厳寒のロシア2大都市短訪 イワン大帝の鐘楼 概要 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
|
ロシア短訪・総目次に戻る ・イワン大帝の鐘楼 概要 1812年の損傷 大鐘楼とリゾポロジェーニエ教会 設計イラスト 鐘楼と大砲 ◆モスクワ市概要 モスクワ市の紋章
クレムリン大聖堂広場にあって、イワン大帝の鐘楼は、下図の右にある高い鐘楼ですので、直ぐに分かります。 クレムリンの大聖堂広場とイワン大帝の鐘楼(右) 出典:グーグルアースの3次元CGより 下はイワン大帝の鐘楼のズームアップ写真です。この衛星写真は上の衛星写真と少し角度を変えています。 クレムリンの大聖堂広場とイワン大帝の鐘楼 出典:グーグルアースの3次元CGより ◆イワン大帝の鐘楼の歴史 出典:Expediなど 大聖堂広場にある宗教建造物の中で、ひときわ大きく、デザインでも目立ち、歴史的にも重要なのがこのイワン大帝の鐘楼です。 イワン大帝の鐘楼は、400年にわたり、モスクワで一番高い建物でした。しかし、1950 年代にスターリン様式の超高層ビルが建つことでその座を奪われました。一度は壊されかけましたが、モスクワの動乱を生き延び、現在はモスクワ市のシンボルになっています。 ワン大帝の鐘楼の博物館ではこの鐘楼の歴史的意義を学ぶことができます。 鐘の下には、イワン 1 世が 1329 年に建てたリゾポロジェーニエ教会(Church of Ioann Lestvichnik) があります。 На иконе XVIII века колокольня покрашена в красный цвет 18世紀の鐘楼のアイコンが赤色に塗られています Source:Wikimedia Commons Автор: Анонимный автор - own photo, 2010, Общественное достояние, Ссылка 1500 年代、この教会に鐘楼が設けられましたが、17 世紀には、建築家のボリス ゴドゥノフが鐘楼の高さを、現在の高さ 81m にまで上げました。後に、ナポレオンがこの鐘楼を爆破しようとしましたが、失敗に終わりました。 その出来事がきっかけで、「鐘楼がある限り、ロシアは不滅」と言われるようになりました。 Cathedral Square in Moscow, a veduta by Quarenghi, 1797. Quarenghiによる1797年のモスクワの大聖堂広場のデッサン Source:Wikimedia Commons Вид колокольни и звонницы (1805) до взрыва французами フランスのナポレオンによる爆発前に鐘楼と鐘楼(1805) 1805年のイワン大帝の鐘楼(右)、リゾポロジェーニエ教会(左) Source:Wikimedia Commons Автор: Gustav Hoppe - Памятники архитектуры в дореволюционной России, М., Терра, 2002 ISBN 5-275-00664-0, Общественное достояние, Ссылка 白い建物に近づくと、立派な金色のドーム、そして大きな鐘楼に驚きます。イワン大帝の鐘楼を、近くに建っている聖母被昇天大聖堂の鐘楼と比べてみてください。2 つの建物はそっくり。両方とも白い外観に、上には金色のドームが載っています。そして、上に行けば行くほど、凝った作りになっています。 鐘楼の 3 階にある博物館ものぞいてみましょう。クレムリンの過去について、ビデオなど、さまざまなメディアを使って展示されています。展望台に上がると、モスクワの街が一望できます。 イワン大帝の鐘楼は、生神女福音大聖堂や天使首大聖堂などの重要な宗教施設があるクレムリンの再生道広場あり最寄り駅は、地下鉄のアレクサンドロフスキー サート駅です。鐘楼への入場には料金が必要です。また休日は毎週木曜日です。 つづく |