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  厳寒のロシア2大都市短訪

エカテリーナ宮殿
Дворец Екатерины

琥珀の間


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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  ・エカテリーナ宮殿 琥珀の間
  
琥珀の間1   琥珀の間2  琥珀の間3  琥珀の間4  琥珀の間5


◆サンクトペテルブルグ市

 


  琥珀の間は、エカテリーナ宮殿の数ある部屋や展示物の中で最も稀有で秀逸な財宝です。ここでは、その詳細を余すことなく紹介したいと思います。
 

◆エカテリーナ(エカチェリーナ)宮殿  <琥珀の間の詳細

 琥珀の間(Янтарная комната ヤンタールナヤ・コームナタ)は、エカテリーナ宮殿内の一室の名です。その名の通り、部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のものです。

 琥珀が第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にナチス・ドイツ軍に持ち去られたため、「琥珀の間」は失われていました。その後、1979年から始まった復元作業により、2003年に琥珀の間は完全に復元されました。現在、エカテリーナ宮殿で見られる「琥珀の間」は、復元されたものです。

 琥珀の間に使用された装飾は、ロシア西欧化の基礎を築いたピョートル大帝がプロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世から譲り受けた装飾が元になっています。琥珀の間の原型とも言える「琥珀の部屋」はプロイセンで構想され、制作が開始されました。

 当時のプロイセン王フリードリヒ1世は、琥珀の部屋の装飾、独創性を好んだといいます。しかし、フリードリヒ1世は琥珀の部屋の完成を見ることなく、この世を去っています。

 下の地図は、フリードリヒ1世が在位した東プロイセン、現在のロシアのカリーニングラードの位置を示しています。


旧プロイセン、現カリニングラード(ロシア)の位置
出典:グーグルマップ

 その後、琥珀の部屋の装飾はフリードリヒ1世の子、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の時代に、ピョートル大帝が所望し、贈られることとなります。しかし、装飾はすぐに組み立てられることはなく放置されました。

◆琥珀(コハク、 Amber、アンバー)

 琥珀は、天然樹脂の化石であり、宝石です。半化石の琥珀はコーパル(Copal)、加熱圧縮成形した再生コハクはアンブロイド( ambroid)といいます。バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきました。鉱物ではありませんが、硬度は鉱物に匹敵します。色は、黄色を帯びたあめ色のものが多いようです。

 「琥」の文字は、中国において虎が死後に石になったものだと信じられていたことに由来しています]。 日本の産地である岩手県久慈市の方言では、「くんのこ(薫陸香)」と呼ばれています。

 こはくは200℃以上に加熱すると、油状の琥珀油に分解され、過熱を続けると黒色の残留物である「琥珀ヤニ、琥珀ピッチ」という液体になります。


Baltic amber. Polished stones バルト地方の琥珀
Source:Wikimedia Commons
Автор: Homik8 Michal Kosior - Власна робота, Суспільне надбання (Public Domain), Посилання


産地

 主な産地はかつてのプロイセンに相当する地域です、ポーランドのグダンスク沿岸、ロシア連邦のカリーニングラード州で、ポーランド・グダンスク沿岸とカリーニングラード州だけで世界の琥珀の85%を産出しています。そのほかリトアニア共和国、ラトビア共和国など大半がバルト海の南岸・東岸地域です。

 産地であるバルト海沿岸を中心に、琥珀の交易路が整備されました。この交易路は琥珀の道(琥珀街道)という名称が付けられています。

 ポーランドは琥珀の生産において圧倒的な世界一を誇り、世界の琥珀産業の80%がグダンスク市にあり、世界の純正琥珀製品のほとんどがこのグダンスク地方で製造されています。 毎年、グダニスクでは国際宝飾展AMBERMARTが催されています。また琥珀博物館も建てられています。

 一方、アジアでは中国の雲南、河南、広西、福建、貴州、日本においては岩手県久慈市近辺や千葉県銚子市で産出されています。

出典:Wikipedia

 以下は、世界の9割の琥珀が産出されるというロシアのカリーニングラードの琥珀採掘場の詳細です。

  ※ カリーニングラードの琥珀採掘場 出典:Sovietsky

 以下はカリーニングラードにある琥珀博物館の公式サイトです。

   ※ カリーニングラードの琥珀博物館 出典:Amber Museum Kaliningrad

 
 Amber Museum Kaliningrad 
Source:Wikimedia Commons
Von Ttracy - Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, Link


 さてロマノフ王朝のピョートル大帝の死後、即位したエリザヴェータは自国文化の更なる西欧化を図りましたが、冬宮(現在のエルミタージュ美術館)の改築の際に、放置されていた装飾は宮殿の謁見の間の装飾として、ロシアで作られた装飾と共に利用されました。

 こうして、エカテリーナ宮殿の琥珀の間は、当初のプロイセンで構想された琥珀の部屋よりさらに大きく広い空間となったのです。この時点で琥珀の間としては完成していたと考えられています。

 その後、琥珀の間は夏宮に移されました。完成は1770年、エカテリーナの時代でした。エカテリーナ2世は琥珀の間をことのほか愛し、部外者の立ち入りを禁止していたといいます。

 以下はエカテリーナ宮殿にある「琥珀の間」です。とくとご覧ください。

部屋


復元されたエカテリーナ宮殿の琥珀の間
Source:Wikimedia Commons
Georg Dembowski. User Schoschi on de.wikipedia - Originally from de.wikipedia; description page is (was) here* 00:08, 27. Sep 2004 [[:de:User:Schoschi|Schoschi]] 852 x 1136 (269.711 Bytes) <span class="comment">((nachgebautes) Bernsteinzimmer in Puschkin)</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる



復元されたエカテリーナ宮殿の琥珀の間
Source:Wikimedia Commons
By jeanyfan - Own work, Public Domain, Link



フーシキン市エカテリーナ宮殿の復元された琥珀の部屋の一部です。 
Source:Wikimedia Commons
Автор: El Pantera - Власна робота, CC BY-SA 2.5, Посилання


フーシキン市エカテリーナ宮殿の復元された琥珀の部屋の一部
Source:Wikimedia Commons
Von jeanyfan - Eigenes Werk, Gemeinfrei, Link


Russland - St. Petersburg - Das Bernsteinzimmer - Panoramafoto vom 11.Mai 2012 -
The Amber Room panoramic photo from May 11, 2012 - Панорамные фото
Янтарная комната с 11 мая 2012 го - panoramio.jpg
Source:Wikimedia Commons
 エカテリーナ宮殿 琥珀の間のパノラマビュー撮影 2012年5月11日、
By giggel, CC BY 3.0, Link



フーシキン市エカテリーナ宮殿の復元された琥珀の部屋の一部
Source:Wikimedia Commons



再生されたエカテリーナ宮殿の琥珀の間
Source:Wikimedia Commons
Stan Shebs, CC 表示-継承 3.0, リンクによる


つづく