メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 グレンコー Glencoe 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* グレンコー グレンコーの大虐殺1 グレンコーの大虐殺2 グレンコーの大虐殺3 グレンコーの大虐殺4 グレンコーの大虐殺5 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 今日の宿泊地は大虐殺で有名なグレンコー(Glencoe )です。 今日の朝インヴァネスを出発して200km近くのロングドライブとなり、グレンコー近くの村、キンロッホレーヴェンに到着したのは夕方でした。 昼間は素晴らしい快晴でしたが、フォルト・オーガスタスあたりからどんよりしてきて、グレンコー近くでは完全に雨となりました。ところが、目的の宿泊地、B&Bの場所がなかなかわからず、現地では近くで行ったり来たりを繰り返す羽目になりました。 もともと、グーグルマップにはグレンコー近くの集落の詳細な地図はなく、番地はあってもナビもなかったことから、宿泊地探しは本当に大変でした。 というのも、地図上でのグレンコーと(Glencoe)宿泊地のキンロックリーバン(Kinlochleven)は下の地図のように、8kmほど東にはなれていたのです。この辺りは深い山と森の中にあり、ホテルはなく、やっとのことで見つけたB&Bがキンロックリーバン(Kinlochleven)だったのです。これはグレンコーから8kmも離れていました。 グレンコーと宿泊地のキンロックリーバンの位置関係 出典:グーグルマップ グレンコー 出典:グーグルマップ 私たちは雨の中、リーバン湖の北側のノース・バラチュリッシュで迷いはじめ、最終的に右(東)はじのキンロックリーバン(Kinlochleven)にあるB&Bに到着したのは、すでに薄暗くなった夕方でした。しかもその間、雨はやみません。 下は最初に道を間違った場所にあった鉄橋です。この鉄橋は、、細長いリーバン湖にかかっており、行き先は翌日行く予定のグレンコーでした。 出典:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-7 出典:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-7 下はB&Bがある村の地図です。ただし、宿泊したB&Bha地図にあるホステルとは異なります。 出典:グーグルマップ ところで、なぜ、私たちがスコットランドの山奥の僻地に来たかといえば、それは1692年にイングランドによるスコットランドの村、グレンコーで歴史上の虐殺事件が起きた場所だからです。 やっとのことで、私たちはその日宿泊するB&Bを見つけ、近くにあった村にあったレストランのひとつで夕食をとりました。レストランとはいっても、名ばかりでメニューは数種しかありません。おそらく村の寄り合いや会合の時以外は、客はいないという感じでした。 以下は、キンロックリーバン(Kinlochleven)のまちの風景です。 出典:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-7 出典:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-7 キンロックリーバン(Kinlochleven) 出典:グーグルストリートビュー 下は宿泊したB&Bがあった住宅街です。 キンロックリーバン(Kinlochleven) 出典:グーグルストリートビュー まちの遠景(これは翌日撮影) 出典:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2012-7 翌日、B&Bを朝早く出発し、グレンコーを視察後、ダンスタッフネイジ城 → オーバン* → キルカーン城 → インバラレイ → ロッホ・ローモンド → ペイズリー を経由して次の宿泊地 グラスゴー まで進みます。 この日の午前、グレンコーは激しい雨でした。 「グレンコーの大虐殺1」につづきます スコットランド総目次へ* |