厳寒のロシア2大都市短訪 アレクサンドル塔 円柱の建設 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・宮殿広場とアレクサンドル塔 円柱 円柱の建設 ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 サンクトペテルブルグ市紋章 サンクトペテルブルグ市旗 エルミタージュ美術館のロゴ ◆アレクサンドル塔(円柱)とその建設 本稿の主な出典:Russian Wikipedia ところで、このアレクサンドル塔(円柱)の主要部分は、 花崗岩の一枚岩でできています。花崗岩は、火成岩の一種で流紋岩に対応する成分の深成岩です。 石材としては御影石(みかげいし)とも呼ばれています。この花崗岩は聖イサク寺院建設の場合と同様に、フィンランドから調達しています。 円柱の建設とその準備は、フィンランドのヴィーボルグ(近代的な都市)の省庁による監督のもと、Pyuterlakskoyの採石場で1830から1832年の間に行わました。 下は、フィンランド(当時はロシア領)とサンクトペテルブルグを示してあります。陸路もありそうですが、船で運ぶこととなります。 フィンランドのヴィーボルグとサンクトペテルブルグの位置 出典:グーグルマップ これらは、ウィザードSV KolodkinとV. A.ヤコブレフによって、S. K. Suhanovaの方法で行われましたが、この方法は、エルタミージュのすぐ近くにある聖イサク大聖堂の円柱でも使われた当時としては先覚的な技法となっているようです。 下のモノクロ絵画はヴィーボルグの石切り場のものです。たくさんの人々が乗っている岩山は、花崗岩でできています。これを時間をかけ石工が一本の円柱として切り出すことになります。 モンフェラン(O.Montferrand)のデザインによるリトグラフ Source:Wikimedia Commons Автор: Бишбуа и Ватто по рисунку О. Монферрана - [1], стр. 51, Общественное достояние, Ссылка 下は広場のすぐ近くにある聖イサク寺院で使われた多くの(全部で60本以上)花崗岩の円柱を切り出している風景です。 両者、すなわちアレクサンドル塔(円柱)と聖イサク寺院の円柱に関する絵画は類似点が多く、年号は不明ですが、同じヴィーボルグの石切り場から切り出されたものと推察できます。 フィンランドのPyuterlakskaya採石場で聖イサク大聖堂用の列柱の切り出し Source:Wikimedia Commons By Unknown art - Sederholm J. Om de tekniska egenskaperna hos finska graniter. Helsingfors: Tidning & tryckeri-aktiebolagets tryckeri, 1911. P 9. (Geol. comm. Finl. Geotekn.; N 8), Public Domain, Link フィンランドのヴィボルグ Pyuterlakskoy採石場での切り出しと円柱への石工作業は、当初花崗岩が円柱の高さ(長さ)と、円柱半径より少し大きなサイズで切断され、その後、正確な寸法になるまで表面を削ることになります。 出来上がった円柱は、その後Pyuterlakskoyの採石場からサンクトペテルブルグの港に運ばれます。また、アレクサンドル塔(円柱)部分を切り出し分離した後、同じ岩盤から基礎のための巨大な台座用の石を切断します。この基礎となった台座石の重量は、実に約400トンもあります。 以下は彫刻が施され完成したアレクサンドル円柱の台座部分です。 アレクサンドル塔(円柱)の台座部分 Source:Wikipedia Commons 最終的に完成した記念碑の土台は、50cmの厚さの石花崗岩ブロックで造られました。石工が地平線に合わせ、そこに1812年に勝利を記念した鋳造コインで青銅の棺をつくり配置しています。下はその鋳造コインです、 アレクサンド1世の肖像を描いたルーブルコイン。1834年のアレクサンダー塔(円柱)の完成を記念して作られました。 Source:Wikimedia Commons Автор: Pianist - Скан монеты из коллекции (I scanned this coin from the collection)., Общественное достояние, Ссылка かくして円柱と台座は、重量約1065トンの舩で運ぶことになります。これら花崗岩より切り出され磨かれた円柱と台座は、所定の位置に置かれ、船でサンクトペテルブルグの港まで運ぶことになります。出荷の準備、そして船への積み込み、運搬、そして船で対岸まで運ぶことになります。 運搬する特別な船には、「聖ニコラス号」という名前がつけられました。船を設計し建造の指揮したのはカー・グラジーリン大佐です。 かくして円柱と台座は、重量約1065トンの舩で運ぶことになります。実際に円柱と台座の岩を船に移すために、特別な桟橋が建設されました。この搬出、搬入の桟橋は、運搬船への貨物取り入れ口、取り出し口の高さと一致させます。そのために木製のプラットフォームを制作し使っています。 すべての課題を克服し、円柱と台座は特別運送戦に運び込まれ、フィンランド湾を渡り、サンクトペテルブルク沿岸にある宮殿に行くことになります。まず、現地ヴィーボルグでは、2隻のタグボートが艀(はしけ)によってけん引されました。 