|
|
三条ガーデンカフェ「鬼ヶ島」 山古志・棚田と棚池 山古志・闘牛場 山古志・アルパカ村 北軽・嬬恋、春爛漫 西会津・阿賀川現地調査の帰り、新潟県の山古志村に立ち寄った。 山古志村ははじめてだが、下のグーグル地図にあるように、アルパカ村、山古志闘牛場、棚田と棚池、ニシキゴイ、こごもり、あまちゃの温泉などなど、多様な試みがあり、山間地を利用したベンチャービジネスでもあり、大変興味深い。 出典:グーグル地図 山古志村の歴史 江戸時代初頭に「山二十村」、「山六ケ村」と呼ばれていた村々が1800年代に入り、総称して山古志の名で呼ばれるようになったとされる。古くは1824年の記録にて山古志村々との表記を公式文書に確認することができる[2]。 1956年、昭和の大合併により山古志村が誕生した。 1970年代から民俗学者の宮本常一が村おこしを手伝い、丘陵地の斜面に広がる森林と棚田、ニシキゴイの養殖、そして「牛の角突き」と呼ばれる闘牛など「日本の原風景が残る村」を観光資源としてPRしていた。さらにさらにアルパカを30頭弱飼育しており、観光にもなっている。 2004年10月23日に発生した新潟県中越地震により甚大な被害を受けた。村役場(現山古志支所)に設置されていた震度計が激しい揺れで壊れたため具体的な震度は不明だが、地震発生前の風景は地震に伴う土砂崩れなどで著しく崩落し、その姿を大きく変えた。 また村域に通じるすべての道路が寸断されたため孤立し、村は全村民に対し避難指示を出し、26日までに隣接する長岡市など(大半が長岡ニュータウン内の仮設住宅)での避難生活を余儀なくされた。避難指示は長岡市への編入合併後の2007年4月1日にほぼ全域で解除されたが、震災以降に地域外へ生活拠点を移した世帯が多く、域内の高齢化が深刻化しつつある。 棚田と棚池 棚田(たなだ)とは、傾斜地にある稲作地を意味し、日本だけでなくフィリピンはじめ東南アジア諸国、アフリカ諸国や中国で一般的にみられる。 傾斜がきつく耕作単位が狭い状態において、水平に保たれた田が規則的に集積し、それらが一望の下にある場合は千枚田(せんまいだ)とも呼ばれる。英語ではrice terraces と表現される。 また、棚田と同様に傾斜地を段状にした畑は、段々畑(だんだんばたけ)という。 山古志村も傾斜地が圧倒的にで、ここで稲作地をするには棚田と棚池に依存することになる。 山あいの斜面に階段のように連なる山古志の棚田。限られた山の斜面を開墾し、水源の確保をおこない、道具や肥料、刈り取った稲なども全て背中にしょって歩いて運搬するなど先人の大変な努力の積み重ねによりつくられてきまた。 田植えが終わると錦鯉の稚魚が放され、1年でもっとも美しい季節が始まる。 黄色い部分の出典:にいがた観光ナビ <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.panoramio.com/user/832689">yoshi s</a> - <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.panoramio.com/photo/42398921">棚田 2010年10月 Yamakoshi "Tanada" Oct. 2010</a>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる 下は車から撮影した山古志村の棚田・棚池である。 車から撮影した山古志村の棚田・棚池 撮影:青山貞一 NIkon Coolpix S9909 新潟県長岡市山古志地区の棚田 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 山間の傾斜地を利用した棚田が広がる Source: WikimediaCommons CC 表示-継承 4.0, リンクによる 山古志村の棚田と棚池 出典:にいがた観光ナビ |