厳寒のロシア2大都市短訪 サンクトペテルブルグ 概要 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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ロシア短訪・総目次に戻る 概要 歴史 文化1 文化2 教育・交通 世界遺産一覧 世界遺産写真 サンクトペテルブルグ(30選) ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルグ市紋章 サンクトペテルブルグ市旗 ここではロシアの2大都市のひとつ、かつての首都であり、現在でもエルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿などで世界的に有名な都市、サンクトペテルブルグ市について紹介します。 ◆サンクトペテルブルグの概要 Source:Wikimedia Commons AlexTref871, Florstein - Image:Peter & Paul fortress in SPB 03.jpg, Florstein, CC-BY-SA 3.0Image:Saint Isaac's Cathedral in SPB.jpeg, Florstein, CC-BY-SA 4.0Image:Admirality Saint Petersburg SE facade and park fountain.jpg, Florstein, CC-BY-SA 4.0Image:Fontanka river SPB 5.jpg, Florstein, CC-BY-SA 3.0Image:Bronze Horseman.jpg, Florstein, CC-BY-SA 3.0Image:Winter Palace Panorama 2.jpg, Florstein, CC-BY-SA 4.0, CC 表示-継承 4.0, リンクによる サンクトペテルブルグはバルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都です。 サンクトペテルブルグは下表にあるように実質的に1917年までロシア帝国の首都でした。
第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれました。英語圏ではセントピーターズバーグ(Saint Petersburg)と呼ばれています。 都市の名は「聖ペテロの街」を意味します。これは、建都を命じたピョートル大帝が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたものです。 隣国のフィンランドではサンクトペテルブルクを、ペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ (Pietari) の名で呼んでいます。 当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフ (Санкт-Питер-Бурх) と呼ばれていましたが、後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルク (Санкт-Петербург) と呼ばれるようになります。 ロシア帝国の首都として長く定着していました。 帝政ロシア時代のサンクトペテルブルグ(St.Petersberg)主要部 Source:Wikimedia Commons 1914年、第一次世界大戦が始まりロシアがドイツと交戦状態に入ると、ロシア語風にペトログラード (Петроград) と改められました。さらにロシア革命によりソビエト連邦が成立すると、1924年よりレーニンにちなんでレニングラード (Ленинград, リニングラート) と改称され、この名称が半世紀続きました。 しかし、ソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称に再び戻りました。ロシア人の間ではピーテル (Питер, ピーチェル) の愛称で呼ばれています。州名は従来どおりレニングラード州となっています。 ◆現在のサンクトペテルブルグ市中心部 下の地図は、現在のサンクトペテルブルグ主要部と中心部を表しています。 サンクトペテルブルグの中心部は、最初の地図にあるように大ネヴァ河に面しており、その対岸には、ヴァシシレオストオルスキー島、トログラツキー島という2つの大きな島となっています。また、その中心部にもいくつもの川や運河が流れており、まるでイタリアのヴェニス(ヴェニチア)のようなまちとなっています。実際、「北のヴェネチア」とも比喩されている美しい世界的な文化都市です。 サンクトペテルブルグ(St.Petersberg)主要部 出典:グーグルマップ 訪問時のサンクトペテルブルグ中心部 出典:ワールド航空サ^-ビス 現在のサンクトペテルブルグの街並み、たくさんある運河はどれも凍結しています 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 20017-2 サンクトペテルブルグの中心分には、世界的に有名な美術館、エルミタージュ美術館(宮殿)、ピョール大帝の夏の宮殿、ユスコフ宮殿、メンシコフ宮殿など多くの博物館、、聖イサク大聖堂、カザン聖堂、血の上の救世主教会などの寺院、またマリインスキー劇場など世界的に有名な劇場、さらにドフトエフスキー博物館、ロシア文学博物館、プーシキンの家博物館、などの博物館、プーシキン像、聖堂の騎士像、ニコライ一世像などの像があります。 またこのサンクトペテルブルグ中心部から南東25kmの郊外には、元プーシキンスキー市、現在はサンクトペテルブル市の一部となっている地に、エカテリーナ宮殿やエカテリーナ公園などその昔、ロマノフ王朝の避暑地となっていたツァールスコエ・セローがあり数多くの歴史劇建築物が今なおそそかしこにあります。 以下は上からエルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿、聖イサク大聖堂、カザン聖堂 エルミタージュ美術館 Source:Wikimedia Commons Dezidor - 自ら撮影, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4085546による エカテリーナ宮殿 Source:Wikimedia Commons Stan Shebs, CC 表示-継承 3.0, リンクによる サンクトペテルブルグにある聖イサク大聖堂 Source:Wikimedia Commons Автор: Dezidor - Сфотографировано загрузившим, CC BY 3.0, Ссылка カザン聖堂(カザン大聖堂、カザン寺院) Source:Wikimedia Von A.Savin (Wikimedia Commons · WikiPhotoSpace) - Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link 血の上の救世主教会 Source:Wikimedia Commons
気候 ケッペンの気候区分では亜寒帯の湿潤大陸性気候 (Dfb) に属します。5月半ばから7月半ばの2ヶ月間は昼が長く、日の入り後、日の出前も薄明の時間が長いです。 その一方、冬の日照時間は非常に短くなります。冬の寒さは暖流の影響で内陸部やモスクワよりは温和ですが、時に-25度前後の日々が一週間程度続くことも珍しくありません。 年間降雪量は297cmほどと欧州の都市のなかでは多い方です。高緯度なため、日照時間が増えてくる2月が最寒月となります。過去最低気温は1883年のマイナス35.9度、過去最高気温は2010年8月の37.1度です。 出典:Wikipedia 行政 行政区分 下の図は、サンクトペテルブルグ市の行政区分を表しています。 出典:Souce:Wikimedia Commons Автор: Panther - собственная работа, CC BY-SA 3.0, Ссылка サンクト・ペテルブルクには、以下の19の行政区が設置されています。 1.アドミラルチェイスキー区(Admiralteysky) 2.ワーシリエオストロフスキー区(Vasileostrovsky) 3.ヴィボルグスキー区(Vyborgsky) 4.カリーニンスキー区(Kalininsky) 5.キーロフスキー区(Kirovsky) 6.コルピンスキー区(Kolpinsky) 7.クラスノグヴァールジェイスキー区(Krasnogvardeysky) 8.クラスノセルスキー区(Krasnoselsky) 9.クロンシュタットスキー区(Kronshtadtsky) 10.「クロンシュタット」を参照 11.クロートヌィ区(Kurortny) 12.モスコフスキー区(Moskovsky) 13.ネフスキー区(Nevsky) 14.ペトログラードスキー区(Petrogradsky) 15.ペトロドヴォレツォヴヌイ区(Petrodvortsovy) 16.プリモルスキー区(沿海区)(Primorsky) 17.プーシキンスキー区(Pushkinsky) 18.フルンゼンスキー区(Frunzensky) 19.ツェントラーリヌイ区(中央区)(Tsentralny) 経済 サンクトペテルブルクはロシアを代表する港湾工業都市です。造船業を初めとして、電気機器、工作機械・工具類、農業機械、化学工業、製紙、家具、繊維・衣類、食品加工、タバコ、皮革などの工業が発達しています。 旧サンクトペテルブルク証券取引所。現在は中央海軍博物館 Source:Wikimedia Commons Sergey Nemanov, CC 表示-継承 2.5, リンクによる つづく |