厳寒のロシア3大都市短訪 聖ワシリー大聖堂 概要 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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ロシア短訪・総目次に戻る ・聖ワシリー大聖堂 概要 名称・構造 歴史 外観・外装 内部・内装 イコン・フレスコ画 ◆モスクワ市の寺院 概要 私たちが聖ワシリー大聖堂を視察したのは夕暮れでした。「赤の広場」はすでにライトアップされ、仮設のスケートリンク、そしてグム百貨店のモールもにぎわっていました。 下の写真は聖ワシリー大聖堂に向って赤の広場を歩いて行ったところで撮影したものです。ほぼ中央にレーニン廟が見え、その左側に聖ワシリー大聖堂が見えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2 この聖ワシリー大聖堂は、世界遺産というだけでなく、人気ゲームソフト、テトリスにも出てくるほど、世界的に有名な寺院です。その来歴は非常に興味深くかつ謎に満ちたものです。 聖ワシリー大聖堂を背景にした池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2 ライトアップされた聖ワシリー大聖堂 Source:Wikimedia Commons Paramecium - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる ◆聖ワシリー大聖堂(Собор Василия Блаженного) 聖ワシリー大聖堂はロシアの首都、モスクワの赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂です。 正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」です 「聖ワシリー大聖堂」「聖ヴァシーリー大聖堂」「聖ワシーリー寺院」とも日本では表記されます。 1551年から1560年にかけて、イヴァン4世(雷帝)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立しました。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われていまする。1990年にユネスコの世界遺産に登録されました。 ゲームソフト等で有名なテトリスでは、ロシア文化をイメージとした背景や音楽等がよく用いられており、聖ワシリー大聖堂もしばしば背景画像やパッケージとして使われています。
聖ワシリー大聖堂 堀の生神女庇護大聖堂 Source:Wikimedia Commons V1P3R - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる 沿革・構造の意義 ツァーリ・イヴァン4世(雷帝)のカザン征服を記念して建てられました。当初、聖堂が記憶していたのは生神女庇護であり、聖堂名も生神女庇護大聖堂(ポクロフスキー大聖堂)でした。 カザン戦からイヴァン4世が帰還した年に木造で建てられ、2年後に石造での改築が始まり、5年後の1559年に完成していています。建築にはバルマとも呼ばれるポスニク・ヤーコブレフが当たっりました。 大聖堂を描いた16世紀の版画 Source:Wikimedia Commons 不明 - А.С. Трачевский "Русская История", CПб, Риккер, 1895, パブリック・ドメイン, リンクによる 完成時点では現在みられるような彩色はされておらず、今日見る聖堂の彩色は17世紀から19世紀にかけて施されたものです。 中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く八つの小聖堂が取り囲んでいます。主聖堂、八つの小聖堂のそれぞれに至聖所があり、合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成しています。 生神女マリヤのイコンには8つの光線(突起)がある星が描かれることにもみられるように、生神女マリヤの象徴です。 またカザン戦の勝因となった日にちである7日と聖枝祭を祝う計8日との意味合いも込められています。8つの小聖堂が中央の生神女庇護大聖堂を取り囲んで支える構造は、8つの小聖堂が生神女に庇護される構造であるとも解釈されます。 9つあるドームの全ての高さ・大きさ・装飾が異なるものとなっています。 のち、佯狂者ワシリーを記憶する小聖堂が加えられた事で、聖ワシリー大聖堂の通称で親しまれる事となりました。 註)佯狂者(ようきょうしゃ):正教会における聖人の称号。 つづく |