艀(はしけ)は、河川や運河などの内陸水路や港湾内で重い貨物を積んで航行するために作られている平底の船舶です。艀の多くはエンジンを積んでいないため自力で航行することはできず、タグボートにより牽引あるいは推進されながら航行することになります。 下の写真は現代のものですが、艀(はしけ)をタグボートが牽引しながら進んでいます。はしけの上には、NASAのスペースシャトル用の外部燃料タンクが乗っています。 スペースシャトル用の外部燃料タンクをケネディ宇宙センターへ運ぶ艀。ニューオーリンズのミシュー組立工場からフロリダ半島沿岸を周回して運ばれる写真 Source:Wikipedia Commons NASA/Cory Huston - http://mediaarchive.ksc.nasa.gov/detail.cfm?mediaid=28091 (direct link), パブリック・ドメイン, リンクによる サンクトペテルブルクへの円柱部分の到着は、1832年7月1日となりました。これらの作業の契約はヤコブレフが請負業者となり、さらに作業の実務はがMontferrandの監督の下で行われました。 下は船から搬出後、宮廷広場まで運ぶための製のプラットフォームです。これも聖イサク寺院と同じ方法です。この木によるプラットフォームを用いることにより、地盤(GL)面の凹凸で花崗岩を気づづけることなく、また急な斜面を運ぶことなく目的地まで数100トンの石材を運ぶことができます。 アレクサンドル塔(円柱)の巻き上げ作業 Source:Wikimedia Commons Автор: Александр Гаврилович Денисов (1811—1834) - artmeteo.ru, Общественное достояние, Ссылка 具体的には、盤面に構築したプラットフォーム上を傾斜面を利用してローラーを入れ引くか押すことになります。作業労働者は、集めてきた砂をプラットホーム上にまくとともに多数のローラーを設置します。その上にハシケで運んできた円柱を乗せ、巻き上げ方式により前に引っ張り進めます。 港から宮殿広場まで運んだ後、以下の絵画にあるように、今度は、プラットホームに置かれた円柱の片方を複数のロープで巻き上げるにより、円柱を立ち上げます。以下の絵画では、円柱の台座方向が下側となり、上部が巻き上げられている様子が分かります。またこの方法は、次の聖イサク寺院の工事の絵画をご覧いただくとよく分かります。 これはアレクサンドル塔(円柱)の巻き上げの様子を描いたもの Source:Wikimedia Commons De Бишебуа Луи Пьер Альфонс, Байо Адольф Жан Батист - artmeteo.ru, Dominio público, Enlace 下の絵画は、聖イサク寺院の花崗岩の円柱を立てる作業中のものですが、アレクサンドル塔(円柱)でも聖イサク寺院でも、ほぼ同じ方法が援用されたものと推察できます。 オウギュスト・モンフェランによる聖イサク寺院の円柱の巻き上げ作業 Source:Wikimedia Commons Di Auguste de Montferrand, 1786-1858 - St.Petersburg archives, Pubblico dominio, Collegamento 下はほぼ立ち上がったアレクサンドル塔(円柱)です。 グリゴリー・ガガーリン(ロシアの画家)による枠木の中心に立つアレクサンドル塔(円柱)。(1833-1832) Source:Wikimedia Commons Készítette: Grigory Gagarin - http://lj.rossia.org/users/john_petrov/680833.html#cutid1, Közkincs, Hivatkozás 下は完成し宮殿広場に立つアレクサンドル石柱です。 19世紀の色彩フォトリソグラフィ、東側からの眺めは哨舎(番兵小屋)、屏と外灯の燭台を描いています。 Source:Wikimedia Commons Автор: Неизвестен - Это изображение из Библиотеки Конгресса США, отдел эстампов и фотографий (Prints and Photographs division), имеет цифровой идентификатор (digital ID) ppmsc.03900.Эта пометка не указывает на правовой статус данной работы. Пометка о правовом статусе по-прежнему необходима. См. подробнее правила лицензирования Викисклада., Общественное достояние, Ссылка 下は、1834年のアレクサンドル塔(円柱)周辺での完成披露パレードのモノクロ写真です。 1834年、アレクサンダー塔(円柱)のオープニングパレード ロードナーの絵画より。 Source:Wikimedia Commons Автор: Ладурнёр - «Открытие Александровской колонны 30 августа 1834 г», Общественное достояние, Ссылка つづく 美術館の構成とフロアー案内へ 総目次に戻る |