富士五湖、自然と文化・歴史短訪 景徳院・武田勝頼の墓 1 (山梨県甲州市) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 23 August, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 全体メニュー 景徳院・武田勝頼の墓1 景徳院・武田勝頼の墓2 栖雲寺・武田信滿の墓1 栖雲寺・武田信滿の墓2 はじめに NHKの歴史長編ドラマ、「真田丸」の冒頭にあった武田勝頼の最期は印象的であった。 戦国時代の天正十年(1582)三月、甲斐の武田勝頼は、織田・徳川連合軍に攻められていた。 一方、真田昌幸は軍議の席上、岩櫃城に勝頼を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案、許された。昌幸は急ぎ帰国し、岩櫃山南面のこの地に勝頼を迎えるための御殿(現在は石垣が残るのみ)を三日間で造った。 だが、勝頼は吾妻の地に来ることがかなわず天目山で自刃した。この自刃の地こそ、のちの景徳院である。 経緯は以下の通り。 武田勝頼は未完成の新府城に放火して逃亡、小山田信茂の居城である岩殿城に逃げようとした。だが、テレビにあったように、小山田信茂は織田方に投降することに方針転換、寝返った小山田信茂により武田勝頼は進路をふさがれた。テレビでは実際に、小山田信茂が武田勝頼軍の進路をふさいでいる場面があった。 後方からは滝川一益の追手に追われ、逃げ場所が無いことを悟った武田勝頼一行は、武田氏ゆかりの地である甲斐の天目山棲雲寺を目指した。しかし、その途上の田野で追手に捕捉され、嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに自害した(天目山の戦い)。享年37。これによって、甲斐武田氏は滅亡した。 辞世は「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは 」 ※ 実はその前に、岩櫃山南面に勝頼を迎えるための御殿が三日間で急造された。御殿は、後に真田昌幸の一族である根津潜龍院と称して明治にいたり、明治17年にその護摩堂が原町顕徳寺の本堂となっている。 以下は真田昌幸が武田勝頼のためにつくった潜龍院についての解説。出典は群馬県東吾妻町観光協会。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 下は岩櫃山、 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 下は、潜龍院跡の石垣である。池田が上っている場所に潜龍院があった。 潜龍院跡の石垣 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 ところで、武田勝頼は嫡男の信勝や正室の北条夫人とともに今の山梨県甲府市の天目山で自害している。享年37歳である。これによって、甲斐武田氏は滅亡することとなる。 2017年のゴールデンウィークの一日、青山、池田は、かねてから一度訪れてみたいと思っていた山梨県甲州市の古刹、景徳院を訪ねることにした。そこは、戦国時代、徳川軍と戦い後、武田勝頼が嫡男信勝や正室北条夫人ととも自害し葬られ地でもある。景徳院は、徳川家康が命じて建立された寺院であり、勝頼らの廟や墓が設けられている。 以下のグーグルマップにあるように、距離は156kmあり、順法運転で2時間43分と、結構遠い。ロングドライブとなる。このルートは大部分は国道尾141号線を走ることとなる。この日は好天、お昼のおにぎりや卵焼きをもってでかけた。 北軽沢から景徳院までのルート 出典:グーグルマップ経路探索 141号線は秩父事件の残党が長野県小海町の東馬流で追手の東京鎮台の軍隊と一戦を交えた場所だ。さらにその南には、あの日航機が墜落した上野村の隣の村、長野県川上村があり、今まで何度も来ている。 ここまでは何度も来ているが、141号線でこれより南は、一度池田の大学時代の友人ががんで亡くなり、その彼女の自宅がある北杜市に行ったときくらいである。 以下は八ヶ岳連峰の山々だ。まだ時は春、3000m級の山々には冠雪があり美しい。 八ヶ岳連峰の山々 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下の写真は山梨県北杜市南きよさと道の駅である。ちょうどGWの最中なので、鯉のぼりが沢山泳いでいた。 北杜市南きよさと道の駅で鯉のぼりが沢山泳いでいた 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 実は、景徳院には北軽井沢からよりも、中央自動車道を使えば東京からの方が30kmほど近い。とはいえ、いったん北軽井沢に行ってから、景徳院に行くことを思い立ったので、後の祭りである。 出典:グーグルマップ経路探索 そうこうしているうちに中央自動車道の笹子トンネル出口近くの甲州市大和に到着した。 出典:グーグルマップ経路探索 景徳院の住所:山梨県甲州市大和町田野389 下は景徳院を示す告知板である。 景徳院を示す告知板 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 また下は山梨県教育委員会と大和村教育委員会による景徳院境内の案内板である。 景徳院境内案内板 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 つづく |