メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 ネッシー Nessie 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* ネス川1 ネス川2 ネス湖 ネッシー アーカート城 アーカート城博物館 アーカート城探索1 アーカート城探索2 アーカート城探索3 この後、ネス湖の湖畔をアーカイル上に向けて走ります。ところで、ネス湖と言えば、ネッシーです。 ◆ネッシー(Nessie) ご存知のように、ネス湖にはネッシーと呼ばれる未確認動物がいると言われてきました。 そのため、オカルトクラブなどの観光客なども多く、ネッシーを写したと称する数多くのビデオや写真が存在します。 ネッシー ネッシー(英: Nessie)は、スコットランドのネス湖で目撃されたとされています。 未確認動物「ネス湖の怪獣 (the Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター)の通称。未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきました。 映画『永遠の夢 ネス湖伝説』(1995年、イギリス、原題:Loch Ness) ジラース-『ウルトラマン』に登場する怪獣で、元々はネス湖の恐竜の生き残りという設定です。オランダの作曲家ヨハン・デ・メイはネス湖やスコットランドの情景をテーマにして1988年に吹奏楽のための交響詩「ネス湖」(スコットランド幻想曲)を作曲しています。 ネス湖畔のネッシー博物館にあるネッシーのイメージ銅像 Source: Wikimedia Commons By StaraBlazkova at Czech Wikipedia, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5400231 ネッシー(英: Nessie)は、スコットランドのネス湖で目撃されたとさ]れる未確認動物「ネス湖の怪獣 (the Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター)の通称です。 未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきました。 記録として残されている最古の記録は西暦565年、アイルランド出身の聖職者コルンバの生涯に関する伝記中で言及されたネッシーの発見報告です。 当時コルンバは、スコットランド北部の異教徒へのキリスト教布教活動を精力的に行っており、その半ばイギリス最大の淡水湖であるネス湖でネッシーと遭遇したといいます。以来、多くの発見報告がなされてきました。 特に1933年以降、ネス湖で多くの目撃例が報告され、写真や映像が公表されてきた未確認動物です。「ネッシー(Nessie)」の通称は世界的に使われていますが、日本においては特にこの名が浸透しています。 科学の進歩で謎や不思議の少なくなった20世紀において、未確認飛行物体と並ぶ最大級のミステリーとして語られてきました。 その正体については諸説が提唱されてきました。目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類である首長竜プレシオサウルスの生き残り、あるいは世代を経て進化した姿という説が、古くから最も知られています。 太古に絶滅したとされる大型獣が生存していたとすれば大きなニュースであり、ロマンをかき立てられる話題でもあることから、期待を込めて支持を集めてきた面もあります。他には竜脚類の生き残り説や魚類説など、多数あります。 しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物や船舶、流木、航跡、または波動など自然現象の誤認か、あるいは捏造と判定され、大型獣が生存している可能性を否定する動物学者は多いようです。 目撃史 史上最古の記録は、690年頃にアダムナーンが書いた聖コルンバの伝記『聖コロンバ伝』(VitaColumbae)とされています。文中でアダムナーンは、565年に目撃されたネス川の怪物のことについて記述しています(なお、ネス川はネス湖に直接接続していません)。 目撃例が飛躍的に増えたのは1933年以降で、これはネス湖周辺の道路がこの頃整備されたためとされています。 同年5月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻による目撃談が新聞報道され、話題を呼びました。11月にはヒュー・グレイによる最初の写真が撮影、公表されています。 1934年4月にはいわゆる「外科医の写真」(後述)がデイリー・メール紙に掲載され、大きな反響がありました(1990年代になって、前述のマッケイ夫人によるグレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されています)。 その後も現在に至るまで多くの目撃例があり、写真や映像も撮影されてきました。 1951年のラクラン・ステュアートによる写真は、ネッシーの背中の三つのコブと思しき物体が捉えられており有名です。1955年、P・A・マクナブ撮影の写真は、湖岸のアーカート城址が写り込んでおり、それとの比較でネッシーの大きさが、湖面に出ているだけでも10 - 15メートル以上と推測できる貴重な写真とされます。 映像では1960年、著書『ネス湖の怪獣』(大陸書房)で知られるネッシー研究家ティム・ディンスデールにより撮影されました、対岸に向かって泳ぐネッシーを捉えたとされるフィルムが有名です。また、1975年にボストンの応用科学アカデミー研究チームにより撮影されました、ネッシーのほぼ全身と、頭部のアップを写したとされる水中写真は世界的なニュースとなっています。 目撃例や写真は、水面に頭部や背中のように見える突起物が移動するところや、湖畔を巨大な姿で移動するもの、まれには陸上に上がったなど、さまざまです。このため、普段は水中に住むが、時々水面に頭などを出すのではないかとの説もあります。サッチャー政権下の英国では、ネッシーの保護が検討されていたともいわれています。 2005年3月頃、ネス湖の湖畔で、シカの死体とともに長さ10センチメートルほどの牙状のものが見つかっており、一部ではこれをネッシーの牙として、なおも存在を信じる人々がいます。 「外科医の写真」とその真相 ロンドンの外科医(実際は産婦人科医)、ロバート・ケネス・ウィルソンは、その主張によると、1934年4月の早朝、友人と共に鳥の写真を撮りにネス湖を訪れ、突然湖面に現れたネッシーを、持っていたカメラで撮影しました。 この写真はデイリー・メール紙に掲載され、「外科医の写真」と称されて話題を呼びました。しかし、岸が写っておらず、ネス湖を撮影したという確証はなかったのですが、首長竜を思わせる長い首がはっきり写されており、長らくネッシーの代表的写真として知られてきまし(英語版の記事に写真が掲載されています)。 しかし1993年11月、クリスチャン・スパーリングが死の間際に、この写真がトリックであったと告白しました。告白によると、首謀者は彼の養父マーマデューク・ウェザラルであり、彼らは、自ら発見したネッシーの足跡を偽物と判定された意趣返しに、おもちゃの潜水艦に30センチメートルほどのネッシーの首の模型を付けた物を撮影したということです。 そして、知人であるウィルソンの医師という社会的地位に目をつけ、偽証を依頼したとのことです。エイプリルフールのジョークのつもりだったのですが、世界的な話題になったことで引くに引けなくなったとのことです。この告白は翌1994年3月、イギリスのサンデー・テレグラフ紙に掲載されました。 しかし、この写真の件が明るみに出る以前から、ネッシー肯定派からも証拠としての価値への疑問が提示されていました。「外科医の写真」は、既に1960年代より、写真に写る波の大きさや形状から、被写体が大型生物ではなく、数十センチメートル程度の物体であることが指摘されており、水鳥やカワウソの尾の誤認説が唱えられてきました。 また1980年代には、研究者により、対岸が写った元の写真が発見されました。これにより被写体が実際に小さかったことが証明されたのみならず、公表者が被写体の小ささを隠すために、意図的にトリミングした写真を公開した疑いも指摘されました 「アーカート城」につづきます スコットランド総目次へ* |