シルクロードの今を征く Now on the Silk Road アルメニアの世界遺産3 ![]() ズヴァルトノツ考古遺跡 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、2020年7月31日公表予定 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) アルメニア1 アルメニア2 アルメニア3 エレバン 世界遺産1 世界遺産2 世界遺産3 次はアルメニアの世界遺産3です。 ◆エチミアジン大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツ考古遺跡(エレバン) ![]() 出典:Wikipedia ![]() エチミアジン大聖堂 Source:Wikimedia Cmmons エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡は、アルメニア共和国にあるユネスコの世界遺産登録物件名です。登録は2000年です。古いキリスト教の教会堂を対象としています。 ![]() エチミアジン大聖堂 Source:Wikimedia Cmmons ![]() ズヴァルトノツの教会堂の遺跡 Source:Wikimedia Cmmons アルメニアは世界でも最も古い文化を持つ国のひとつで、301年には、歴史上初めてキリスト教を国教と定めています。東ローマ帝国とサーサーン朝に挟まれたアルメニア王国は、5世紀になると両国に分割されて滅びますが、6世紀末には東ローマ帝国のあらゆる場所にアルメニア人のコミュニティが形成され、特に軍の要職はアルメニア人が占めるほどになりました。アルメニア人は東ローマ帝国内に社会的優位性を築き、ビザンティン建築においても、その発展に寄与することになります。 アルメニア最古の教会建築物は5世紀から6世紀に遡り、その形式はシリアの影響を強く受けたものでした。5世紀のアルメニアの歴史家アガタンゲロスによると、聖堂の建設は、最初の大主教啓蒙者グレゴリオスが、キリストが天から下りて、金色の槌で大地に触れるビジョンを見たことに始まります。彼はその場所、ヴァガルシャパトに大聖堂エチミアジンを建設しました。 ![]() スルブ・フリプシメ教会 Source:Wikimedia Cmmons ![]() スルブ・ガヤネ教会 Source:Wikimedia Cmmons 現在の教会群は、610年から670年頃にアルメニア建築が高度に洗練された頃に建設されたものを中核とする。コミタスによってフリプシメ(618年創建)、ガヤネ(630年)、カトリコス・ネルセル3世によって創建されたズヴァルトノツ(643-661年)、カルムラヴォル、オヅン、ヴォスケバル。中でもフリプシメ教会は古典的完成品の域に達した構造をもっています。 この時期、アルメニア高原は、暗黒時代に突入した東ローマ帝国本土に代わり、ビザンティン建築を牽引するはたらきを担いました。ただし、厳密に言うと、アルメニア建築はビザンティン建築に包含されるものではなく、常にアルメニアの独自性を保ち続けたと言って良いと言えます。大聖堂以外に、スルブ・ガヤネ教会、スルブ・フリプシメ教会、スルブ・アストゥアツァンティン(生神女)教会などが登録されています。 主な建築物 世界遺産には、3つの領域が指名されている。 ・エチミアツィンのスルブ・アストゥアツァンティン大聖堂とスルブ・ガヤネ教会 ・スルブ・フリプシメ教会 ・王宮跡を含むズヴァルトノツの考古遺跡 世界遺産 登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。 ( 2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 ヘラートへつづく 総合メニュー(西域 |