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シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road


大唐西市博物館 視察50

あとがき

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察50



 あとがき

 西市遺跡は、古代シルクロードのこれだけ残された商業遺跡であり、貴重な歴史と文化価値をもっている。2007年、中国国家文物局に許可され、シルクロード沿線各国による世界文化遺産申請プロジェクト目録に入れられ、千年も眠った大唐西市は、再び美しい輝きを現わしたのである。

 大都西市グループは、積極的に文化財を保護し、巨額な投資をし、西市遺跡の上で文物を展示する大規模で現代的な博物館を建て、社会貢献ができることを願っている。

 大唐西市は、世界の東西両極の経済・文化の交流及び融合の地として、かつて類がない輝く歴史を創り、中国と世界に貴重な精神的な財産を残した。その精神は、永遠に後世に受け継がれ、ますます豊かになるに違いない。



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



銀薰球(複製品) Silver Censinv Ball
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 銀製球形香炉は、球の中央に火をつけた香を入れ、その部分を二本の平行した鎖で外側の球に繋いでいます。本体部分を通る内輪と外輪の軸は互いに垂直で点で交差しています。香を入れる部分の重量によって、外側の球体がどのような向きになっても常に水平に保たれ、落ちることはありません。現代のジャイロスコープの原理と同じ構造となっています。


銀薰球(複製品) Silver Censinv Ball
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 博物館の視察を終えて
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆西商精神 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 西商精神について、その起源について、2018年7月4日の毎日頭條の記事から一部を日本語に翻訳して紹介しておきます。一言で言えば、「西商」、すなわち、陝西省を忠信とする中国西部地域、なかでもその中心都市であった長安=西安で発展したビジネスマン(西商)の精神は、その厳しい自然、風土、社会のなかで、人々が培った質実剛健、質素倹約、シンプルな生活スタイルの中から生まれた、智恵と精神に基づいて育まれたもので、中国のビジネス界にあっても有名な精神であるということです。

西商精神就是“大商道”精神

・西商精神の起源

 「西商」といえば、古代の長安と切っても切れない関係にあります。長安は中国の歴史の中で第13番目の王朝の古代首都です。この重厚な歴史と文化の蓄積により「西商」は「国家一体」との思いをもち、個々の事業活動が国と国の盛衰に直結するものと意識し、「国の存亡は夫の責任」という愛国の気持ちを形成してきたのです。「西商」は国家の繁栄とその実現を事業の出発点及び目的として、「商業が国をなし、商業が国を護り、商業が国を豊かにする」ということを西商精神が追求する最高の境地であるとしてきました。

 西北大学の李剛教授は、こう述べていた。「西商精神」には国に対するの忠誠心、リスクを恐れない開拓精神、誠実で忠信(真心を込めて嘘偽りがない)の精神、生活は質素であって重厚な精神にある、と。

 歴史的に、国や民族が危機に直面した時には、「西商」は常にすぐさま身を挺して前進し、物資や資金を寄付し、身を投じて国のために尽くしてきました。これは「西商」の職業人としての自覚と、また、陝西人が中国文化の優れた保護者であるという自信を示したものです。

 明・清王朝の時代「西商」は主に、祖国の西部において商業貿易活動に従事してきました。そこは広大な荒れた自然環境であり、厳しい自然条件と野蛮な匪賊が横行する地域で社会的にも治安の悪い環境であったため、商人たちは、こうした苦難を恐れず大胆な開拓精神を以てこの環境に打ち勝って成功するためには先駆的な精神をもつことを求められました。

 陝西省関中地区の山々は厳しく、生態学的条件も非常に希有で荒れた大地、水は少なく、土は砂漠に覆われていたため、こうした環境で生存することは非常に厳しく、秦の人々は、質素剛健で勇気ある性格により生死をかけて特徴ある商業を育ててきました。西部地域のこうした厳しい環境の中で「西商」は勇気を持っ
て努力を惜しまず、多くの素晴らしい成果・業績を生み出してきました。

 中国の農業経済の発祥地として、農業生産の発展のための規律を遵守するため、伝統的な農業生産における人と土地の活力を転換する法律を形成し得たのは、陝西人の誠実で自然を信頼するという生まれながら備えている性質によるものです。 陝西省の山を貫く高速道路や黄土高原の人文環境はまた、秦人の質実な性格的特徴によって形成されたもので、「西商」は信頼でき誠実で、仕事にまじめで忠信、正直で価格は安く、利益は小さい、すなわち、人もお金も話も厳格であることから「三硬商人」と言われ、そのイメージは、中国ビジネス界でも有名になりました。

 そうして、陝西の農業を中心とする産業構造と人と土地が少ないという歴史と環境は、陝西の人々が節約的なシンプルなライフスタイルを形成することに繋がり、和を受入、周文化の長期的な統治により、陝西人の自然を尊重し贅沢をしない素朴な民族週間を形成してきました。こうした優れた数巻風俗のなかで成長した「西商」は、シンプルで優れた生活様式の電灯を護り、質実剛健で、また質素倹約でも繁栄した豊かな生活を営む理念をもち、明と清のビジネスの歴史のなかで、「富のために懸命に働き、倹約して身代をつくる=家を興す(勤劳致富、节俭发家)」という財と富みをつくるための神話を作り上げました。

 こうした「西商精神」は、明清時代の「西商」の発展と強化のための精神的推進力となり、また、未来の世代に残された歴史的遺産と貴重な精神的財産でもありました。


大唐西市プロジェクトへつづく