シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ヴェネツィア( Venezia、イタリア) 仮面舞踏会(Masquerade) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年4月20日 独立系メディア E-wave Tokyo |
<ヴェネツィア総合メニュー> <劇場・祭り> フェニーチェ劇場1 フェニーチェ劇場2 ヴェネツィア・カーニバル1 ヴェネツィア・カーニバル2 仮面舞踏会 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューをつ用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を更けています。 ◆仮面舞踏会 シャルル6世の宮廷で起こった仮装舞踏会の事件 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 仮面舞踏会は、仮面をつけ身分素性を隠して行われる舞踏会のこと。マスカレイド(masquerade)やバル・マスケ(仏: bal masque)ともいう。 ヴェネツィアが発祥。また音楽・文学ほか多数の作品に「仮面舞踏会」や「マスカレード」という題名が付けられています。 仮面舞踏会は参加者が仮面などを身に着けて行われる舞踏会などのイベントです。こうした集まりの起源は、中世後期のヨーロッパ宮廷において行われました、寓話的で凝った衣裳による壮麗な行列や、婚礼を祝う誇らしげな行進や、その他宮廷生活における派手な催しや余興にあります。代表的なものに仮装舞踏会 (モリスコ、morisco) があります。 仮装行列と仮装舞踏会 仮装舞踏会を舞台にした有名な惨劇として、百年戦争期のフランス国王シャルル6世の時代に起こった「燃える人の舞踏会」("Le Bal des ardents")という事件があります。 王妃イザボー・ド・バヴィエールは侍女の一人の婚礼を祝して1393年1月28日に大規模な仮装舞踏会を開催しました。シャルル6世と5人の貴族は亜麻と松脂で体を覆い、毛むくじゃらの森の野蛮人に扮して互いを鎖で繋いで踊る "Bal des sauvages" (野蛮人の踊り)をしようとしましたが、たいまつに近づきすぎて衣裳が燃え上がり、シャルル6世は助かったものの4人が焼死するという事件になりました。 シャルル6世はすでにイングランド軍に対する敗戦でショックを受けていましたが、この後急速に精神を病むようになった(この事件はエドガー・アラン・ポーの短編小説『跳び蛙』の元になっています)。 こうした仮装による舞踏会はブルゴーニュ公国の宮廷では特別の機会に行われるぜいたくな催しでした。 仮装と仮面をしたヴェネツィアのカーニバルの参加者 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 仮装舞踏会 これらのイベントや行進をもとに、15世紀のルネサンス期のイタリアで、参加者が仮装して出席する公的な祭典が催されるようになりました(イタリア語ではマスケラータmascherataと呼ばれていました)。 これらは一般的に上流階級の成員のために行われる凝った舞踏会で、特にヴェネツィアでは、仮面をかぶって行われる「ヴェネツィアのカーニバル」の伝統と結びついたため人気を博しました。 17世紀から18世紀にはヨーロッパ大陸全土の宮廷でヴェネツィア式仮面舞踏会は人気となりました。あまりに人気を博しすぎたため、仮面舞踏会は風紀を乱す元凶であるとしてマリア・テレジアに代表されるように禁止令を出した人物もいました。 また仮面舞踏会はしばしば悲劇の舞台にもなった。スウェーデン国王グスタフ3世は1792年、仮面舞踏会の最中に彼の統治に不満を抱く貴族ヤコブ・ヨハン・アンカーストレム (Jacob Johan Anckarstrom) によってピストルで暗殺されました。 この事件はウジェーヌ・スクリーブのオペラ『ギュスターヴ3世』や、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』の題材となっています。 仮面舞踏会 ロンドンの劇場での仮面舞踏会、18世紀後半 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンク スイスの伯爵だったヨハン・ヤーコプ・ハイデガー (Johann Jacob Heidegger) は1710年にヴェネツィア式の仮面舞踏会をロンドンのヘイマーケット・オペラハウスで開催しました。 ハイデガーは「スイスの伯爵」の名で有名人となり、18世紀のイギリス、および北アメリカ植民地において仮面舞踏会は大流行しました。一方で仮面舞踏会やこれを紹介したハイデガーに対して、道徳や倫理を麻痺させるという厳しい非難が各界から浴びせられ反対運動も起こりました。 ウィリアム・ホガースは仮面舞踏会の隆盛やハイデガーを風刺する版画を出版しているほか、仮面舞踏会の存在に反対する物書きたち(その中にはヘンリー・フィールディングもいた)は、イギリス国内に反道徳性や「海外からの悪影響」を広めるものとして仮面舞踏会を批判しています。彼らは権力者に対し仮面舞踏会反対の説得を行いましたが、これを禁止するための手段の強制力は散漫なものにとどまりました。 仮面舞踏会は招待客同士のゲームとして開催されることもありました。仮面をした客たちは正体が誰か分からないような服装をし、互いの正体を当てあうゲームを行いました。このゲームの影響で、人物の正体を混乱させるためによりユーモラスに工夫された仮面が登場しています。 仮面舞踏会は今日も世界中で行われていますが、パーティーの雰囲気作りが強調され、社交ダンスの部分はあまり強調されなくなったといえます。より砕けたハロウィンなどの仮装パーティーが、かつてのあやしい仮面舞踏会の伝統を受け継いでいます。現在に残る代表的な仮面舞踏会は、ウィーン大学の同窓生らによる舞踏会「ルドルフィーナ」 (Rudolfina Redoute) などがあります。 仮面舞踏会は非常に絵になる催しであるため、文学や音楽の題材となってきました。エドガー・アラン・ポーの短編『赤死病の仮面』では、赤死病という疫病を逃れて修道院に立てこもる貴族たちが開いた仮面舞踏会に、赤死病患者を思わせる不吉な仮面をかぶった人物が現れます。 ヘルマン・ヘッセの自伝的小説『荒野のおおかみ』ではチューリッヒの仮面舞踏会が重要な舞台となています。また18世紀イギリスの上流階級を舞台にした多くのロマンス小説では、仮面舞踏会が舞台となったりプロットを進める上での道具になったりしています。 仮面舞踏会 および マスカレードを題名にした作品 「仮面舞踏会 (曖昧さ回避)」および「マスカレード」を参照 <ヴェネツィア総合メニュー> |