厳寒のロシア2大都市短訪 十二使徒教会 歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・十二使途教会 概要 歴史 内部 フレスコ画 ◆モスクワ市概要 モスクワ市の紋章 十二使徒教会の歴史 出典:English Wikipedia 十二使徒教会は、モスクワ・クレムリンの小聖堂であり、総主教ニコンの依頼を受け、彼の荘厳な住居の一部として1653年に建設され、3年後にフィリッポ(12使徒の一人であるPhilip the Apostle)に捧げられました。 14世紀以来、モスクワ大都市圏の中心はクレムリン(宮殿)にありましたが、皇帝ツァールに匹敵する権威と威厳を持つことを切望していた総主教ニコンは、その邸宅をより野心的なものとするため、一時期宴会場として使用されていた部屋で現在は収蔵する芸術品を展示する美術館として使用されている広い部屋を十字架の形に改装し邸宅の中心に位置づけました。 この建築物の南側には、1682年に現在のものに変更されるまで、もともと聖フィリッポ(Philip the Apostle)に捧げられた総主教のための私的な礼拝堂が隣接していました。 この教会は、大聖堂広場から総主教の中庭までの通り抜けられる二つの大きなアーチが造られ、高い基壇が置かれたことにより、15世紀に造られた近隣する複数の大聖堂とほぼ同じくらい傑出したすばらしいものとなりました。 出典:グーグルアースより青山が作成 クレムリンの十二使徒教会 Source:Wikipedia Commons CC BY-SA 3.0, Collegamento 外壁は、大聖堂広場のなかで隣接する他の大聖堂や、それらの教会が影響を受けたとされる12世紀のウラジミール・スーズダリ派の偉大な教会の両方を彷彿とさせる列柱アーチで装飾されています。 5つのヘルメット型ドームの精密な輪郭は、ニコン皇帝の保守的な建築の嗜好を反映し教会に受け継がれるビザンチンの血統を強調する役割を果たしています。 1917年10月、ボルシェヴィキがクレムリンを砲撃したとき、総主教たちの住居は深刻な被害を受けました。その後、教会は修復され、博物館として美術品などを収容することとなりました。 元々の壁画のほとんどは残されていますが、ボルシェヴィキの解体時にキリスト昇天修道院(Ascention Convent)の大聖堂から回収された素晴らしい17世紀のイコンがありました。 また、なかでも、ヒョールド・ズボフ(Fyodor Zubov 17世紀のロシアの画家)やシモン・ウシャコフ(Simon Ushakov 17世紀のロシアの画家)によるものなど、多くの優れた古いイコンが展示されています。 つづく |