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2013年8月27日〜30日、北軽井沢に保養に行きました。何と現地は日中でも24℃前後、朝夕は涼しく、明け方は17℃と寒いくらいでした。 この保養所(別荘)は、環境総合研究所(東京都目黒区)の施設です。もともとは平成元年に建てられました。天井、壁、床など、ほとんどすべてが赤松を使っています。 この保養所があるのは、浅間高原の標高1100mの真ん中です。 いわゆる軽井沢の標高は900mですが、「沢」という字がついているように軽井沢は湿度が非常に高いのに対し、北軽井沢は軽井沢より気温が2℃程度低く、さらに湿気も低く夏はいつ行っても非常に爽やかです。 ところで民主党が裏切った数ある公約のなかで、最も顰蹙(ひんしゅく)度合いが高いと思える「八ッ場ダム」の工事現場には、保養所から車で20−30分の位置にあり、ここ10年、30数回出かけています。 政権交代時の民主党の公約や政策には、すばらしいものもたくさんありましたが、自民党にバッシングされると、次々にそれらの公約や政策を降ろしてしまいました。 半世紀も政権交代がなかったのですから、ちょっとやそっとバッシングされ、大メディアに批判されても、初心を貫いていれば、多くの国民は支援したと思います。 さらに民主党の決定打は、こともあろうか、公約にない消費税増税を自民、公明、民主の3党で決めました。そのさきがけは、菅直人氏が代表となった2010年夏の参議院議員選挙で、「消費税を上げれば若者の雇用が増える」というトンデモ政策にありました。 やっとのことで半世紀ぶりに国民自らが選択した政党が、かくも国民の信頼を裏切り、政治、政党、政治家への不信を高めることになったのは、犯罪的であるとさえ思っています。 .... 話がそれましたが、私は先に、28年前に起きた日航機事故について「JAL123便 日航機事故を再検証@〜B」を書きまくりました。
今回、真夏の北軽井沢を拠点に、日航機事故現場、南相木ダム、限界集落などを都合3日間現地調査することにしました。 さて、私達は8月27日午前9時、東京の練馬を出発し、関越高速道に入り花園ICで降りました。その後、国道140号線で寄居→皆野→秩父→小鹿野といずれも埼玉県西部地域の国道、299号線を抜け、目的地の上野村に到着しました。午前11時30分頃です。 上野村の道の駅で一休みした後、国道299号線から県道124号線に入り、さらに御巣鷹の尾根に向かう村道、2206号線に入ります。 ◆日航機墜落現場 県道124号線から上野村道2206号線に入ってからは、以下のルートで駐車場まで曲がりくねった林道を車で行きます。 出典:グーグルマップ 村道2206号線は、おそらく日航機事故後に林道を整備し「立派なスーパー林道」としたもので、私がひとつふたつと数えただけでも7つのトンネルがありました。 「立派なスーパー林道」のトンネルのひとつ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27 実際、上野村の日航機事故現場に通ずる「立派なスーパー林道」は、ほとんどが昭和60年以降、すなわち日航機事故が起きた1985年に起工していることがわかりました。下は中ノ沢林道です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27 私達は、この上野村道の2206号線を標高約1450mまで登ったところで、何と行く手を阻まれました! 「これより先、9月20日まで通行禁止」となっていました。 が〜ん!! 下はその標識です。真夏に来たので、まさか通行禁止となっているとは夢にも思いませんでした。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27 下の写真が村道2206号線です。奧が御巣鷹の尾根方向です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix 2013-8-27 通行禁止の標識は上野村道2206号線だけでなく、すぐ隣を流れる沢にも下の標識がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27 後になって、「慰霊の園」の事務室にいた関係者に聞いたところ、2013年は8月1日から8月18日まで遺族を中心に通行OKだったとのことですが、その後、9月20日まで工事のため再度不通としたとのことです。 何とも残念です。 JAL123便が墜落した御巣鷹の尾根、実際は高天原の尾根にある「昇魂の碑」などに行くには、この村道をさらに3kmから4km車で登り、駐車場に一端車を置いた後、歩いて800m、標高で180mほど登ることになります。残念ながら進入禁止なので、今回はあきらめました。 出典:http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm そのかわり、行きの27日、帰りの30日そして8月28日の3日間、北軽井沢の別荘から御巣鷹山周辺地域を3日間にわたり、徹底探索することにしました。 なお、下の地図は、今回の現地調査を元にかなりの精度でとらえたJAL123便日航機事故の墜落現場の正確な位置です。それぞれの標高は、御巣鷹山が1639m、JAL脱落現場が1568m、そして高天原山が1979mです。 もちろん、墜落後、あちこちに航空機の破片が散乱していますが、以下の地図ではボーイング747機が最初に激突した地点を示しています。この地点は、世に言う御巣鷹山の尾根ではなく、高天原山(1979m)のひとつの尾根(通称、スゲノ沢)にあります。 日航機墜落現場の正確な位置図 出典:青山貞一、鷹取敦(環境総合研究所、東京) 以下が墜落後、あちこちに航空機の破片が散乱していた場所の概略図です。図中には標高の等高線が入っています。 第一エンジンと右主翼の一部は1450mと激突地点より100m以上低い位置にあることが分かります。また右主翼の一部は図中、真ん中の1530mの標高に、全部胴体は図中左下の1580mの高い位置に、さらに第二エンジンは1530〜1540m(図中右端)に、さらに第三エンジンは図中、右下にあります。 範囲としては、高天山の尾根のスゲノ沢、200m×200mの広い範囲に散乱していることが分かります。 出典:日航機事故調査報告書 墜落現場や御巣鷹山、高天原山は、険しい急傾斜地にあり、現場まで行ける道は上記の村道2206号線の終点から徒歩で登山するしかありません。しかし、現地でいろいろ調査しているうちに、墜落現場は下の地図から明らかなように長野県南相木村の南相木ダムや長野県川上村から比較的近くの位置であることが分かりました。 実際の現場は下の写真のようになります。 慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時の写真 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27 下の図は、上の写真に天地左右を合わせたものです。第一エンジンは左下、第二エンジンは左上、前部胴体は右下近くに位置します。 出典:日航機事故調査報告書 つづく |