メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 戴冠式を行ったスターリング城1 Stirling castle where coronation ceremony performed 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* スターリングのまち 博物館1 博物館2 メアリーの戴冠式を行った城1 メアリーの戴冠式を行った城2 メアリーの戴冠式を行った城3 メアリーの戴冠式を行った城4 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ◆メアリーの戴冠式を行ったスターリング城1 岩山の上に立つスターリング城(Stirling Castle)は、エジンバラ城によく似ているといわれます。 リンリスゴー城(宮殿)で生まれたメアリーだが、メアリー・スチュアートはイングランドの追っ手から逃げるため、生後わずか6日目に母親マリ・ド・ギーズの計らいで、リンリスゴーから西北30kmにある岩山の上にあるスターリング(Stirling Castle)城に移される。 リンリスゴーからスターリングへ Source:Google Map そして翌1543年9月9日、メアリーは盛大な戴冠式を行いスコットランドの女王となった。 スターリングのまちも、リンリスゴー同様、中世の面影を色濃く残した静かなまちだ。と同時に、城の立地と形がエジンバラ城に似ていることからミニチュア版のエジンバラとも言われている。 下の写真はスターリング城の遠景である。この城は、エジンバラ同様、外敵(イングランド)からスコットランドを守るための要塞としての機能を重視されつくられている。 スターリング城を示すユニコーンのアイコン メアリーはリンリスゴー城からスターリング城に移された どことなくエジンバラ城に似ている Source: English Wikipedia CC BY-SA 3.0, Link 1900年のスターリング城 Source: English Wikipedia Public Domain, Link 1693年にジョン・スレーザーが描いたスターリング城には、今は取り壊された ジェームス4世の出城が見られる。 Source English Wikipedia , Public Domain, Link さらに、このスターリングのまちは、かつてスコットランドの首都でもあった。というのも、このスターリングは、スコットランドが永年の宿敵イングランドと正面から激突しスコットランドが勝利した地であるからだ。 13世紀にウィリアム・ウォレス率いるスコットランドの民衆軍が重装備のイングランド正規軍を打ち破った「スターリングブリッジの戦い」があった地である。その後、ウォレスはイングランドに捕らえられ、市中引き回しの上、八つ裂きの刑に処せられた。 しかし、スコットランド国王のロバート・ザ・ブルースは14世紀に入ってからスターリングのすぐ南にあるバノックバーンの地でイングランドと戦い完全勝利した。 これら13~14世紀の二つの勝利によって、スコットランドはイングランドから独立を勝ち取っている。 ウイリアム・ウォレス率いる民衆軍が重装備のイングランド正規軍を 破ったスターリングの戦い。ただしこの写真は映画(Brave Heart)の一幕 Source:Movie, Brave Heart 下の写真はイングランドの猛攻を最初に破りスコットランドの独立の父とされているウイリアム・ウォレスを記念して築造された国立ウォレス記念塔である。 イングランドの猛攻を最初に破りスコットランドの独立の父と されているウイリアム・ウォレスを記念して築造された 国立ウォレス記念塔。宿泊先のスターリング大学から撮影 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 スターリングでは、国立ウォレス記念塔近くにあるスターリング大学のゲストハウスに宿をとった。この大学や大学院には日本の学生や研究員らが多数在籍していると聞いた。 宿泊先のスターリング大学のゲストハウス 後ろに国立ウォレス記念塔がそびえている 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 メアリーの戴冠式を行った城2 につづきます スコットランド総目次へ* |