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第2章 福祉国家を超えて
第1節 社会保障は国家の「重荷」なのか
社会保険庁による年金運用の呆れた実態が表面化してこともあって、社会保障に対する人々の関心は高まっています。先の衆議院議員選挙におぇる各種の世論アンケートでは、社会保障が有権者の最大の関心事だったのであって、郵政民営化ではありません。
にもかかわらず、政府が発表する社会保障制度を巡る政策は医療費の自己負担の増加など将来への不安を増すものばかりです。
年金に関してはとても納得のいく改革案を提示したとは言えません。保険事業における特別会計の問題に至っては、詳しい解明が待たれている状態です。政府は将来に対する展望を暗澹たるものにしています。
少子高齢化が進み、社会保障費が増大し、財政を圧迫しているから、それを切り詰めなければならないというのが政府の方針です。
政府は自らの政策が貧富の格差拡大を招き、それによって対象者が増え、支出が膨らんだことには触れません。元々福祉予算が雀の涙にすぎなかったくせに、社会保障は国家にとって慈善事業であり、余裕がなくなったので縮小するとするのは、社会保障が国家の「重荷」であると言わんばかりです。
「東は東、西は西」で知られるジョセフ・ラドヤード・キップリングは欧米による植民地支配を「白人の重荷」と言い表わしました。
植民地運用は重荷であるけれども、白人には未開を文明化する責務がある彼は詩にしたのです。社会保障に対する政府の態度はまさにこうしたものです。
「障害者自立支援法」などは、その内容と照らし合わせるなら、悪質なブラック・ユーモアとしか思われません。20世紀に登場した国家体制は社会保障制度の充実にその存在意義があります。
20世紀において、その歴史を振り返ってみると、国家が果たすべき最大の責任が社会保障にほかならないのです。
つづく