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日航機墜落事故を再検証@

青山貞一

掲載月日:2013年8月16日
 独立系メディア E−wave Tokyo


 1985年8月12日18時12分、東京都大田区にある羽田空港を離陸した日本航空(JAL)の大型ジェット機(ボーイング747)が、離陸間もない18時24分35秒、相模湾上空で垂直尾翼を2/3脱落させました。

 その後、パイロット、副パイロットの懸命な操縦にもかかわらず、18時56分28秒、群馬県上野村のいわゆる御巣鷹の尾根に激突しました。

 下の3枚の地図は、羽田空港を離陸した日本航空(JAL)機が、離陸間もない18時24分35秒、相模湾上空で垂直尾翼を2/3脱落させ、その後、18時56分28秒、御巣鷹の尾根に激突するまでの軌跡を各種地図上に示したものです。


JAL123 日航機墜落の軌跡1(衛星画像) 出典:青山貞一、鷹取敦


JAL123 日航機墜落の軌跡2(地形図)  出典:青山貞一、鷹取敦


JAL123 日航機墜落の軌跡3(地図)  出典:青山貞一、鷹取敦

 さらに、日航機のパイロット、航空管制官らがそれぞれの位置で発した通報などの内容は、政府が非公表としている部分は、すべて以下の音声ファイルで確認することができます。

◆日航機墜落事故、飛行経路に対応したボイスレコーダ音声検証

 「日航機123便墜落事故」は2013年8月12日で28年を迎えることになりました。

 たまたまこの一年、秩父事件の歴史探訪そして北軽井沢別荘から山梨県に行く途中、群馬県南西部にある上野村を2度ほど通り、御鷹山近くに行く機会がありました。このときは、御巣鷹の尾根に登りませんでした。

◆青山貞一・池田こみち:温故知新 秩父事件 D第3のルートで群馬から長野へ


上野村の位置

 私達は御巣鷹の尾根近くの南牧村、上野村、南相木村、北相木村などに行きましたが、この地域一帯は、急峻な山が多く、とくに冬場は群馬県から長野県に通ずる道、トンネルの多くは閉ざされています。


日航機が墜落した現場、御巣鷹の尾根の想定図


 上述のように過去2回、上野村にでかけたときは御巣鷹の尾根には登りませんでしたが、一瞬にして520人の乗客が亡くなった世界に類例のない航空大事故についてぼんやりと関心を持つようになりました。

 そしてこの夏、8月12日をかわきりに、過去ホームページに掲載されている膨大な量の日航機事故に関する疑義、疑惑、真相などを読みました。

 さらに、この種の事故、事件は、現場にこそヒントがあるという言い伝えの通り、現地調査を行うことにしました。

◆青山貞一:日航機事故現場への登山計画

 ところで、下は日航機墜落の現場位置を示しています。

 ところで、日航機事故の尾翼が2/3脱落した原因については、事故調査委員会が「事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体 後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される」と後部圧力隔壁の破損を原因としています。

◆出典:事故調査委員会報告の解説
http://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf

 しかし、この後部圧力隔壁の破損を原因とした報告には、大きな疑義を感じます。そもそも、この日航機事故以外、世界中で膨大な数が使われているB747で同種の致命的な事故は発生していません。

 またB767、B777などの後継機種、ロッキード系、ダグラス系などの米国系民間航空機、それにEU系のA300、A310、A320などでも後部圧力隔壁の致命的な破損は聞いていないからです。

 私も永年、3次元流体シミュレーションの研究、実務をしていますが、もし、後部圧力隔壁が最初に破損したとしたら、当然のことながら機内で大きな気圧変化や風圧が起きて不思議ではありません。

 しかし、生き残った方の証言でも大きな音がした後に機内にいて大きな減圧は感じていないとされているからです。事故調はもっともらしい原因究明をしていますが、あくまでためにする報告であると感じます。

 仮に減圧が少しはあったかもしれませんが、何と言っても垂直尾翼を2/3破壊してしまう圧力隔壁の崩壊があり、その直後に急減圧が起きたと考えるのは無理があります。

 生存者の落合さん(非番の客室乗務員)の証言、それにボイスレコーダーも圧力隔壁がそんな勢いで吹っ飛んだと証明していません。もし、それがあるなら、間違いなくボイスレコーダーに残っているはずです。

 具体的には機内に、「急減圧」の有無が非常に重要な論点となっていましたが、結論として急減圧はなく、後部圧力隔壁の破損もなかったと思えます。

 しかしながら、事故調査委員会は「後部圧力隔壁破損説」に固執し現在に至っています。巻末に付けた論考、「日航機事故の真相」では急減圧がなかった理由を以下の4つとしています。

