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北軽・嬬恋、春爛漫

2021.5

青山貞一・池田こみち
独立系メディア E-wave Tokyo 共同代表

2021年5月3日
 公開 無断転載禁

三条ガーデンカフェ「鬼ヶ島」   山古志・棚田と棚池
山古志・闘牛場  山古志・アルパカ村 北軽・嬬恋、春爛漫


 西会津・阿賀川現地調査と新潟県の山古志村からホームグランドの群馬県北軽井沢にある環境総合研究所に戻った後、今までにない「美しい爽やかな春の自然」を探索した。

 これは、おそらくCOVID-19の影響で、もともと少ない自動車や別荘などからの大気汚染(主にSPM,PM2.5)などが大気中から著しく減少したためと思われる。

 別荘がある北軽井沢・嬬恋村地区は、山岳部以外の高原で標高が1000m~1200mもあり、冬場はマイナス10~マイナス20℃になる。近くの万座・鹿沢は日本を代表するスキーのメッカである。

 そのため、サクラやハナモモなどとともに、春を代表する草花が、4月下旬から5月上旬に咲き乱れ、東京などに比べ1か月遅れてサクラ見物が楽しめる。気温は地形が100m高くなると約1℃低くなることが現地の経験で分かっている。

 以下、素晴らしい自然・景観を地域別に写真ギャラリーで紹介する。

 下は環境総合研究所北軽井・嬬恋村沢別荘の玄関前にあるインドネシアから送ってもらった仏様。この一年の風雨にもめげず、落ち葉の中に鎮座していた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は江戸時代、天明3年に大噴火した浅間山から流れてきた溶岩が固まってできた岩。小さく見えるが高さは約7mもある。有名な鬼押出しは、別荘から約5kmの距離にある。天明3年大噴火級が起きると別荘は完全に丸焼けになる。


戸時代、天明3年に大噴火した浅間山から流れてきた溶岩が固まってできた岩
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

鬼押出し園(おにおしだしえん)

 鬼押出し園は、群馬県吾妻郡嬬恋村にある公園。一帯は1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩で、膨大な量の溶岩が風化した結果形成された奇勝を巡回できる。園内には東京上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されている。これは浅間山噴火の犠牲者を弔う目的で1958年に勧請された。

出典:Wikipedia


天明3年の浅間山大噴火の経過
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10  2008.5
出典:鎌原村郷土資料館

 天明3年の浅間山大噴火の経過図を入れた。当時、人々は大噴火を「浅間焼け」と言っていていた。この天明の大噴火は、まさに噴煙が成層圏まで届き、太陽の日射を遮り、農作物の生育が大幅に劣化。

 また気温が大幅に低下した。食糧不足から天明の大飢饉を起こしたが、その原因が浅間山の大噴火とは知らなかった。この天明の飢饉は、江戸4大飢饉の1つ。日本の近世では最大の飢饉とされる。この大飢饉で、日本全体の人口が減っていた。

天明3年の浅間山大噴火(浅間やけ)

 1783年8月5日(天明3年7月8日) 大噴火。天明噴火 噴出物総量4.5×108m3、火山爆発指数:VEI4。4月9日(旧暦。以下この項目では同じ)に活動を再開した浅間山は、5月26日、6月27日と、1か月ごとに噴火と小康状態を繰り返しながら活動を続けていた。6月27日からは噴火や爆発を毎日繰り返すようになっていた。日を追うごとに間隔が短くなると共に激しさも増した。

鬼押出し溶岩流の範囲

7月6日から3日間にわたる噴火で大災害を引き起こした。最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻火砕流が発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。続いて、約3か月続いた活動によって山腹に堆積していた大量の噴出物が、爆発・噴火の震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側へ高速で押し寄せた。(下図参照)


出典:Wikipedia に別荘の位置を加えてある

出典:Wikipedia

 以下はその鬼押し園に直行バスがある鬼押しハイウェー。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 下は別荘近くの北軽井沢の民家のシバサクラ。ここ5年間、このような光景、景色のとなりに膨大な太陽光発電システムが設置され、自然景観を著しく損なっている。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:青山貞一 NIkn Coolpix S9



