厳寒のロシア2大都市短訪 パヴロフスク宮殿 歴史2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・パブロフスク宮殿 パブロフスク宮殿 歴史1 パブロフスク宮殿 歴史2 パブロフスク宮殿 概要 パブロフスク宮殿 内部概要 パブロフスク宮殿 庭園 ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 パヴロフスクの紋章 以下はパブロうスク宮殿の歴史2です。 ロシア最初の鉄道であるサンクトペテルブルク=パヴロフスク=ツァールスコエ・セロー間の鉄道は、1837年10月10日に開通し、交通の便は良くなりました。 ロンドンの地名にちなみ「ヴォクソール・パビリオン」(Vauxhall Pavilion)と呼ばれた駅舎は、当時は一種のコンサートホールとしても使われ、ヨハン・シュトラウス2世、フランツ・リスト、ロベルト・シューマンといった有名音楽家らが鉄道会社にロシアへと招かれ、パヴロフスク駅で演奏会を開きました。 「ヴォクソール・パビリオン」(Vauxhall Pavilion)と呼ばれた駅舎 Source:Wikimedia Commons By Unknown author - http://www.oldsp.ru/photo/tag/Павловский%20дворец/1, Public Domain, Link 19世紀のパブロフスク鉄道ターミナル Source:Wikimedia Commons Автор: Неизвестен - http://www.pavlovskmuseum.ru/park/element.php?, Общественное достояние, Ссылка ツァールスコエ・セロー鉄道の25周年の機会にパブロフスクでボール Source:Wikimedia Commons By Elena Samokich-Soudkovskaïa - http://ptdepo.ru/history/tsarskoselskaya_doroga.html, Public Domain, Link ヨハン・シュトラウス2世の記念碑 Source:Wikimedia Commons Автор: Витольд Муратов - собственная работа, CC BY-SA 3.0, Ссылка こうして多くの観客が演奏会を聴くために鉄道に乗ってパヴロフスクへとやってきたのです。この駅舎の名声は、「大きな鉄道駅舎」を意味するヴォクザル(Vokzal, Вокзал)というロシア語単語になって残っています。 パヴロフスク宮殿は、首都サンクトペテルブルクの外にあるロシア皇族の邸宅の中でも最も保存状態が良い部類に入ります。 豪華な新古典主義様式および帝政様式の内装は、1803年の大火で被害を受けた後、忠実に再現されました。ロシア革命とロシア内戦の時期、困難の中にあったソビエト政府はパヴロフスク宮殿を修復し、博物館・美術館として1918年に一般大衆へ開放しました。 独ソ戦のレニングラード包囲戦の際、1941年から1943年までドイツ軍がパヴロフスク宮殿を占領しており、貴重品の略奪や木々を切り倒しての要塞化などで大きな被害を受けました。 しかし、ペテルゴフのペテルゴフ宮殿やツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿が受けたような大打撃に比べると影響、被害は軽いものでした。修復は1944年に始まり、1970年にようやく完了しました。 パブロフスク。墓地 Source:Wikimedia Commons By Витольд Муратов - Own work, CC BY-SA 3.0, Link 1977年のソ連時代の記念切手と航空郵便カード。。「パブロフスクの200周年」(CPAカタログ№50)。スタンプ:パブロフスクの基礎にオベリスク。パブロフスク、ブリッジヴィスコンティの公園。イラスト:パブロフスク宮殿。宮殿のメインホールのアーチ。画家G. Komlev。1977年12月23日レニングラード、郵便局パブロフスク」パブロフスク市の200周年」。 Source:Wikimedia Commons Автор: Ministry of Communications of the USSR - Scan. From collection of Andrey Korzun, Общественное достояние, Ссылка つづく |