  @JAL123便は、規定の急降下をしていない
  A酸素マスクは降りたが、クルーは使っていない
  B墳流で乗客も荷物も噴き飛んでいる様子はない
  C生存者の機内の状況目撃証言でも急減圧はない

 「日航機事故の真相」では、上記について、以下のように述べています。

 第1の根拠
 JAL123便のクルーは、機を急降下させていないことです。機内に急減圧が発生すれば、直ちに急降下を行うことが義務づけられているのですが、JAL123便は高度を2万2000フィートに下げる許可を求めただけで、急降下させていないのです。それは、急減圧がなかったことを意味していることになります。

 第2の根拠
 酸素マスクが降りてきたにもかかわらず、パイロット・クルーはそれを着用していないことです。これは、マスクをつけなくても操縦ができたことを意味しており、これも急減圧がなかったことを意味しています。
 それに酸素マスクが降りたのは、急減圧のせいではなく「ドーン」という何かがぶつかった衝撃によって降りてきたのではないかともいわれているのです。

 第3の根拠
 墜落前の機内写真によると、酸素マスクは降りているものの、比較的機内は整然としていることです。もし、本当に急減圧が起きていれば、乗客や荷物が後ろに噴き飛んで大混乱になっていたはずなのに、そういう状況は見られないのです。
 ボイスレコーダーにも、それをうかがわせるものはいっさい入っていないのです。

 第4の根拠
 生存者の落合由美氏の証言でも急減圧は起きていないのです。乗客は降りてきた酸素マスクは当てているが、混乱はなかったと落合氏は証言しています。事故機の機内にいた人自身がそう証言しているのですから、これ以上確かなことはないはずです。

 しかし、事故調査委員会は、それでも後部圧力隔壁の破損の一点張りなのです。それにJAL123便の過去の事故を持ち出して正当化しようとしているのです。 

 いずれにしても、圧力隔壁についても相当な外的圧力が垂直尾翼に直接加わり、2/3が破壊し、圧力隔壁に力が加わり少し破壊したと考えるのがきわめて自然だと思います。

 以上が、事故調査委員会報告に疑問を感じた生き残り者、識者、研究者等の一致した見方であると思います。

 さらに、この件を調査した事故調査委員会は、まったく第三者調査委員会ではなく、政府(今の国土交通省、当時、運輸省)所管のものであるからです。3.11の福島第一原発事故では、政府(行政)、国会、民間がそれぞれ独自に事故調査委員会を立ち上げ、調査報告書を公表しています。しかし、日航機事故では、政府の調査だけだったことは極めて禍根を残しています。

 どうみても委員会報告の原因は考えにくいと思っていたところ、当時、日本の自衛隊が開発し試験的に使用していた小型誘導ミサイルSSM−1を使用していたこと、さらに相模湾上にいた自衛隊の艦対空ミサイル「短SAMシースパロー装置」を日航機に向けて誤射し、最終的に日航機の垂直尾翼に損傷を与えたのではないかという論考が見つかりました。

 日航機事故が起きた1985年8月12日、自衛艦船「まつゆき」は相模湾・伊豆沖で試運航中であり、ミサイルの発射実験とその誘導レーダーの操作、命中テストの訓練をやっており、それが民間航空機に誤射されたのではないかというのです。ただ、SSM−1誘導ミサイルには爆薬は搭載されていません。

SSM−1 制式名88式地対艦誘導弾

 陸上自衛隊の略称はSSM。2000年10月に防衛庁(当時)が公募し、2001年4月に採用した愛称はシーバスター。昭和57年開発開始、昭和63年開発完了。発射機、指揮統制装置、射撃統制装置、捜索標定レーダ装置などで構成される。


SSM-1

 ASM-1の改良型で、動力をターボジェットに変更し、初期加速用のロケットモーターの分だけ全長が伸びている。ターボジェットによる長射程を生かし、海岸線付近に進出した捜索標定レーダ装置の射撃データを内陸部に配置された指揮統制装置に送り、射撃統制装置がミサイルに発射指示を下すという世界でも例を見ない構成を採る。

 発射されたミサイルは地形に沿って飛行して被発見率を下げるほか、発射陣地を秘匿するように経路をプログラムされる。高度なECCM能力や、ミサイルの同時着弾、特定目標に集中しないための独特の目標選択アルゴリズムを持つといわれる。

 同誘導弾により地対艦ミサイル連隊が6個整備された。一時、3個連隊への縮小が計画されたが、中国の軍事的な脅威が高まったため、西方移転する形で編成数が保たれる見通しである。

出典:Wikipedia 


出典:日航機事故の真相
http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm#S3

 誘導ミサイルは、1991年の湾岸戦争で米軍が使うようになったミサイルで軍事GPSを搭載し、標的をどこまでも追尾し爆撃するものであり、日本の最新鋭の技術が使われていました。日航機事故は1985年であり、時期的にみて符合します。

つづく