メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 グラスゴー 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年8月公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ ペイズリー グラスゴー グラスゴー大学 ハンター博物館 グラスゴー大聖堂 聖コロンバ・カソリック教会 ケルヴィン・グローブ美術・博物館1 ケルヴィン・グローブ美術・博物館2 ストリート・スクール・オブ・グラスゴー博物館 ジョージ広場1 ジョージ広場2 ホワイトリー風力発電 スコットランド再生エネ開発 風力以外の再生エネ計画 私たちは、ペイズリーを後に、グラスゴー(Glasgow)に向かいました。グラスゴーはいわゆる世界の産業革命の発祥地のひとつでもあります。 ◆グラスゴーの概要 以下はグラスゴーを示すグーグルマップです。 出典:グーグルマップ グラスゴーの紋章 グラスゴー(Glasgow)は、スコットランド南西部に位置する大都市です。人口は580,690人(2006年)で、英国全体ではロンドン、バーミンガム、リーズに次いでイギリス第4位、スコットランドでは最大の都市です。 かつてはロンドン、パリ、ベルリンについでヨーロッパで4番目に人口が多く、1960年代には100万人以上いましたが、その後区画編成などで減り続け、現在では580,690人(2007年)となっています。 英国国内ではロンドンとエディンバラについで3番目に観光客が多く、年間300万人ほどがこの街を訪れます。 グラスゴーは15世紀創立の名門グラスゴー大学を擁し、産業都市であるとともに、文化・芸術・若者の街として知られています。英語で「ノルウェー人」や「ノルウェーの」といった形容詞が"Norwegian"であるように、グラスウィージャン (Glaswegian) といった言葉が用いられます。 移民が多く、かつては工業の街であった背景も影響し、地元の人々の英語方言はスコットランド訛りの中でも特に難解とされています。訛りが強いだけではなく、グラスウィージャンの方言も使用されています。 なお、スコットランド・ゲール語はグラスゴーではほとんど使用されていません。1990年には欧州連合の欧州文化都市に選ばれています。 以下はグラスゴーの基本データです。 ・市 グラスゴー ・地理 ・面積 市域 175.5 km2 (67.76 mi2) ・人口 人口 (2011年現在) ・市域 598,830人 ・市街地 1,750,000人 ・都市圏 2,850,000人 ブキャナン通り Source:WIkimedia Commons グラスゴーの歴史 紀元前からクライド川沿いに集落が形成されていました。ローマ帝国はこの地に前哨拠点を設置し、ローマ支配下のブリタニアとケルト人やピクト人の住むカレドニアの間にアントニヌスの長城を建設しました。 グラスゴーの街はキリスト教の聖人聖ムンゴの伝道により6世紀頃につくられたと言われています。これ以後グラスゴーはスコットランドの中心として発展し、12世紀にはグラスゴー大聖堂が、1451年にはグラスゴー大学が創設されました。 16世紀に入るとクライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、アメリカ大陸のタバコ、カリブ海の砂糖などがこの都市を中継してイギリス国内に運ばれました。 1707年にイングランド王国とスコットランド王国が合併、現在の連合王国としてのイギリスが成立します。そして産業革命が始まると、ランカシャーで採掘される石炭と鉄鉱石によって工業化が進み、グラスゴーでは綿工業を中心とした産業が盛んになりました。 また都市の発展に伴ってアイルランド等からの移住者が増え、大英帝国第二の都市と呼ばれるようになりました。また海運を通じて造船業も発展し、ヨーロッパ最大の機関車製造会社ノース・ブリティッシュ・ロコモティブはグラスゴーの企業でした。 しかし第二次世界大戦後、イギリスの経済が急激に悪化。他の都市と同様にグラスゴーもイギリスの不況の影響を避けることができませんでした。1960年代になると造船所の閉鎖が相次ぎました。