日航機事故から30年、 慰霊の園で焼香 青山貞一 Teiichi Aoyama *1,*2 池田こみち Komichi Ikeda *2 *1 東京都市大学名誉教授 *2 環境総合研究所(東京都目黒区) August 18, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
2015年8月10日、群馬県北軽井沢にある環境総合研究所の保養所に向け午前9時過ぎ練馬を車で出発し、関越自動車道の花園インターで下車、一般道の国道299号線で秩父経由で上野村に向かいました。 この時期、途中、いつものように埼玉県寄居町、皆野町、秩父市を経由し午後1時半過ぎに上野村にあります日航機事故の犠牲者を慰霊する「慰霊の園」に到着しました。 一昨年も「慰霊の園」に来ていますが、今回は日航機事故から30年目の年、「慰霊の園」では8月12日に備えて下の写真にあるように大きなテントの設営などの準備が行われていました。 私達は日航機事故の遺族でもその関係者でもないので、8月12日ではなく2日早めに「慰霊の園」に来て、自分たちなりの慰霊をすることを昨年から決めていました。8月12日がおそらく遺族、日航関係者、マスコミ各社が「慰霊の園」に集まるので、到底、焼香などできないと思ったからです。 下はテントが設営された「慰霊の園」です。 「慰霊の園」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 「慰霊の園」とは 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 慰霊碑の真後ろには、下の写真にあるように、2つの灯籠が花壇の間にあります。 「慰霊の園」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 下は2015年8月12日の夕方の「慰霊の園」の30年目の記念行事を中継したNHKニュースの画面です。遺族が大きなテントの下に座り、午後6時過ぎから一人一人ご焼香をしてゆきました。そして日航機が墜落した午後6時56分、全員が起立して黙祷を行いました。
私達が東京から車を飛ばしてきた8月10日は、猛暑日で10分と炎天下にいられないほどでしたが、東京から持参した線香を供え、日航機事故で亡くなられた520名の人々の慰霊をしました。 私達は、「日航機事故再解明の課題1〜5」にあるように、日航機事故そのものについては、その原因、捜索、救護などについてさまざまな疑義をいだいており、今なお現地調査を含め疑義解明のために自主的に調査を行っていますが、いかなる原因、理由があろうとも、単独事故では世界最大規模の死亡者を出した日航機事故の犠牲者への慰霊は重要なものと思い、ご命日を前に、慰霊、焼香を行ってきました。 「慰霊の園」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 「慰霊の園」 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-10 「慰霊の園」 撮影:池田こみち スマホ 2015-8-10 下の3枚の写真は焼香をしているところを撮影したものです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 観音様も、炎天下の猛暑で大変そうでした。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-10 この後、御巣鷹の尾根(正確には高天原山の尾根)の登山口に向かいますが、その前に、新装なった「慰霊の園」の展示棟に向かいました。 つづく |