メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 セント・アンドリューズ城 St. Andrew's Castle 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* セント・アンドリューズ St.アンドリューズ修道院1 St.アンドリューズ修道院2 St.アンドリューズ修道院3 St.アンドリューズ修道院4 St.アンドリューズ修道院5 St.アンドリューズ修道院6 St.アンドリューズ城1 St.アンドリューズ城2 St.アンドリューズ城3 St.アンドリューズ城4 St.アンドリューズ城5 St.アンドリュースの他の教会 St.アンドリューズ大学 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 セント・アンドリューズ城は、セント・アンドリューズ修道院、セント・アンドリューズ大学のすぐ近くにあります。 ◆セントアンドリューズ城( St. Andrew's Castle) 出典:グーグルマップ セントアンドリューズ城の全体案内 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 セントアンドリューズ城の海側の居室 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 セント・アンドリューズ城は現在廃墟となっており、海に浸食された岩だらけの岬の上にあります。 ロジャー司教は13世紀初め、司教の住居として強固に要塞化した最初の石造りの城を立てました。 イングランドから侵攻した軍にしばしば占領され、1336年にスコットランド摂政を務めていたアンドリュー・マレーによって再度取り返さえさ、彼は二度と敵の手に城が落ちぬよう破壊を命じました。 トレイル司教の代に南と西の堀がめぐらされ、その中にどっしりとした建物が再建されました。ジェームズ1世は幼年時代をウォードロー司教のもとでこの城で暮らし、1445年にジェームズ3世はこの城で誕生しました。 城の窓から、ビートン枢機卿は、醜聞の罪で1546年にプロテスタント改革者ジョージ・ウィシャートが火炙りにされるのを目撃し、同年にビートンはプロテスタント改革者の一派に城内で殺害されました。 セントアンドリューズ城のパノラマ Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link セントアンドリューズ城 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link セントアンドリューズ城の中庭にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 kimedia Commons セント・アンドリューズ城2につづきます スコットランド総目次へ* |