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:青山貞一 NIkn Coolpix S9



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:池田こみち iPhone



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:池田こみち iPhone



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:池田こみち iPhone



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:池田こみち iPhone



北軽井沢、通称、西中まえの枝垂桜 まさに満開。散っている花びらもない。
撮影:池田こみち iPhone

 

群馬県東北部 北軽井沢・嬬恋村の農地から見た浅間山
撮影:青山貞一 NIkn Coolpix S9



群馬県東北部 北軽井沢・嬬恋村の農地から見た浅間山
撮影:池田こみち iPhone


 以下は群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山。空の青さ、雲の白さに注目。


群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山
撮影:池田こみち iPhone

二度上峠(にどあげとうげ)

 二度上峠は、群馬県の高崎市と吾妻郡長野原町の境にある峠である。群馬県道54号長野原倉渕線が通過している。

 標高は約1,380mで、切り通しの峠である。登山者向けの駐車場が整備されている。駒髪山南方の鞍部に位置している。二度上峠の地名は、草軽電気鉄道の二度上駅(旧浅間駅)[1]にあったスイッチバックに由来している。

出典:Wikipedia



群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠から見た浅間山
撮影:池田こみち iPhone

 何と、二度上げ峠から本の数10m高崎市側に寄った場s地場所に野生の子供のカモシカがこちらを見て立っていました。過去20年、鹿は何度も見たが、野生のカモシカは初めてでビックリです。


群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠にいた子供の日本カモシカ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

カモシカ(氈鹿、羚羊)

 カモシカとは、広義には、ウシ目(偶蹄目)ウシ亜目(反芻亜目)ウシ科ヤギ亜科の、ヤギ族以外、すなわち、サイガ族・シャモア族・ジャコウウシ族の3族の総称。8属10種が属す。シカの名が入っているが、シカの属するシカ科ではなく、ウシやヤギと同じウシ科に属する。

 したがって、シカとは違い、ウシ科のほかの種同様、角は枝分かれせず、生えかわりもない。細く伸びた足を指す「カモシカのような足」という表現に現れるカモシカとは、本来はレイヨウのことで、羚羊をカモシカと呼ぶように変化したことで混同されたが、実際のカモシカの足は太い。

日本カモシカ

 ニホンカモシカ (Capricornis crispus) は、哺乳綱偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)ウシ科カモシカ属に分類される偶蹄類。単にカモシカとも呼ばれる。

 ニホンカモシカの分布は日本(京都府以東の本州、四国、九州)固有種。本州では東北地方から中部地方にかけて分布し、京都府北部、鈴鹿山脈・紀伊半島などに隔離分布する。九州では大分県・熊本県・宮崎県に分布する。

出典:Wikipedia

 なお、日本カモシカは、以下のように、昭和30年2月15日「特別天然記念に指定されています。名前が似ているためよく混同されがちですが、ニホンジカはシカ科の動物であるのに対し、カモシカはウシ科の動物でヤギの仲間に近く、生物学的には別の動
物ある。

種別
国指定特別天然記念物

所在地
地域を定めず(種の指定)

指定年月日
昭和9年5月1日「天然記念物(史蹟名勝天然紀念物保存法)」
昭和30年2月15日「特別天然記念物(文化財保護法)」


 しかも、ジットこちらを見ており、逃げない。

 おそらく生まれて初めて人間を見たのかな?


群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠にいた子供の日本カモシカ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



群馬県長野原町と高崎市の境界線上にある二度上峠にいた子供の日本カモシカ
撮影:池田こみち iPhone

 これは旧倉渕村、現在高崎市倉渕の「道の駅」。ここの「お切込み」は美味。北軽からの帰りいつも寄っている。直近では、群馬県内古墳調査のとき、何度も世話になった。山梨県では「お切込み」を「ほうとう」と言う。

 今回、青山は「お切込み」ではなく「うどん」バージョンを頂いたが、やはり、だしがよく利いていておいしかった! 4-5人の女性ががんばっているが、道の駅でも本物の食べ物を出せば、私達のような東京からの者でも喜んで食する。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

◆倉渕村(くらぶちむら)

 倉渕村は、群馬県の西部にあった群馬郡の村である。2006年1月23日に多野郡新町、群馬郡群馬町・箕郷町と共に高崎市へ編入された。高崎市への通勤率は12.9%(平成17年国勢調査)であった。

出典:Wikipedia