Source: Wikimedia Commns
Pubblico dominio, Collegamento



リド島にある修道院 Monastery of San Nicolo al Lido
出典:グーグルストリートビュー



リド島の北側の砂浜(ビーチ)
出典:グーグルストリートビュー


歴史

 1177年、皇帝フレデリック・バルバロッサと教皇アレクサンドル3世が1176年のレニャーノの戦いでフレデリックの敗北を受け、ここでヴェネツィア条約に調印しました。

 1202年、第四次十字軍の始め、十字軍がが輸送のために必要なベネチアン船の代金を払うことができなかったため、封鎖された島に何万人もの十字軍のキャンプ用地として使われました。

 1857年、リド島に最初の海水浴場がつくられました。これはヨーロッパで最初の海水浴場で、リドはビーチリゾートの代名詞となりました。リドにおけるビーチリゾーの成功とすぐ近くにあるヴェネツィアの魅力はリドを世界的に有名なものにしました。またリドは20世紀前半、「売春宿」でも有名でした。


初期のリド島の海水浴場
Source:Wikimedia  Commons

 主要なビーチ施設、ホテル、プライベート用の夏の別荘は、依然として「ゴールデン島」として知られる島の中心部に残っています。

 1960年代になると、戦後のイタリア経済の好転によって不動産ブームが起き、多くのベネチア人がリドに移り、近代的なインフラストラクチャの恩恵を受けました。

ヴェネツィア映画祭

 リド・ディ・ヴェネツィアは、ヴェネツィア国際映画祭の開催地です(ヴェネツィア・ビエンナーレの国際映画展)。第五回の開催時に国際映画祭はそのための施設をつくりました。 1937年に設計され完成したヴェネツィア宮殿はリド島の上に建てられ、1940年から1942年までの3年間の例外(第二次世界大戦?)を除きフェスティバルのオフィシャルサイトとなっています。


リド島における映画祭会場(2010年)
Source:Wikimedia  Commons
CC 表示-継承 3.0, リンクによる



出典:映画祭公式Web

 偶然にも、街はほとんど大戦の被害を受けていません。リドはまた、ドイツの作家トーマスによる同名小説やルキーノ・ヴィスコンティ監督とダークボガルドとビョルンアンドレセン主演のヴェネツィアでの1971年のイタリア - フランス合作のドラマ映画(Morte a Venezia)など多数の映画撮影を主催しました。

遺産

 もともとリドという用語は、特にイギリスの屋外スイミングプールの特定の種類そしてクルーズ船の "リドデッキ"を指すものとして使用されてきました。それはまたイタリア中の沿岸地域の多くの地名の最初の部分となっています。

 イギリスの旅行作家ロビン・サイキア(Robin Saikia)は、島の初期から現在までの歴史を描き、ブルーガイド(Blue Guides)で出版された文学史、ヴェニスのリド(The Venice Lido)を書いています。


ヴィニョーレつづく