メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 インヴァネス1 Inverness 1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* ニュートンモア1 ニュートンモア2 ロッホイムリック1 ロッホ・イムリック2 ロッホイムリック3 インヴァネス1 インヴァネス2 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 インヴァネスの南西側にはネス湖が、また北東側にはマリー湾があります。マリー湾はデンマーク側に開かれた海となっています。 出典:グーグルマップ 下の地図はインヴァネスの市街地を表しています。 撮影:青山r貞一 Nikon Coolpix S8 ニュートンモアのハイランダーホテルで私たちは、翌日、スコットランドのハイランドの都市、インバネス(Inverness)を目指して車を走らせました。 撮影:青山貞一 Casio Digital Camera EX-Z90 ◆インヴァネスの概要 出典:NHK BS プレミアム インヴァネス( Inverness)は、イギリスのスコットランドの都市です。 ハイランズ(ハイランド地方)の唯一のシティで、「ハイランズの首都」と呼ばれることがあります。これに対し、ローランド地方の首都はエディンバラです。 ネス川越しに見た聖アンドリュー大聖堂 Source:Wkimedia Common Public Domain, Link スコットランド北西部のマレー湾最奥に流れ込むネス川の河口に位置しています。これはこの町の由来になっています。すなわち、スコットランド・ゲール語の Inbhir Nis とは「ネス川の河口」を意味します。この川はネス湖の近くから流れ、カレドニア運河はオイク湖、ロチー湖を結びます。 ネス湖はネッシーと呼ばれる有名なネス湖の怪物の生息地です。 2011年に人口が62,000人程度でしたが、20年後には10万人を超えると予想されています。 最近、インヴァネス市は「西ヨーロッパの急成長都市」と市西部でのさかんな新規住宅建設分譲をもってあだ名されています。 インヴァネス Source:Wkimedia Common パブリック・ドメイン, リンクによる 撮影:青山r貞一 Nikon Coolpix S8 インヴァネスのまちかどに立つ池田こみち。 撮影:青山r貞一 Nikon Coolpix S8 インヴァネス市の概要 ・歴史 市昇格 2001年 ・行政 国 イギリスの旗 イギリス ・カウンシル ハイランド ・レフテナンシー・エリア インヴァネス ・市 インヴァネス ・人口 (2011年現在) 市域 62,470人 市街地 48,801人 ・市街地人口密度 25.1人/km2 地理 インヴァネスの位置 Wikipedia CC 表示-継承 2.5, リンクによる スコットランドのハイランド地方に位置し、この街からネス川・ネス湖さらに南西へ伸びる直線状の地形はグレート・グレン断層により形成されたものです。海洋性気候のため冬でも比較的暖かく、降雪は年平均18日間で量も少なく、11~3月の最高気温は7~9度C、6~9月で16~19度Cです。 行政的地位 インヴァネス市はハイランド評議会の行政上の中心であり、公式にはインヴァネス州の郡都です。インヴァネスの名前は最も広範囲のスコットランドのレフテナンシー・エリア (Lieutenancy Area) に与えられました。 インヴァネス市は2000年に女王から市(City)の地位を賜わりました。公式には2001年に市への昇格が祝福されました。 建築物 インヴァネスの建造物にはインヴァネス城と、聖アンドルー大聖堂を含む多数の教会が含まれまあす。最古の教会はジ・オールド・ハイ・チャーチで、川際の聖マイケル山の上に建ちます。もしかしたら、この土地はケルト人の信仰に利用されていたかもしれません。 城は前の建物の用地に1835年に造営され、今日では州裁判所になっています。 もっと古い木造の城は東遠方にあり、11世紀の建設で、シェイクスピアの『マクベス』の部隊になった城かも知れません。 聖アンドリュー大聖堂は興味深い、槍のような四角の先端を持っています。これは完成する前に、寄付金が底を突いたのです。 市は、およそ2万6千m2のメインショッピングセンターを、商店に提供しました。 歴史 インヴァネスはピクト人の主な拠点の一つで、565年に聖コルンバがピクトの王ブルードをキリスト教に改宗させる意図で来訪しました。ブルードは町の西郊のクレイグ・ファトリグに城郭を営んだと推定されています。 インヴァネス城は、伝承によればマクベスがダンカン王を弑逆した城を破却した後、マルカム・カンモーが建てたと言われており、町の北東1kmの岡の上に建っていました。ウィリアム獅子王はインヴァネスに4つの特許状を授け、その一つによって王城が造られました。 1233年にアレクサンダー3世が開いたドミニコ会修道院の遺跡は辛うじて残っています。1411年のハーローの戦いの最中で、ドナルド島王はインヴァネスへ急行しました。6年後、ジェームズ1世は北部の招集された部族長に対し議会を開催しましたが、部族長のうち3人は独立主権を主張し処刑されました。 1562年には女王メアリー・スチュアートが、ハントリー伯の乱の際、ハントリー派の市長によってインヴァネス城への入城が禁止されました。そのときの女王の家がブリッジストリート沿いに残っています。いまでは8月15日(もしくはそれに近い土曜日)を「メアリーマス・フェア」として市でイベントを開催しています。 清教徒革命ではオリバー・クロムウェルによって砦が築かれ、1715年のジャコバイトの反乱(英語版)の舞台にもなりました。 インヴァネスは歴史上、ロンドン以外で閣議が開かれたただ一つの町です。1921年にデビッド・ロイド・ジョージ首相が休暇先のインヴァネスで急遽アイルランド問題について話し合うために、ここで閣議を開いたのです。その結果英愛条約が締結されました。 「インヴァネス2」につづきます スコットランド総目次へ* |