霊山冠嶽につくられた 公共関与産廃処分場 池田こみち 掲載日:2014年6月6日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
|
真夏日が続く5月末の5日間、鹿児島県薩摩川内市に出かけた。 2012年6月に災害瓦礫広域処理の問題で鹿児島市内での講演を行うために立ち寄って以来2年目の帰郷となる。 鹿児島県 薩摩川内市 出典:グーグルマップ ◆霊山冠嶽につくられた公共関与産廃処分場 ここでは、原発から一旦離れ、鹿児島県が進めている公共関与の産業廃棄物管理型最終処分場の開発事業について触れておきたい。鹿児島県内には産業廃棄物の最終処分場が一カ所もなく、現在はすべて県外で処理されており、経済界から県内に処分場を設置するよう強い要望があったという事情がある。 事業の概要は以下の通りである。(鹿児島県のWebサイトより)
上記を読むと、この事業の必要性・妥当性・正当性があるように見えるが、現地で話を聞いたり、反対している市民グループの発信している情報を見ると、仮に必要性があったとしても、妥当性、正当性に関してはいろいろな課題が見て取れる。 ■経済面からの妥当性 県の説明にもあるが、この事業にかかる費用は当初の77.7億円を18億円も超過し、最終的に100億円近くまで膨らんでいる。ここで細かくその経済性について分析する時間はないが、そもそも、産業廃棄物の最終処分場を公共関与、すなわち税金で整備すること事態の問題が問われなければならない。 一部報道によれば、鹿児島は反対する地元対策として2億円を支出しているとされていることから、単なる事業費だけでなく、公共事業となることで背後に膨大な利権が渦巻いている可能性もある。 公共関与で産廃処分場を建設することが果たして妥当かという大きな疑問に関連し、看過できない問題があることが判明した。鹿児島県は、当初から【必要性】の大前提として県内にひとつも産廃の管理型処分場がないことを金科玉条にしてきたが、県が計画を進める時期と相前後し、県内の民間事業者が処分場建設計画を県に申請し手続きを進めようとしていたのである。しかし、鹿児島県はその手続きを進めず、県自らの公共事業としての処分場建設時用を推進してきたというのである。その民間事業者はついに県の不作為を環境省に申し立て、最終的に環境省は県の不作為が違法であると判定し県に速やかな処分を求め、鹿児島県も不作為を認めているのである。 ★国が鹿児島県の違法性認める「裁決」民間の処分場許可申請を放置崩れた 薩摩川内処分場建設の前提 http://hunter-investigate.jp/news/2012/02/-19406000-21-1.html となると、鹿児島県は民間事業者の行為を妨害していたばかりか、それを許可していれば公共関与による処分場建設は不要となり、税金を投入する必要もなかったこととなる。 ■公共関与の問題点 公共関与による処分場建設には確かに資金調達が容易である、信頼性が高いなどのメリットもあるが、それ以上に課題が多い。 すでに筆者等が関与したり承知しているケースで問題山積、破綻を目前としている例もある。山梨県の山梨県環境整備センター(明野最終処分場)、茨城県笠間市のエコフロンティアかさま、滋賀県甲賀市のクリーンセンター滋賀などがその典型である。 2010年10月に開催された日弁連第53回人権擁護大会のシンポジウム第3分科会では、「廃棄物公害の根絶をめざして〜ゴミと汚染を強いられない、強いない社会であるあために〜」をテーマとして掲げ、公共関与の処分場整備の課題を次のようにまとめている。 (1)操業者と許認可権者及び監督者が実質的に同一となっている。 (2)これにより、都道府県等による十分なチェックが期待できず、信頼性が欠ける。 (3)都道府県が設置を主導しているため、反対住民の意思を無視し建設を強行 する場合が多い。また、住民の調査要求にも真摯に対応しない事例が多い。 (4)公共関与の形態としては都道府県直営・財団法人・株式会社・PFI方式等 多様だがいずれの場合も都道府県職員が出向する場合が多く、十分な 専門的な知識や技術、経営能力に欠ける職員によって運営されることになり、 経営が悪化する場合がある。 また、最終的には県職員に戻るため無責任となりがちである。 (5)そのため、公共関与といいながら、実態は処分場建設会社等の民間会社に 管理が丸投げされ、不適切な処分が放置されることになる。 (6)安全性の追求により、営業収入より施設設置・管理費用が増大化し、採算 がとれない。他方、受入価格を値上げすると廃棄物が集まらず経営が 困難となる。 (7)このため、処分場の赤字を都道府県等が税金で穴埋めすることになるが、 それは 結果として「排出事業者の事故処理責任」(廃掃法で定める)とは 矛盾する。 (8)公正さを装って、「第三者機関」と称するものを設置するケースもあるが、委員 の人選が不透明であると同時に、行政よりとみられている学者や市民だけを 集めた 事業者にお墨付きを与えるための機関となりやすい。 (9)「行政が関与している」ということだけで、信頼性があるように信じられてしまい 不適正な運用や事故が見逃されやすい。 2014年9月に操業開始する鹿児島県薩摩川内市の処分場は果たしてどうなるか、今後の監視こそ重要となってくる。 ■意思決定の妥当性(主に立地選定について) 次に、もっとも重要である立地について見てみよう。現在工事は佳境に入っているがその場所は、冠岳(嶽)の中腹に位置している。 冠岳は、薩摩川内市といちき串木野市の市境につらなる八重山山塊に連なる山で、西岳・中岳・東岳からなっており、主峰である西岳は、標高516メートルである。西岳の山頂には西岳神社があり、行楽の季節になると、近辺からの登山客で賑わう。 また、冠岳は霊山と呼ばれており、その名の由来は、今から2200年前に、中国の秦の始皇帝から命を受けた方士(中国古代において〈方術〉と呼ばれる技術,技芸を駆使した人たち。〈術士〉〈方術士〉〈道士〉などとも呼ばれた。)徐福が、串木野の冠岳を訪れ、その景色のあまりの巣はらしさに、自らの冠を解いて頂上に捧げたことからこの地を冠岳と呼ぶようになったとの説がある。 また、霊峰冠岳は、古代山岳仏教発祥の地であり、真言密教開祖の地でもあるという。東岳・中岳・西岳の三つの峰からなる冠岳の姿は、遠くから眺めると風折烏帽子(貴人の冠)のように見えるといわれ、その美しさは「三国名勝図会」に記されている。 (出典:http://kanmuridake.org/about/) 下図は、冠岳と処分場の位置関係を示している。主峰の西岳から北西の方向に約1kmしか離れていない。 地図 処分場の位置と冠岳の位置関係 disposalsitemap.jpg この立地に関しては、地元の薩摩川内市川永野町の住民はもとより、冠岳の南側に隣接するいちき串木野市の市民も強行に反対の意思を示し闘いを続けていた。そして2011年9月に最終処分場公金支出差止請求の住民訴訟の第一回公判が開かるに至っている。 反対運動の動きについては、「冠嶽の霊山性を守る会」のWebサイト (http://kanmuridake.org/)を参照されたい。 本稿で詳しく地質、地下水・湧水等の面からの立地適正について触れることはできないが、地域に長年生活している住民や第三者的な専門家からも多くの課題が指摘されている。西岳山頂の鎭国寺住職が反対の意思を表明すると、鹿児島県は宗教法人の許認可を振りかざして圧力を掛けたとの話も聞く。 鎭国寺と言えば、紀元前3世紀、秦の始皇帝に仕えたとされる「徐福」が、不老不死の妙薬を求めて日本に来たという由緒ある寺である。徐福伝説は、日本各地に残されているが、中でも鹿児島県いちき串木野市と薩摩川内市の境に位置するここ冠岳は、徐福が冠を納めたことが口碑に残る霊山であり、およそ産廃処分場とは相容れない場所なのであ。 筆者は災害瓦礫問題で鹿児島を訪問したことをきかっけに、南日本新聞の記者からこの件で取材を受け、公共関与の問題点についてコメントしたが、せっかくの機会なので、現場を見ておくことにした。以下は周辺の写真と現在の工事現場の様子である。すでに調整池には水が貯まり、屋根付き処分場の天蓋の部分も完成間近となっていた。 ◆薩摩川内市に建設中の公共関与産廃処分場問題 南日本新聞20140211: その日は、ウィークデーの日中で人の姿はほとんど見られなかった。黄砂の影響でそれほど空はクリアではなかったものの、くっきりと冠岳(西岳)の姿が緑に映えていた。また、麓へ向かう沿道にはたくさんの看板「霊山冠嶽と水を守ろう」が立てられていた。鎭国寺入り口の徐福像のある展望公園からは東シナ海も臨めた。 写真1 処分場に向かう道(アクセス道路から) kanmuri-sanpai2.jpg 写真2 冠嶽遠景 kanmuri-enkei.jpg 写真3 建設工事牛の処分場(調整池から遠景) kanmuri-sanpai.jpg 写真4と5 同 施設の拡大 写真 同施設の拡大(右) 写真6 「霊山冠嶽と水を守ろう」の看板が沿道に 写真7 徐福像の前で 写真8 徐福像から海を臨む 出典 (グーグルストリートビュー 地域住民や来訪者の心の拠り所である霊山冠嶽、また、地域住民の飲料水源ともなっている湧水の豊かな冠嶽は、すでに大々的に削り取られ痛々しく無機質な処分場の姿へと変貌しつつあった。 裁判の行方とともに、この処分場が先行する山梨、茨城、滋賀などの例のように破綻することにならないか、見守り続けるしかない。 つづく |