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青山貞一氏が堰を切ったように帰朝報告の速報を開始しました。 私達は2009年3月7日から3月15日にかけ、厳寒のポーランドに現地調査を敢行しました。以前から計画していたのですが、なかなか実現までには至りませんでした。 今回の現地調査の主な目的は、以下の5点です。 (1)ポーランド南部と南東部に集中するナチス・ドイツが設置しユダヤ人などを強制収容し虐殺した収容所、 (2)ナチス・ドイツにより徹底的に破壊されたワルシャワはじめ各地の歴史的町並み、 (3)市民の手による町並みの修復・復旧・保存、さらに (4)ナチス・ドイツの侵攻に対して各地で起きた市民蜂起、 (5)市民蜂起に対するナチス・ドイツの対応など を視察することにあります。そのためポーランド各地、とくに南部、南西部を訪問しました。 東京都市大学の青山研究室(調査時点では武蔵工業大学)と環境総合研究所では、以前から戦争がもたらす人間や環境への甚大な影響を現地調査をもとに研究するとともに、それらを公共政策論、環境政策論などの授業で、若い学生に伝えてきました。 青山報告はこれからとなりますが、2009年3月10日、私達はクラクフに近い英語でアウシュビッツ(ポーランド語でオシフィエンチム)と呼ばれるポーランド南部のクラクフのそばに第2次世界大戦中につくられたアウシュビッツ強制収容所、そこから2km離れたところにつくられた巨大なビルケナウ制収容所をあわせて訪問しました。 両強制収容所だけで最低の数で、150万人もの尊い命が犠牲となったとされています。 さらに3月12日にはアウシュビッツ強制収容所より早く設置され、広大なビルケナウ収容所よりさらに大きなポーランド東部の大都市ルブリンの南部にあるマイダネク強制収容所も視察・調査しました。 マイダネク強制収容所は、ポーランドでナチス・ドイツが最初に収容者の処刑をした場所です。 頬を指すようなみぞれや雪が降るなか、いやが上にも第2次世界大戦中の悲劇と悲惨を増幅しました。 以下は、アウシュビッツ強制収容所の入り口でであった「ねこ」についての論考です。 2009年3月にポーランド南部にあるナチス・ドイツが第二次世界大戦中につくったアウシュビッツ強制収容所(現在は博物館、アウシュビッツという地名はドイツ語でありポーランド語ではOswiecimと呼んでいる)を現地調査した時、世界的に有名なテートで、私たちをチンチンで迎えてくれたニャンちゃんがいました. 下が世界的に有名なアウシュビッツ強制収容所の門である。ゲートの上にはドイツ語でArbeit Macht Frei つまり「働けば解放される」と書いてあります。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 これって何とも皮肉な言葉ですよね! なぜって、皆さんご承知のように、この有名なゲートをくぐったユダヤ人の80%以上は帰らぬ人となっているからです。 一方、私たちがこのゲートをくぐった途端に大歓迎してくれたのが下の写真にあるニャンコちゃんです。 しかもチンチンでピョンピョン飛びながら寄ってきたのです。 これにはびっくりというか、嬉しくなった。嬉しそうな私の顔を見てください! 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 ネコ好きの青山さんもアウシュビッツのニャンコにはおもわず大喜びです! 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 最近、青山さんがポーランドにあるドイツの強制収容所に関連する研究の一環として動画ファイルを整理していたら、このニャンコを撮影した動画ファイルが見つかったそうです。当然、現場で撮影したものです。 以下にそのうちの何枚か静止画でお見せします。近々、「アウシュビッツのニャンコ」などの題名で編集しユーチューブに動画を掲載する予定です。 このニャンコ下の写真をよく見ると、賢そうな顔をしている!歴史の重みを感じます。 English Googleで調べたら、このニャンコ、やっぱりそうとう有名なようです! The Cat at the gate なんて言われてますよ。 ※ Auschwitz Home to One Kitty Cat ※ Shelter fight over Auschwitz cat ※ Fur Flies Over Shelter for Auschwitz Cat 以下が青山さんがつくられYou Tubeに掲載した A Cat at the Auschwitz Gate という名の動画です。 英文版 Komichi Ikeda & Teiichi Aoyama: A Cat at the Auschwitz Gate つづく |