しかしクイーン・エリザベス2号はこの時期にこの都市で建造されています。 1970年代から1980年代にかけても不況期が続き、治安も悪化していました。1990年代にはいると金融などを中心に経済が持ち直し、現在では地価が高騰しています。 グラスゴーの人口推移 1891 783,000 1911 784,000 1921 1,034,000 1931 1,088,000 1941 不明 1951 1,079,000 1961 1,055,000 1971 897,000 1981 881,000 1991 681,000 2001 579,000 2007 580,690 年齢構成 15歳未満15.48%、15〜24歳15.76%、25歳〜64歳54.46%、65歳以上14.30%(2007年) 経済 スコットランド第1の経済力を持ちます。古くはタバコ貿易、20世紀前半までは造船を主とした製造業で発展しました。世界的に見て造船の力は弱くなったとはいえ、海軍造船所があり、イギリスの造船業中心地です。欧州で16番目に大きい金融センターとなっており電子機器、バイオ技術、コールセンターといった新しい産業も育っています。スコットランドではエディンバラに次いで観光客が多い都市でもあります。 交通 グラスゴー・セントラル駅 隣のエディンバラとの距離は電車で40分、バスで1時間半程です。 グラスゴー駅 Source:WIkimedia Commons グラスゴーの二階建てバス Source:WIkimedia Commons 航空 グラスゴー国際空港 グラスゴー・プレストウィック国際空港 グラスゴー水上飛行機乗り場(Glasgow Seaplane Terminal - クライド川に2007年8月に開港した。商業的に定期便を運行している都市型の水上機用空港は今日のヨーロッパでは唯一) 鉄道 ・グラスゴー地下鉄 ・グラスゴー・セントラル駅 ・グラスゴー・クイーンストリート駅 道路 高速道路M8(エディンバラからグラスゴーを東西に横断してスコットランド西岸に続いています) 高速道路M74(グラスゴーから南下し、イングランドの高速道路M6に接続しています。M6はバーミンガムを経由し、ロンドンへ続くM1と接続します) ・高速道路M77 ・高速道路M80 文化 ・スポーツ グラスゴーは1872年にサッカー史上初の国際試合が行われた街として知られていまあす。試合はスコットランド代表チームとイングランド代表チームの間で行われ0-0に終わっています。現在グラスゴーには5万人を収容できるスタジアムが三つ存在します。 セルティックとレンジャーズはこれらをホームグラウンドとして利用するプロサッカークラブです。両チームの対戦は「オールド・ファーム」と呼ばれ、宗教的な背景もあって(前者がアイルランド人移民のカトリック(Irish-Scots)、後者がスコットランド人プロテスタント(長老派))、世界でも有数のダービーマッチとして知られています。 セルティックファンの間ではアイルランド国旗が掲げられ、スコットランド旗が掲げられることは稀です。北アイルランドのプロテスタントの間では特にユニオン・ジャックが掲げられることが多いようです。 音楽 良質なロック、ポップバンドを数多く輩出している。1980年代にはオレンジ・ジュース、アズテック・カメラらポストカード・レーベル勢、1990年代にはザ・パステルズ、ティーンエイジ・ファンクラブらを中心とした草の根的なコネクションが、世界中のインディーズ・シーンに影響を与えた。近年ではベル・アンド・セバスチャン、フランツ・フェルディナンド、トラヴィス、モグワイ、ザ・フラテリス、チャーチズが有名。グラスゴー出身ではないが、ABBA の曲「スーパー・トゥルーパー」(Super Trouper)の歌詞には「グラスゴーから貴方に電話した夜」という一節がある。 グラスゴー (トリップアドバイザー提供) 建築 ウィロー・ティールームズやグラスゴー美術学校など、チャールズ・レニー・マッキントッシュがデザインした建築物が多数あり、観光地化されています。 教育 ・グラスゴー大学 ・ストラスクライド大学 ・グラスゴー・カレドニアン大学 ・グラスゴー美術学校 つづく スコットランド総目次へ |