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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破


戴冠式を行ったスターリング城2


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年12月10日公開予定
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メアリーの戴冠式を行ったスターリング城2

◆スターリング城 (Stirling Castle)

 スコットランドのスターリングにある城。スコットランド史において歴史的にも建築学的にも重要であるとされる。キャッスル・ヒルと呼ばれる火山性のでこぼこした岩の上に城が建ち、三方をけわしい断崖に囲まれ非常に防御に優れている。このため早い段階から重要な要塞として、戦略上の要所だった。現在城は国の文化財であり、文化財保護団体ヒストリック・スコットランドが管理している。

 スターリング城の主要な建築物は、メアリースチュアートが存命中の15世紀から16世紀にかけできたものである。

 18世紀前半の攻撃に耐えた14世紀の建築物がわずかに残っている。13世紀、イングランド王エドワード1世は、スコットランドへ侵攻しスターリング城を包囲した。歴史家たちは、ここには『ウォーウルフ』(Warwolf)という巨大な投石機が作られ最初に用いられ、非常に効果を上げたと記録している。


メアリースチュアートの紋章もある
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 城は外からの攻撃に備え、予備の門番小屋がジェームズ4世によって建てられた。元は壮麗な、一つの岩全体の広さをそなえる部分だった。どちらの端もどっしりとした長方形をした石造りの家で、城門の両方に四つの大きな円錐形の屋根がついていた。

 南側の石造りの家に残る張り壁に隣接した長さ、外側と北側の石造りの家の痕跡、これら壮大な構成が王子の門と呼ばれ残る。

 門番小屋の左、主要部の南側か奥にあたるのが宮殿部分である。

 これはジェームズ4世によって建設が始まった。しかし、ほとんどが彼の子ジェームズ5世(メアリーの父)の代に行われた。

 ルネサンス様式と後期ゴシック様式の組み合わせで、優れた石造りのスコットランドでも印象的な建築の一つである。

 王の寝室の天井は、元は『スターリング・ヘッズ』で知られる有名な円形の絵画で飾られていた。しかしこれらは1777年に持ち去られた。多くが城内に保存され、いくつかはスターリングのスミス財団、その他はエディンバラの国立博物館にある。可能ならば、王の間を原型にすべく散逸した絵画を集める計画がある。

 宮廷奥の東側には、ジェームズ4世により建てられたグレート・ホールがある。何十年も兵舎として使用された後、最近原型に復元された。長さ125フィート、幅36フィート、南側の高座に二つの華麗な張り出し窓がある。

 ルネサンス様式の王室礼拝堂は宮殿北側にあり、これは1594年にジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)により建てられた。ここで彼の嫡子ヘンリー王子が洗礼を受けた。

 現在、城の広場は野外コンサート会場に使用されている

出典:Wikipedia

 下は岩山の上にあるスターリング城の入り口。

 私達は、城から数km離れた専用駐車場に車を止め、城と駐車場を往復するシャトルバスに乗り城の入り口近くで降りた。


スターリング城の入り口
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング城遠景
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング城の施設配置図
source:http://www.undiscoveredscotland.co.uk/stirling/stirlingcastle/



スターリング城の模型。真ん中の大きな建物がグレートホールと宮殿がある。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング場の立体説明図
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 スターリング城はスコットランドがイングランドとの戦いに明け暮れた時代につくられただけあって、まるで堅牢な要塞である。


スターリング城内部
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


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