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厳寒のロシア2大都市短訪

   
冬宮殿の部屋と広間

紋章の間


青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
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 ・エルミタージュ冬宮(本館)の主要施設
   ヨルダンの階段       大玉座の間     紋章の間
   マーシャル将軍の間   軍事の間       大教会     
   アレクサンダーの間    白色の大広間    黄金の応接間
    クジャク石の間       アラビアの間    ネヴァ河3広間 
   コラス1世円形の間    私的居住空間    庭園   コンサートホール


◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  
サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

  



紋章の広間


 紋章の間は、エルミタージュ冬宮が小エルミタージュに突き出た部分(大ホール)の西側の赤い部分にあります。この勲章の広間は、大ホールに次いで大きく、広いホールとなっています。


冬宮殿におおける紋章の間の位置
Source:Wikimedia Commons



紋章の間
Source:Wikimedlia Commons
By Photo: Ivan Ozherelyev (Иван Ожерельев) ; Architect of work shown : VP Stasov - Found here ru:Изображение:Зал в классическом античном стиле в Зимнем Дворце.jpg on the Russian Wikipedia where it has GNU licence (29 March 2008). On 11 April 2008 a copy was uploaded to Commons and renamed to c:File:Amorial Hall.jpg. The original file was deleted from the Russian Wikipedia on 2 March 2013., CC BY-SA 3.0, Link


 冬の宮殿の「紋章の広間」はもともと、公式な式典のために設計された大変広い部屋です。紋章の広間は、軍事展示室(ギャラリー)と宮殿の中庭の間に位置しています。

 現在のホールは、1837年の宮殿の大火災によってオリジナルのホールが焼失したあと、1830年代末期にワシリー・スタソフが設計しました。その時に、溝を掘った柱の金メッキが施されました。

 聖ジョルジュホールとニコラスホールとともに、紋章の広間は宮殿における主要な娯楽エリアとなっていました。

 ホールの端には広大な石膏でつくられた鎧甲一式(武具)が飾られています。ホールの中心には1842年当時から、金なし地ガラス(アベンチュリン)製の宝石細工の花瓶が置かれています。

 10月革命の後、アナトリー・ルナチャルスキー(ロシアの革命家でソ連初代教育人民委員(教育大臣))の指示のもと、紋章の広間(ホール)は収容人員は2000人までとし、コンサートホールとして使用されるようになりました。



金の柱のクローズアップ
Source:Wikimedlia Commons
By Jennifer Boyer - originally posted to Flickr as gold pillars in Armorial Hall, CC BY 2.0, Link



ドアのクローズアップ
Source:Wikimedlia Commons
By Jennifer Boyer - originally posted to Flickr as elaborate doors in Armorial Hall, CC BY 2.0, Link


つづく