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日本変革のブループリント





第三章 グローバルな小日本主義
「ミニマ・ヤポニア」(8)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



7 地方自治

 コモンズによる地方自治へと転換するべきです。国から財源・権限を地方自治体に渡し、自律したコモンズを基本的な政治の単位とする必要があります。

 この作品ではコモンズに広い意味を持たせ、時として、コモンズを自治体そのものとして扱っています。と言うのも、文化的アイデンティティとしてのコモンズがあっての自治体と考えるからです。

 総務省主導でいわゆる「平成の大合併」が進められています。しかし、この合併はあまりに素朴な規模の経済に基づいていると批判せずにはいられません。

 明らかに、既存のドグマから抜け出せない行政の都合を優先し、住民の意向は無視されています。今、地方の行政に問われているのは行政サービスの質です。

 スケール・メリットはハード・パワー型の産業には適していますが、住民のニーズに応える高い質のサービスを提供するには不向きです。

 また、独自のソフト・パワー発信がこれからの自治体に求められています。地理的条件や文化的伝統を無視した合併ではソフト・パワー発信のための独自性が失われかねません。

 時代遅れの中央集権制が続くだけです。文化的アイデンティティとしてのコモンズが成り立たなければ、そこは自治体として立ち行かなくなってしまいます。

 少子高齢化に伴う居住地域の縮小化のため、自治体自身が自主的に行っているわけではありません。こうした政府の合併政策は列強によりアジアやアフリカの植民地の分割を思い出させます。

 自治体の適正規模に関しては各種の学説があります。しかし、いくら将来的な人口減を見越しているとしても、現在進められている自治体合併並びに道州制のプランは、欧州と比べると、首を傾げたくなるほど大規模です。

 30年以上前、『スモール・イズ・ビューティフル』で知られるエルンスト・フリードリヒ・シューマッハーは「巨大都市に未来はない」と警告しています。規模が大きくなればなる程、カオス性への対処が困難になりますから、大規模は決して望ましくはないのです。

 加茂利男大阪市立大学教授は、2006六年1月20日付『朝日新聞』の「私の視点 いま自治体で」において、欧州の自治体規模と比較しつつ、政府与党の構想に対して規模が大きすぎると批判しています。

 政府与党の目標通りに実行されれば、市町村の平均人口一二万人となり、イギリスを除くと四万人規模の欧州自治体の三倍以上となります。

 ベルリンの人口はおよそ340万人ですが、行政区分としては市ではなく、州です。欧州の市町村合併は「近接性」を基本原則とし実施されています。フランスの場合、1500人程度の「コミューン」を基本単位とし、大規模な事務処理を自治体連合が担当するという関係になっています。事務処理という実務の補完としてコミューンの連合体の自治体が存在しているのです。

 また、道州制が実現されると、州の平均人口は1000万人を超え、連邦制のドイツやアメリカの平均州人口の二倍近くに達します。カリフォルニアのように3500万人以上の人口を抱える州もありますが、概して、州の人口は100万人単位です。両国とも立法権や司法権などの主要な権力を国と州で分担しているのですから、加茂教授は日本の道州が「自治体」と呼べるだろうかと疑問を呈しています。

 自治体と考えるには、規模が大きすぎるのです。大規模な州とこれまた大きい市町村の関係を調整するために、結局、府県に相当する組織体が必要となるのではないかと加茂教授は言っています。

 イタリアやフランスは州を設立しても、県が存続しています。以上の点から、加茂教授は、政府与党の計画では、「自治体は住民の暮らしのバックアップ機能を失う」と警告しています。

 政府与党の計画を無批判的に受容することなく、コモンズに立脚する地方自治体の編成を提案しなくてはなりません。

 それは、一九八五年に締結されたヨーロッパ地方自治憲章に倣いながら、アジア的コモンズの伝統の息吹を感じさせるアジア地方自治憲章へと結実していくのです。政策のグローバル化を忘れてはなりません。

 これまで自治体の規模を考える際、定住人口が中心でした。しかし、広い意味の「交通」が発達している背景を踏まえれば、交流人口を人口の目安にして然るべきです。

 チャールズ・ティブーは「足による投票
(voting with your feet)」の仮説を提起しましたが、確かに、沖縄への移住が増えているように、人口の移動は盛んになっていくでしょう。

 少子高齢化により、日本の各自治体の定住人口は、将来的に、減少していきますから、交流人口をいかに増やせるかが真の課題です。

 治安や防災の面でも、コモンズは有効です。あまりに大きすぎては、災害の際、状況の把握が遅れ、迅速に対応できません。また、小規模であれば、情報の共有は容易ですし、それは防犯に役立ちます。治安や防災にはフットワークが要求されますから、巨大な自治体は不向きです。

 規模だけでなく、自治体における権限を整理する必要もあります。現在、人口50万人以上の政令指定都市により、それが属する道府県の権限が空洞化しています。しかも、政令指定都市の多くは道府県の庁舎が置かれています。

 都市計画などで両者の政策の整合性がない場合があるのです。ちなみに、カリフォルニア州の州都は人口四六万人のサクラメントであって、人口370万人弱のロサンゼルスではありません。

 地方に権限を譲渡してしまえば、今まで以上に一部の利権によって政治が堕落してしまうのではないかという危惧もあることでしょう。

 確かに、神戸において、住民が空港の建設を反対しているにもかかわらず、議会はその声を無視しました。また、ボス政治が幅を利かせるのではないかという懸念があります。そうした政治はコモンズへの寄与を忘れた時に生じるのです。

 作家の坂口安吾は、戦後、湛山同様、ソフト・パワーによる立国を提言しています。その安吾は、1946年2月に発表した『地方文化の確立について』において、地方の活性を巡って次のように要約しています。

 「先ず我々は自分の好き嫌いをハッキリ表現することが必要だ。自分の責任に於て取捨選択をしなければならぬ。『だまされた』などと惨めな言葉を永遠に用いずに清みたいものである。次に、かかる自主的な選択が我執によって固定せず、常に誠実な内省を加えて、自ら発育することを信条としなければならぬ。要は之だけのことである。そして地方精神の悪癖、亜流の精神を取り去り、自らの思考を全日本的な宇宙的な高さに於てもとめることを忘れてはならないと思う。この意味に於て、私は先ず地方文化の確立に就いては、東京の亜流となるな、自ら独自の創造をなせという月並みな文句が、然し真実必要な言葉であると信じている」。

 これは現在にも通じる「言葉」だと「信じている」ことを決して捨て去るべきではないのです。


つづく